ベスハチとの出会い⑤ ロックの権化ベスハチとライヴ現場の世界・中編その3
【前回記事↓】ベスハチの伝説の幕開け(2023年12月13日 写真3点追加)
前回、
Elizabeth.eight(エリザベス・エイト)こと
ベスハチ が、
ついに 前身バンド から ベスハチ へと生まれ変わっていく様を書いた。
今回は
『Elizabeth.eight(ベスハチ)』
がライヴバンドとして さらに経験値を上げてレベルアップしていく模様と、
それに伴う自身の音楽体験を書いていく。
如何にしてベスハチの音楽にたどり着いたか。
わたしの通ってきた道と少しでも道が重なるのであれば、
これからこれを読むあなたには、
ベスハチを好きになる素質や素養がある。
そう思う。
▼ ベスハチ、ロックバンド成り
2007年3月25日、千葉県は柏。
待ちに待った、
ベスハチ 初 の ワンマンライヴ である。
タイトルは『LOVE&THANKS』。
柏での多くのライヴを経てたどり着いた、
ヴォーカル・ミワユータ総帥の率直な感情が現れているかのよう。
この当時のベスハチは、
柏JUDGE(現 柏616)というライヴハウスに出演することが多く、
特に高校生主催イベントへの出演も こなしていたことで
日に日に若いファンが増えていくような状況であった。
この時点で わたしも既に
ベスハチ前身バンドを観始めた当時のメンバーと同じくらいの年頃になっており、
周囲のファンに至っては、さらにオトナの方々である。
ベスハチのライヴを重ねる度に増え続けるファンの高校生たちの若いパワーに圧倒されるばかりではあったが、
並行してベスハチ以外のバンドのライヴを観続けるなかで、
『体験してみたいこと』が出来てきた。
それが、
ロックキッズの集まる ベスハチ の ライヴ での
すし詰め状態 の モッシュ
である。
ベスハチのライヴにおけるモッシュ自体は、
2007年2月に行われた
第2のギターマン こふじ氏 加入ライヴで早くも叶えられた訳だが、
それは あくまでもパンクバンドの集まるイベント。
唯一の紅一点バンドを品定めするかのように観ていた いかついパンクスたちが
見事にモッシュを起こしていく様子は爽快極まりないものだったが、
彗星の如く現れた女王率いるロックバンドを迎えるには、
まだまだフロアのアウェー感は否めなかった。
ただ、
当のライヴへ来た他のベスハチファンも、
ここで弾みがついた事だろうと思う。
いざ蓋を開けてみれば。
ベスハチのワンマンは、
オープニングアクトをnano.RIPEがつとめ、
あたたかな空気で我々を迎えてくれた。
そして来るベスハチの本編。
あたたかいどころか、
人口密度の高さと、フロアの酸欠しそうな熱気に包まれての、
超・超・超・絶 モッシュの嵐。
何より、
ここにいる全員、ベスハチ観に来てるんだぜ!!!!
という、
味方しか居ないという絶対的な安心感。
サビの『Let's Go NO READY号!!』をフロア全体でコールする幸福。
大好きな曲を、最高な状況で聴けるという喜び。
まだラヴマだった頃。
ラヴマファンとしての自己主張といえば
『愛奴』
という文字のタトゥーシールグッズを手の甲や腕に張り付けるのが主流だった。
ライヴ現場を離れれば、
学校の行き来で使用していたアルタートケース(イラストや図面等が折れないように持ち運べるケース)に
『the lovemachine』の文字が入った卑猥なマークのステッカーを貼るというさりげない主張のみ。
(物知らずすぎて卑猥な事は特に気にしておらず)
ベスハチになって以降も、
自己主張グッズとして持てるものは
この時点では ほとんど無かったと思う。
この日のぎゅうぎゅうな すし詰め状態のモッシュライヴを体感してみて、
これほどまでに
ベスハチのグッズにTシャツが欲しい
と思ったことはなかった。
ベスハチが好きだという自己主張としての着用、
そして何より、
この日のライヴのような激しいモッシュで、
Tシャツをグッシャングシャンのヨッレヨレにしてみたいと思えた。
完全にベスハチが、
ロックバンドに『成った』
といえるワンマンライヴであった。
このワンマンで演奏された曲は、
ミニアルバム『ハチミツゲロン』の楽曲をひと通りと、
ラヴマ時代の楽曲のベスハチ版として
『ロッキンコインランドリー』
がロックなアレンジになって帰って来た事も嬉しかったし、
さらに この日は
発売されたばかりのミニアルバム
『ハチミツゲロン』
に収録しきれなかった楽曲として
『ストラグル』
という楽曲も披露され、
ワンマンへの来場特典音源としても配布された。
