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人生の雨の日にこそわかることがある

人生には晴れの日もあれば雨の日もある。
晴れの日、要するに人生が好転しているときには多くのチャンスに恵まれ、そして多くの人たちとの出会いがあり、その多くの人たちから必要とされ高いモチベーションを持って活動できることだろう。
しかし一度雨が降り出すとチャンスどころかマイナスの出来事が立て続けに起こるし、あんなに周りにいた人たちがサーっと引いていくのである。落ち目の人間に近づくような奇特な人というのは希少な存在である。10000人に一人とは言わないが私の経験で言えば百人に一人くらいだろう。多いと思うか少ないと思うかは人によると思うが私の感覚で言えば100人に一人もいれば恵まれている方だと思う。

人生において雨はたびたび降る。
小雨で終わる時もあれば、大雨、豪雨、暴風雨の時もある。
降っている時間も数日で止む時もあれば、数年降り続けることもあるだろう。
もうこの雨は一生止まないんじゃないかと思うようなこともある。
場合によっては、その雨によって人生を終わらせてしまうような雨ということもあるだろう。

私自身「人生がつらい」「人生終わった」「人生を終わらせたい」「人生が終わったらいいのに」などと思ったこともある。これはひどい状況になったときの心の変化を言い表している。
ひどいことが起こると「人生がつらい」と感じ、なんとかそのつらさが去ってくれることを願う。しかし、願ったところでひどい出来事を回避できないとわかると「人生終わった」と諦めの限界に至る。しかし諦めたところで人生は終わらない。終わらないから「人生を終わらせたい」と思う。ここで自分で終わらせてしまう人もいるだろう。しかしそう簡単に終わらせられるものではない。自ら人生を終わらせるというのは相当の覚悟がいるからだ。自分では終わらせられないから今度は「人生が終わったらいいのに」と外的要因に期待したりする。それでも人生は終わらない。そうこうしているうちに徐々に徐々に傷は癒えていくのだが、ひどいことが起こったばかりの急性期には本当に死んでしまいたいと思うものだ。

ひどい出来事自体だけでもとんでもなくキツイのに、周囲の人間たちの冷たい対応が追い打ちをかける。調子が良いときには呼んでもいないのに集まってきた人間たちが、斜陽になりだすと一気に離れていく。沈む止まり木には目もくれず次の止まり木に向かって飛んでいく。その様子をただただ見ていることしかできない沈む止まり木は、次の止まり木を求める薄情な者たちへ恨み節を言ったところでどうにもならず虚しいだけである。いつか再び浮上したとき、去った薄情な鳥たちに止まるスペースなど与えてなるものかと心機一転奮起できればめっけものだが、とんでもない低気圧によってもたらされた暴風雨のときには、去る人間たちの冷たい態度に落ち込んでしまう場合の方が多いことだろう。こればかりは経験してみないとわからないかもしれないがとんでもなくクールドライだ。「良い人生勉強だ」などととてもじゃないが言えないほどの冷たく、そしてドライな対応になるのだ。ほんとドラマの世界そのもの。いや現実はそれ以上にキツいと言える。ドラマの方がまだ綺麗と言えるだろう。だから人生に終止符を自ら打ってしまう人の気持ちも十分にわかる。

私自身、人生のおける最大級の低気圧によって豪雨にさらされたとき。
はじめの数日は自分をこんな目に合わせた奴らを恨みもした。しかし大きすぎる衝撃はしだいに他人よりも自分へと向けられるようになる。自分の力の無さに落ち込み、自分の失敗をした行動や言動を悔やみ、日に日に気力が失せ、食欲もなくなり眠れず心療内科のお世話になってなんとか命を繋ぐような毎日を過ごしていた。こんな状態が続いていたら会社を辞めていただろうし、死んでいたかもしれない。実際には会社も辞めてなければ死んでもいないのでそんなことを憶測で言うのはどうかと思うが、そのくらいひどい落ち込みだったと今でも思い出す。
その最悪のシナリオを回避できたのは、ほとんど人間が冷たい態度をし、そして去っていったが、1%の人が自分を見限らずに支えてくれたからである。私の置かれている状況を心配し食事に誘ってくれた人。仕事場で支えてくれた人。ほぼ壊れた自尊心を回復してくれた人。これらの人の支えがなかったら今も自分がここ(この世に、この会社に)に留まれてはいたかったことだろう。

人生に雨が降ることはとてもつらいことだ。特に大雨ほどつらい。
晴れの日に傘を貸して雨の日に取り上げるというのは本当にあるのだと知る。
取り上げる方にも事情があるのだろうが、取り上げられた側はとんでもないところまで追い詰められる。そんな中でも結果的に生き残れているから言えているだけかもしれないが、人生の学びがあった。
雨の日に傘を貸し与えられ差し伸べられた手は一生忘れられないということだ。
他人を恨んで自分を憂いで日々を過ごす人生から、ひとに感謝して恩返しのためにがんばれている人生になれたことは紙一重だったと思う。
悲惨で惨めな私を見限らず、助けてくれて人たちにいつか必ず恩返しをしたい。そして自分自身もそんな人間になりたいと強く思う。

人生の雨の日はつらい。
しかし人生の雨の日にこそわかることがあるのだ。

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