ベスハチとの出会い⑥ 業界騒然、大事件の首謀者ベスハチとライヴ現場の世界・中編その4
【前回記事↓】ベスハチのライヴバンド成り
前回、
Elizabeth.eight(エリザベス・エイト)こと
ベスハチ が、
アルバム全国発売を皮切りに『ライヴバンド』と成ってゆく様を書いた。
今回は ややセンセーショナルなタイトルになってしまったかもしれないが、
『Elizabeth.eight(ベスハチ)』
がインディーズバンドとして業界を騒然とさせたあの大事件についてと、
同時期の自身の音楽体験について等、
自身の活動との兼ね合いでライヴ本数がそれまでよりも激減したため、
タイトル回収まで一気に書いていく。
如何にしてベスハチの音楽にたどり着いたか。
わたしの通ってきた道と少しでも道が重なるのであれば、
これからこれを読むあなたには、
ベスハチを好きになる素質や素養がある。
そう思う。
▼ 全ての始まりは、あの日
2ndミニアルバム『キキミミ』の約1ヶ月前。
約1年前、
ベスハチの伝説の初モッシュが巻き起こった
ザ・ハンズインポケッツ の主催イベント、
『THE MOSH & DIVE!!』が
本八幡3rd STAGEにて開催されていた。
【↓参考記事】1年前の『MOSH & DIVE』
ザ・ハンズインポケッツ『夜に風穴をあけろ』
1stミニアルバム『ハチミツゲロン』発売以降
すっかりタフなライヴバンドとして鍛え上げられてきたベスハチが、
再びハンズインと相見えるという感慨深いイベント。
それは まるで
1年前からのベスハチのライヴ戦歴を経て、
同じ本八幡という地へと凱旋してきたかのようでもあるが、
これまで幾夜もの戦場を駆けてきたベスハチは、
この地で勝利を称え合うだけでは終わらない。
思えば1年前のあの日から、
既に種は蒔かれていたのだ。
どこか同種のにおいを感じるハンズインとは
この辺りを境として、
共に手を組み、
さらに激化してゆく戦場へ躍り出ることとなる。
▼ そして精鋭たちが残る
ベスハチの活動がより活発になる中、
わたしの方は
通っていた学校を卒業すると共に地元のトチギに戻り、
同時に自らの絵本制作とイベントや展示会への出展活動の方が活発になってきたこともあり、
中々ライヴの時間をとる機会が得られなくなっていた。
メジャーバンド系のライヴは基本的に友人Kを相方として行くことがほとんどであったが、
だんだんと互いの趣味の方向性の違いが明確になって来るにつれ、
(わたし→ロック寄り、友人K→ポップ寄り)
フェスでも別行動が多くなってくると
共通で好きな外せないバンド以外は連れ立ってライヴに行く機会も減り、
共に拠点が地元に移ったことで都内への行き来の移動時間が増えた分、
より選別・厳選した上でライヴに行くようになった。
諸々あって2012年以降はブランク期間としてほぼライヴを観られなくなる時期が訪れるのだが、
ひとまず今回も、
ざっとこの付近の年代にハマったりよくライヴを観たりしたバンドをまとめて紹介していく。
ラヴマに始まりたくさんのバンドを現場で観た中で、
より自分の好みに従った結果として手を出したものたちになる。
例によって興味の無い方は次の章まで飛ばしていただき、
お付き合いいただける方はその時代の空気感を共に味わっていただきたい。
POLYSICS(ポリシックス)
DE DE MOUSE(デデマウス)
a flood of circle(ア フラッドオブサークル)
黒猫チェルシー(くろねこちぇるしー)
ミドリカワ書房(みどりかわしょぼう)
The John's Guerrilla(ザ ジョンズゲリラ)
PILLS EMPIRE(ピルズ エンパイア)
6EYES(シックスアイズ)
OKAMOTO'S(オカモトズ)
Lillies and Remains(リリーズアンドリメインズ)
毛皮のマリーズ
Buffalo'3(バッファロースリー)
2008年3月には、
ずっと追いかけていた Syrup16g もとうとう武道館にて解散ライヴが行われた。
その翌年の2009年、
ミッシェルガンエレファントのギター、アベフトシが亡くなった。
その年は忌野清志郎、フジファブリックの志村正彦も亡くなるなど、
多くのミュージシャンが亡くなった年でもあった。
自身の活動が忙しくなると共に、
徐々に音楽から離れる理由ができてしまっているようでもあり、
実際行くライヴを厳選することで観に行かなくなったバンドも多かったが、
常に我々ファンを驚かせてくれるような楽曲や企画が飛び出してくるベスハチだけは
考えるまでもなく、
なんとか時間を見つけては地道にライヴへ通うのだった。
▼ 疾風怒濤雨霰ギグ
一方、ベスハチとしては
アルバムリリースの度にツアーをまわることで、
怒濤の勢いでライヴ本数を増やしてゆく。
2ndミニアルバム『キキミミ』のリリース後も
狂気を感じる程の本数のライヴで、
いちベス子(当時のファンの呼称)の わたしが
ベスハチ観たい!
