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第9回.少数派

生きにくい。

家の中の、自分だけのテリトリーの中では生きやすいと思っているが、そこから一歩外に出た瞬間に息が詰まる。

理由は、元々人が苦手とか。HSPであるだとか。

大まかに言葉に出来ることで言ったらそういうことになるけど、もっと細かくたくさんある。

幸い、私には好きな人がいたり(直接連絡を取れるような間柄ではない)好きな物語があったりする。

その存在たちにすごく救済されている。

そして、その好きな人や物語は"少数派"に向けていると言われることが多い。

これは本人たちが言っているのだから確かだ。

私は普段何かに属している際に、なかなか多数派と呼ばれる側にいけない。

いつも弾き飛ばされて、気付けば端に一人ぼっちでいる。

最初に気づいたきっかけは小学生の頃。
クラスのルールをみんなで作りましょうというのがあった。

机を後ろに動かし教室を半分で区切って、AかBどちらかを選んで移動して、話し合いをしましょうというもの。

議題は、シャラシャラと音が鳴る飾りがついた文房具を持ってきてもいいか。ランドセルにアクセサリーをつけてもいいか、などどれもクラスでこれっていいの?と微妙判定されているものだった。


それらの際、大体8割2割になるのが常だったと記憶している。

当然私は決まって2割の方にいる。

だけど一回、クラス35人いて1人だけというのがあった。

その1人は、私である。

今までは、2割の人たちで仲良く多数派に向かってあーだこーだ言っていたが、1人になった途端何も言えなくなってしまった。

結局途中で流されて、あーやっぱりそっちだと思いました。とか言って多数派に足を入れた。


その時私は間違ったんだと感じた。

みんなが正解で、私は不正解であると思った。

大人になった今だからそんなことはないと言えるけど、小学生でこの状況での1人はなかなかきつい。

だんだんと私は無意識に、自分の"好き"な人や物語のことだけを考えて頭を埋めるようになっていた。


そして、その"好き"は自分のことを支えてくれて、守ってくれる存在になった。 

しばらくして、その"好き"が私だけでなく、たくさんの人から愛されていることを知る。

少数派に向けて、という存在がたくさんの人の目に止まるということ。

自分だけが、と思っていたことが意外にみんなも思っているかもしれないとも思う。

だけど実際生きてて、やっぱ自分だけじゃんって感じることの方が遥かに多くて。

大体、どこにいても常に浮いている気がするのはなんでかという答えは見つからないし。

こういうのって子供だからあるのであって、大人になったらなくなるものだと思っていた。

しかし、私の"好き"な人や物語が、私に向けて作っているということになるんだからそれだったら報われてるなぁと思う。

これが一生続くと思うとなかなかしんどい部分もあるが、自分の"好き"を大切にして生きていきたい。





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