「対等」であることを強く望む理由
これまで何度か、チーム内での私の立ち位置として「対等でありたい」という記事を書いてきました。
クライアントに対しても「対等」であることを強く望んでいて、高圧的な態度が続くクライアントとは契約を終了しています。
こんなふうに対等であることを強く望むようになったのは、個人事業主になってからです。
おそらく、私の中で「雇用関係にある以上は、対等になり得ない」というバイアスがあって、だから、雇われていた頃は対等でないことが気にならなかったんだと思います。
でも、心の奥底にはずっと「対等でありたい」という強い希望があったのか、雇用関係から解放されて、それが溢れ出たような感じです。
ずっとわからなかったのは、その理由です。ここ1年ほど、なぜこんなに対等にこだわるのかなぁ?と疑問に思っていました。
何か昔、トラウマでもあったかなぁと。
原因がわからないままここまでやってきたんですが、昨日やっとその理由が分かったんです。
きっかけは、ある人の一言でした。
前に、お試しで1記事だけライティングしてくださったライターさん(男性)が、私(編集者)が依頼しても修正をしてくれなかったことがあります。
その時のことを、
「女にあれこれ言われたくない!」と考えているのかも?
と指摘され、ものすごく心がざわつきました。
この感覚、過去に何度も経験したことがあります。
昔、金融機関で働いてたころ、新卒で地方の法人営業に配属されました。
当時、その地方では男尊女卑が割と残っていて、しかも私が配属された部署は、女性がほとんどいない体育会系の営業部署だったので、「女のくせに偉そうに!」という接し方を何度もされた記憶があります。(社内外で)
幸い、部署の上司や先輩にはとても恵まれていて、私という存在を理解し、対等な仲間として認めてくれていました。(だから、心が折れずにいられたんだと思う)
でも、あの5年弱で味わった「不平等感」や「理不尽感」が強烈に記憶に残っていて、「女なのに」とか「女のくせに」という言葉にかなり敏感に反応するということがやっとわかりました。
なるほどなぁと。この心のざわつきがどうして起こるのか、なぜ対等にこだわるのか、理由がわかって少しほっとしています。
価値観って過去の経験に大きく影響を受けているんだな〜と、とても興味深い出来事でした。
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