45歳は職安に行ってみたい。

「若いお母さんになりたい」
子供のころからずっと思っていた。私の母は36で私を産んで、参観日に来る母はいつも周りのお母さんたちよりオバサンに見えた。大好きなお母さんが友達のお母さんより早く死んでしまう気がして、すごく怖かった。だから20代の内に子供を産み終えたいといつも思っていた。

 元来、なんとかなるさの明るい性格と、戦前生まれの堅い両親に育てられ、親の言うことは素直に聞いて、中高は父の趣味である卓球に全力を注ぎ、親の勧めるまま社会人として5年間働いた。22の時に出会った人とすぐ結婚し、念願の若いママとなれたのである。

 若いママとなりたいという願望は叶えられたが、私が早く結婚したいと思っていたのには、いつしか別の理由も加わっていた。
「親から離れたい」
戦中戦後の、ブチクソ苦労を体験している両親はものすごい倹約家で、お友達が持っているものは買ってもらえなかったし、卓球だって本当は楽しいと思えなかった。大人になってもカラーリングは許されなかったし、だまってピアスを開けたのがばれた日は大変だった。
 私の子育てには色々口を出してきたし、長男が1歳になる前に、チョコレートを勝手に口に放り込まれた。

 それでも両親には可愛がられていた。親とのすれ違いで早くに家を飛び出した兄の分まで、特に父には溺愛されていた。遅めの反抗期まっさかりの高校生の時に「今日のとんかつにはウスターソースをだくだくにかけて食べたら美味しかったよ」と満面の笑みで言ってきた時は、なかなかに鬱陶しかった。

 ありがたい事に4人の子宝に恵まれた。自身が子供のころから小さい子供が大好きで、子育て期間中はランチに行けなくても、オシャレする暇が無くても、トイレまで後追いされても平気だった。夜中に夜泣きで起こされたり、日中ずっとワンオペでも、我が子の可愛さにひたすら癒されて来た。

 子供たちがだんだん大きくなって、末っ子も幼稚園を卒園したころ、園から声が掛かり、補助職員になることになった。小さい子供は前述したとおり大好きだし、なにより園が大好きだった。幼児教育に生涯を掛けた尊敬している園長先生から声が掛かって、私は喜んで引き受けた。
 
 1年くらいたって仕事も覚えたころ、人間関係に悩み始めた。尊敬しているすごい上司に、どうも嫌われている。でも仕方ないよね、みんなと仲良しって訳にはいかない。嫌なことがあっても笑顔でかわし、家に帰って泣いた。そうやって自分を慰め励ました。私みたいな人間を雇って下さった園長先生の為にも、働けなくなるまでここで働こうと決めたのだから。
 そうしている内に心の中の本当の気持ちがむくむくと顔を出し始めた。
 
 (私はいつも本当にやりたい事を我慢しているのではないか)
 (親の言うまま、人生を生きてきた)
 (この職場だって、頼まれたから引き受けたけど、本当にやりたい事だっ     たのか?)
 (元来私は、先生などと呼ばれる性質じゃない。ゲームも大好きだし、家に帰ったら子供たちと、どっちが大人か分からないガチ喧嘩もする。)
 私の人生はこれでいいのか

 そんなことを悶々と考える日々が始まった。考えれば考えるほど分からなくなって、自分がつまらない人間だと強く思うようになった。その思いはどんどん黒く淀んで、大きな塊となり私の足に絡みついた。日課のゲームも楽しくなくなり、不調が続くようになった。考えても考えても答えが出なかった。 
 そんなある日、親しくしてもらっている人生の先輩がふっと言った。

「それは他人軸よ。自分軸で考えないと。」

 一瞬ですべてが走馬灯のように私の周りを過ぎていく。母に言われたから、人に言われたから、環境がそうだったから、父が悲しむから。それらすべてを、自分で選んだくせに人のせいに変換していた。
そうだ、私は自分でそれを選んできたのに。

 やめよう。4年務めた大好きなこの職場。仕事も子供相手で楽しい仕事だと思う。でももうここには居られない。他人を憎むのはつらい。わたしらしく、生きられる職場を探さなきゃ。

 昨年退職した人に電話をかけてリサーチした。とにかく引き留められるし、園長持ち前の説得力で、いつのまにか家に帰らされているとのこと(笑)
最後には事務所にいるところを見計らい、夫同伴で訴えたらしい。

 ほほう。( ̄ー ̄)ニヤリ
私のなかの戦闘民族がむくりと顔を出す。
いっぱつで辞めてやろうじゃないか。

 朝いちばん。冷たい空気を胸いっぱいに吸い込み、地面をドシドシと踏んで、事務所に向かう。あれこれ頭のなかで考えたセリフを思い出す。なんと言われようと「私は辛いんです!」と言うしかない。こればっかりは相手もどうしようもないはずだ。エイヤー‼

 結果ものの5分で話が終わった。「あなた見かけによらず真面目ねえ」との事。なんだいなんだい、そんな所を見込んで声かけてくれたんじゃないんかい(笑)結局これも、私のなかの妄想だったのよね、と笑えて来る。
時節柄、マスク着用していて良かった。我慢できない笑いが口からもれる。子供みたいに走った。

 やりたい事がどんどん頭の中に浮かんできた。
そうだ!職安に行こう!今はハローワークっていうのよね。失業保険ってやつをもらおう。やりたい仕事が見つからなくてもいいの。自分で選ぼう。
 髪を染めよう。娘とお揃いのインナーカラー。
花を植えよう。何年も植えてなかったチューリップ。来年の春に向けて沢山植えるんだ。

 
 今夜も夜8時に話そう。背中を押してくれた先輩も、温かく見守ってくれたあの人も。2人と話そう。たくさん話して笑おう。

   

 

 


 
 

 

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