ブラックとホワイトは紙一重
「仕事の思想」という本によると「給料を報酬にしてはなrない」と言っています。「そんなら何を報酬にすんねん!?」となりますが、
能力アップが報酬(自分の成長が報酬)、仕事が報酬(三方ヨシ、自分も会社も社会もヨシ)、人としての成長が報酬(自分が損しても社会が良くなればよい)
一見するとブラック企業
しかしうまく動かすとすごいホワイトになる
寄り添う力が必要、言葉だけではなく行動での支援も必要
ホワイト企業も社員のためライフワークバランスを重視するというが、フリーライダー、いわゆるタダノリ社員を増産する可能性がある。そして一部の社員に負担がいきブラック化している例が結構あります。何も言えない、耐え忍ぶ人がホワイトの看板の影で苦しい日々を送っています。(どんな苦悶な日々かは白いブラック企業の他の記事を参照ください)
白とか黒とかカテゴライズするからおかしくなる。
大人数の会社組織だからサボる写真、搾取する写真、搾取される社員が出てきてしまうのでしょう。もしもそれぞれが独立した存在で、無駄な会社のヒエラルキーに縛られることなく、アウトプットと対価で営利活動、大きな成果=大きな報酬となれば、サボる社員は淘汰されるでしょうし、権力だけで搾取するような管理職も淘汰されるでしょう。そんな管理職の下に集まろうとする人はいないからです。しっかりと管理・支援・平等な評価・そして成果を出せことができる管理職のところに人は集まるからです。
もちろん、この考えも完璧ではありません。各人が独立した存在ということは、働けなくなった、そこまで行かなくても成果が出しにくい状況になったとか、家族の事情で労働時間が確保しにくくなったなど、その場合に報酬が低下してしまいます。それを補うために現状のような働かなくてもよい人を働ける人が支える仕組みがあるのですが、そうなると働かないもん勝ちみたいなことも弊害として起こるのです。
ホワイトもブラックも紙一重ということと同じことが言えますね。
何事にも長所と短所があるということだと思います。
ではどうしたらよいか?
可能なら同じというのは難しいかもしれませんが、できるだけ近しい価値観の人たちと共に働くことがよいでしょう。
とは言っても働きたくない人が集まると、どんなホワイト企業でも淘汰されてしまうでしょうから、そこから気づいてまともに働く気持ちになることを期待します。しかしながら、近しい価値観の人と働けることはレアかもしれません。そんな時はは、
①同じ価値観の人もいるが、働かない人もいる場合
同じ価値観の人たちが多ければ、その人たちでしっかり働くことで職場を「しっかり働かないとならない雰囲気」にしていけばよいでしょう。しかし、その職場の管理職が働かない人、搾取する人の場合には、かなり難しくなります。管理職がそうしたヤバい人の場合には、組織が変わらない可能性が高く、頑張れば頑張るほど搾取されたり、一部の社員が組織の達成すべき及第点(合格点)まで達成していればよいとして、一部の社員の負担になってしまうことがあるからです。この場合は次の「組織の過半数が働かない社員の場合」と同じ対応をするとよいでしょう。
②組織の過半数が働かない社員の場合
少ない同じ価値観の人たちとメンタルの保全を図りながら、組織平均のアウトプットを維持して、多過ぎず少な過ぎず働くことをお勧めします。その理由は、少しでも多く働くと、働かない人たちは仕事をその人に寄せてきます。そういう人たちは純粋な仕事量とアウトプットで判断しないことが結構あり、持っている仕事の達成割合で「できている/できていない」を判断しようとしてきます。明らかに間違っているのですが、こんなことが結構あります。なので送料として2倍持たされてしまうと、その50%を達成、要するに働かない人が持っている100%を達成していたとしても、働かない人が80%を達成していると「お前もっとちゃんとやれ」なんてことを言われることがあるのです。異常ですがありますね。働かない人は、あの手この手で仕事を他人に投げてきますので気をつけないと終わります。
さて、あまりよいことではないのですが、仕事は周りを見て同じくらいするとなると、たぶん時間を持て余すことになると思います。その時間をチャンスが来た時にジャンプできるように自身の能力磨きに使うとよいでしょう。本来の能力をセーブして働いているとすぐに錆びついてしまいます。その時のやっている最大値が、あなた自身の能力の最大値に落ちてしまうのです。なので能力を錆びつかせないように鍛錬をすることをお勧めします。
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