“大成功”
の一言で済ませるにはあまりにも素晴らしく、
ひたすらに熱く、
エモーショナルで、
ベスハチの歴史に大きく刻み込まれたライヴとなった。
▼ ライヴ・バンドに便乗して成るライヴ・ジャンキー
柏でのワンマンを終え、
さらにライヴバンドとしての頭角を現してゆくベスハチ。
ベスハチに付いていくことで、
自身のライヴ遍歴も相当な数となってきた。
2007年頃というとライヴのほか、
わたし個人の活動としては
学校のクラスメイトとグループ展を開いてみたり、
(※ベスハチの楽曲『銃声に鳴る彼のタンバリン』の好きが極まりすぎて、この曲をイメージしたグラフィック作品を製作・展示した)
デザイン・フェスタで絵本作品の展示販売も行ったり、
学校の卒業制作等でも忙しかったはずなのだが、
不思議と前年よりもさらにライヴ本数は増えていた。
この年はフェス等を1ライヴと数えても、
自身のライヴの現場数は96本、
そのうち、ベスハチのライヴは40本にも及ぶ。
バンド数でいうと、
少なくともベスハチの対バンで1日あたり2バンドから5、6バンドは観ているし、
フェスで10数バンド観るのも当たり前なので、
もはや数えるのも気が遠くなる程だ。
このあたりで出会ったバンドもそれなりにハマったものが多いが、
数も多いため再びダイジェストで紹介していく。
例によって次の章まで読み飛ばしてもらっても良いが、
当時の時代の空気感を味わいたい方は是非お付き合いを。
9mm Parabellum Bullet(キューミリパラベラムバレット)
APOGEE(アポジー)
KAREN(カレン)
LITE(ライト)
アナ(当時表記『ANA』)
The Birthday(ザ・バースデイ)
the telephones(ザ・テレフォンズ)
怒髪天(どはつてん)
STAN(スタン)※前回記事と被り
ちなみに2007年頃は、
2023年現在においてもベスハチが浅草で時折 対バンしている某バンドと出会った年であり、
当時 新宿MARZでの対バン時に音源を購入していたという驚き。
またこの年の最後には、
わたしのずっと追ってきたバンド Syrup16g が
解散しそうしそう、という空気の中
『END ROLL』のタイトルでツアーを行っていたが、
東京公演でとうとう解散が発表されてしまった。
これまで凝ったデザインのTシャツを多く発売してきたシロップであったが、
このツアーで発売されたのは 装飾のひとつもない『END ROLL』の文字タイトルが入っただけのシンプルにも程があるTシャツで、
解散発表後は買う気の一切なかったTシャツを血迷って買ってしまいそうになるほど動揺した。
さらりと「解散します」という発言の直後演奏されたこの曲、
とても好きな曲だが、しばらくはトラウマになってしまっていたし、
多くのシロップファンにも同様のトラウマを植え付けたことだろう。
ダイジェストとしては ざっくりと このくらいにしておくが、
当時はインディーズから好きでライヴを観ているバンドほど
メジャーに行った途端に初期衝動的な良さや尖った部分が失われた感が否めず、
早々に好きだったバンドの終焉を察知して離れる という自身のパターンが散見された。
端的に言えばそんなのロックじゃねぇ、
ということである(楽曲的にもスタンス的にも)
こうしてファンが入れ替わっていくのだろうが、
バンドは水ものというのは本当だと実感していて、
追っているバンドについては
好きでいられるうちはできる限り観ておかなくてはと思う。
とはいえ、ベスハチはずっと観続けるのだろうなと思う。
ベスハチというバンドはロックがアイデンティティであり、
そこがブレる事はないと固く信じられるからに他ならないのだ。
その信頼は、
ベスハチと他のバンドも含め、
ひたすらにライヴ現場本数をこなしていく日々によって
ベスハチのロックたる信念が浮き彫りとなってゆくことで、
さらに磐石なものとなるのだった。
▼ ベスハチの快進撃
ベスハチの柏でのワンマンを終えてすぐの事。
ベスハチはラヴマ時代の後半に始まり
ライヴ音源を発売する機会やサンプルCDの配布が多くあり、
この頃にも
ミニアルバム『ハチミツゲロン』
が発売されたばかりにも関わらず、
音源の発売とサンプルCDの配布があった。
特にベスハチのライヴ音源というものは
ベスハチの魅力をかなりの再現度でパッキングしてあるものだったので、
発売の度に宝物を眺めるように聴き込んでいた。
そして上記のフライヤーには掲載されていないが、
実はこの時期のベスハチに
まさか!というバンドとの対バンがあった。
スペシャの音楽バラエティ番組