と思うより前には既に、
ベスハチのライヴ日程がずらりと並び、
常時 開門状態・
毎夜そこに行けば必ず観られるショー
というレベルの頻度で、
こちらが観たいと思う以上に、
ベスハチ が ベスハチのライヴ を
1人でも多くの人に届けたい!!
という熱量が圧倒的に上回っているかのようであった。
その熱量は、
ついには年間100本を超える本数のライヴで体現されてゆくのだった。
とにかく多くのライヴをこなす中、
再びまさかの人物との対バンを果たすベスハチ。
元 すかんち の ROLLY氏、
元 マルコシアス・バンプ の 佐藤研二氏、
元 X-RAY の 高橋ロジャー和久氏によるバンド、
THE 卍 との対バンである。
以前の音楽遍歴として書き損ねていたが、
特に わたしにとってのROLLY氏というのは、
2006~2007年頃にテレビ東京で放送されていた音楽バラエティ番組
『ROCK FUJIYAMA』にて、
レギュラー出演だったマーティ・フリードマン氏と共に
時折ギターセッションを披露してくれる
グラムロック兄さん的な位置付けであった。
それ以前にドハマりした映画
『スクール・オブ・ロック』
の影響もあってロック・セッションへの渇望のようなものがずっとあり、
この『ROCK FUJIYAMA』という番組は
そんな渇望を うまいこと満たしてくれる存在でもあった。
どう考えてもこの映画の影響で
ジャック・ブラックのような
突き抜けロック大好きおじさんが好きになったのだな、
と書いてて気付いた。
洋楽ロックにおける有名フレーズやロックレジェンドたちのステージングの多くをここで履修出来たところもあり、
まだ観た事が無いという方はロック入門としてもオススメの映画だ。
観終える頃には ジャック・ブラック と AC/DC が異様に好きになっていることだろう。
そんなROLLY氏のバンドとベスハチが、
ベスハチの地元である埼玉での対バン。
胸が熱くなるとともに、
その日のライヴはベスハチも おおいに盛り上がり、
ロックバンドとしての経験値が高まった様が存分に見られたライヴであった。
ベスハチはライヴ本数も多いため、
このようなハッとするような対バンの機会が度々あった。
これらの戦歴が確実にベスハチを強くしていっているのだと思うと、
こうしてベスハチと引き合わせてくれる方々には感謝しかない。
怒涛の本数のライヴに加えて面白い企画イベントがてんこ盛りの中、
さらに音源のリリースもあった。
2009年9月3日発売の
『アンデッドマン・サード』だ。
この当時のベスハチは
『アンデッドマンのテーマ』という曲が定番曲となっていたが、
アルバムタイトルにもなっているこの曲が何故か収録されておらず、
結果として、
レコ発イベントでこの曲のライヴ音源が会場限定で配布された。
とんでもない本数のライヴを重ねながらも
音源リリースというハードスケジュールをこなし、
バンドとしてのタフさを増すベスハチは
ただライヴを重ねるだけでなく、
この先 さらなる『面白いこと』も巻き起こしていくことになる。
▼ 企画の怪物・ベスハチ
ベスハチのライヴに次ぐライヴ活動の中、
2023年現在では恒例イベントとなった
ELIZABETH.EIGHT企画
『女王誕生祭!を主にシカトする祭』
通称 シカト祭 が開催される。
(※現在に至るまでにやや表記ゆれがあるが、当時はこの表記だった模様)
女王・ミワユータ総帥 の誕生日イベントで、
その日の主役のはずの総帥に「おめでとう」を伝える暇があったらその日の出演者たちのライヴを観て楽しんでくれ、
というような趣旨で
このあたりから毎年行われるようになっていた。
開催当初は当時よくベスハチが出演していたライヴハウスである
渋谷O-Crest との共同企画で
6バンド程度が出演する誕生日イベントだった。
翌年以降は2023年現在でもお馴染みの形態、
転換無し(※)の2ステージ制の構成となり、
小規模なフェスの如く、
出演者は倍以上の数となった。