『熱血!スペシャ中学』
に出演していたYUMIのバンド、
BEAN BAGとの対バンである。
【↓参考記事】スペ中!それはロックの溜まり場
これより前にスペ中文化祭というスペシャ中学のスペシャルライヴイベントにて
BEAN BAGのライヴ自体は観てはいたが、
まさかまさか、
ベスハチと対バンする日が来るとは。
しかもこの日は、
当時気になっていたバンドのひとつでもあった
つしまみれ に加え、
ラヴマ時代からも時折 対バンしていた
OUTSIDE と。
あまりの突然の知らせに、興奮が抑え切れなかった。
以下、当時思い出せる限りで色々貼ってみる。
ベスハチの当時のSEもついでに貼っておくので、
当時のイベントの雰囲気を味わいつつ追体験していただけたらと思う。
当時のベスハチのオープニングSE
東京スカパラダイスオーケストラ
『ルパン三世´78』
この日のセットリストのメモによると、
1曲目『銃声に鳴る彼のタンバリン』の他、
『ドロブネスイキョウ』と、
当時の定番曲のひとつ
『キャンディ・キャンディ』
をやったらしい。
ドロブネではモッシュも起こって非常に楽しめたライヴだったようだ。
その他に出演していたバンドは動画や音楽配信等でも無いこともないが、
記憶が定かでないものも含んでいるため貼らないでおく。
スペ中を観始めた翌年には
いとうせいこう氏以外の出演者が総入れ換えとなったため
YUMIの姿がTVでは観られなくなって久しかったが、
こんなところで元気な姿を観られて何より、
という気持ちが満ち満ちたライヴであった。
この日のイベントを含め、
ベスハチはこの後もライヴ本数を増やしていくが、
とうとうメジャーバンドも多く出演していて自身もよく足を運んでいた、
Oグループ系列のライヴハウスへの出演も果たすこととなるのだった。
▼ 続く音源発売
さらに、
1stミニアルバムのツアーを重ねて間もないうちに
次なる音源が発表された。
2008年3月7日発売の
2ndミニアルバム『キキミミ』である。
しかも今回は、
インターバル無しの全国発売だ。
ベスハチ初期から待望のアルバム収録となった
『ミドル・ネーム・ザ・エゴイスト』に、
『ジェットコースタードライブ』や
『現実逃避ラヴィ』
を始めとするライヴで熱く盛り上がれるロックナンバー、
『トランジスタシス』のような神曲、
怪しくドロドロとした雰囲気が病みつきになる
『ジャンパピン』等、
ベスハチの多種多様な魅力がこれでもかという程詰め込まれた、
最強のロック・アルバムだ。
『トランジスタシス』のような楽曲はベスハチというよりもラヴマ時代を思わせる曲だが、
ロックテイストの楽曲を多くやるようになってからも
ラヴマ時代の魅力的な楽曲たちはいつまでも色褪せず、
ベスハチも良いがラヴマも良い、
しかし体(バンド)はひとつしかない。
という究極の二択のような状態になっていたが、
ベスハチになってもロックやガレージ方面の楽曲一辺倒にならず、
多様な音楽性のひとつとしてラヴマ的な音楽が味わえること。
『トランジスタシス』がこのアルバムへ収録されたことが
過去の軌跡もしっかり糧にしたという証のように思われ、
わたしのライヴ人生のスタートを飾った当時から灯っていた炎が
今なお燃え続けていることの嬉しさを噛み締めたのであった。
そして
ミニアルバム『キキミミ』の発売と
盟友 nano.RIPE の新譜発売が重なったことで、
発売記念イベントとして この2バンドによる
ダブルレコ発(レコード発売)ツーマンライヴも行われた。
以前からナノ・ベスの組み合わせでライヴイベントが行われる事は多かったが、
特定のバンドと、
しかもタイプの全く違う女性ヴォーカルである
ミワユータ総帥とナノのきみコ氏率いるバンドの関係が、
これほどまでに長く続くことが意外だった。
ナノベス企画はその後、
ナノライプのメジャーデビュー後も続き、
年に数回、
10回以上に渡って続くイベントとなったのだった。
その後のベスハチは、
他のバンドともタッグを組んでのイベントを数多く開催してゆくのだが、
のちに業界を揺るがすような
とんでもないことを巻き起こしてゆくことになるのであった。
次回へ つづく。
ミニアルバム『キキミミ』の中でどれが好きかといったらこれ。
ザ・ハンズインポケッツのヴォーカル、フジタ興奮氏がモデルとなった曲である。
『ジェットコースタードライブ』や『現実逃避ラヴィ』もライヴ映えして楽しいので ものすごく好きな曲だが、
その中にこれが組み込まれた時のギャップがたまらなく愛おしい。
【↓次の記事へ】
【↓前の記事に戻って読む】
【↓最初から読む】