恒例のベスハチ×ナノライプによる企画である
ナノベス企画でも既に
奇抜で面白いアイディアを形にしていく手腕を見せていたベスハチであったが、
このシカト祭りもまたそのひとつとなり、
2023年に至るまでも愛される長寿イベントとなっている。
【↓参考記事】ナノベス企画の始まり
他にも、ベスハチ企画のひとつとして
7日間連続イベント『7days War』@西川口Hearts
といったものも開催された。
こういった一風変わった面白い企画がベスハチ企画の特色であり、
この派生形ともいえるイベントが、
さらにその先へと繋がるのだった。
▼ 狂犬 VS 女王蜂
2008年から2009年にかけて、
ベスハチはザ・ハンズインポケッツと共にタッグを組んで
地方を巡回するツアーをまわっていた。
その名も『狂犬 VS 女王蜂』。
以前から近い空気感を感じていた2バンドがツアーをまわるうち、
もはや 2バンド で ひとかたまり のような存在感も放つようになっていた。
ベスハチとハンズインは無事にツアーを一周を終えたところで、
ひたすらにライヴをする日々が楽しすぎたことにより
もう一周するか! と、
勢いでさらにツアーをおかわり一周しており、
その時点で、
ベスハチの この年のライヴ本数は100本を越えた。
地方まで足を運ぶことが叶わなかったわたしは、
日々のミワユータ総帥によるレポートブログを読みながらその様子を楽しんだ。
ちなみに2023年現在、
ベスハチの機材車故障による修理費用のために制作された
『ホワイトタンクのテーマ』
という曲のオマケ(?)として、
懐かしの このDVDの内容がダウンロード購入可能となっている。
興味のある方は是非観て欲しい。
『ホワイトタンクのテーマ』の楽曲自体は、
タイヤのパンクにかけてパンク調の楽曲になっているという遊び心が楽しい。
さらに、
時系列としては
『狂犬 VS 女王蜂』のツアーを終え、
同年末にハンズインと共に決行された
『7days War』の後の、
2010年2月。
柏616(旧 JUDGE)にて行われた
恒例のナノベス企画にて、
とんでもない発表があった。
2010年12月14日
ベスハチ と ハンズイン の2バンドによる
ツーマンライヴの開催
場所
S H I B U Y A - A X
あまりの突拍子もなさに、
しばらくは意味がわからなかった。
SHIBUYA-AXといえば、
当時の東京では国内最大級のZepp Tokyoに次ぐ規模の大型ライヴハウスであり、
基本的にはメジャーのレーベル所属のアーティストが出演するような箱で、
わたしも都内のこの規模のライヴハウスとしては一番行く機会の多かった箱だ。
主にスタンディングのみのライヴハウスとしては、
最大キャパシティ約3,000人のZepp Tokyoや
渋谷AXより小さい規模の箱で赤坂BLITZ等があり、
それらを上回る規模になると、ホールやドームになる。
ベスハチやハンズインが普段出演するライヴハウスでも、
最大キャパシティは300人前後。
それに対し、
渋谷AXの最大キャパシティは 約1,700人。
メジャーレーベルはおろか、
インディーズレーベルにも属さない
完全無所属の2バンドが挑むには、
あまりにも前代未聞、
大事件以上に大事件、だった。
ただ、わたし個人としては、
ラヴマ時代から8年ほどベスハチを観続ける傍ら
他のバンドのライヴにも通ううち、
「いつかAXでベスハチのライヴが観られたら」
という思いが生まれ、
それが心の奥底に ずっとあったのだ。
こんな形で叶うことになるとは思ってもみなかったが
この2バンドがやると決めたのだから、
どんなに無茶で無謀であっても、
ただただ付いていくのみだった。
次回へ つづく。
当時からライヴで定番だったアッパー曲。
何故かずっと正式な音源としては発売されず、
2015年発売のアルバムでようやく収録されたのだった。
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