好きがわからないのは「自己防衛」してきたからかもしれない
幼い子供がいると、親の希望が2の次になる事は日常茶飯事。
外食時のお店選び、休日に遊びに行くところはもちろん、服や靴も自由に選べないのが現実です。
外食では、子供が食べられるメニューがあるお店を選び、子供が楽しめるスポットに遊びに行き、汚れてもいい服を選び、靴擦れしない靴を履く…
日常のあらゆることが、子供優先になっています。
この時、親の感じ方は大きく2パターンに分かれると思うのです。
1つは、制約に息苦しさを感じるタイプ。
そしてもう一つは、変化を楽しめるタイプ。
私は、子供産んでから2〜3年は変化を楽しめるタイプでした。
子供が生まれたことで、生活スタイルはガラッと変わり、服装も変わりましたが、そのことを心のどこかで楽しんでいたように思います。
「ママになった自分」を新鮮な気持ちで楽しんでいました。
母になって7年目の今は、日々の生活に息苦しさを感じるようになっています。
外食では気が乗らないものを食べ、気が進まない場所に遊びに行き、それほど好きでもない洋服を着ている感覚です。
誤解を招きたくないのですが、日常生活でずっと不満を抱えているわけではありません。子供に合わせることで、楽しさや幸せを感じることももちろんたくさんあります。
でもやっぱり、「本当は〇〇したかったのに」と思うことがしばしばあるのです。
こんな感情が湧いた時、いつも、「子供がいるだけで幸せなんだから、多少の我慢は仕方ない」と自分に言い聞かせています。
そんな生活をおくっていると、外食で食べたいものや、休みの日にしたいことがだんだんとわからなくなってきました。
それは、願っても実現しないと心の中でわかっているから、無意識のうちに「好き」を押し殺しているんですよね。
服を選ぶ時も、好きなものや似合うものが全くわからなくなっていました。
洋服の手入れに時間をかけられないし、すぐ汚すから、洗濯に強いものでなくてはいけない…
そうなると、購入するブランドは自ずと決まってきて、好き嫌いは関係なしに、思考停止状態で洋服を選ぶことになります。
実現しないと分かっているから、「好き」を封印する毎日。
そんな毎日を続けていたから、どんどん感覚が鈍くなっていて、ついには好きがわからなくなっていました。
でも、これは自己防衛なんですよね。
好きなことを明確に意識しながら生活していたら、実現しないことにストレスを感じてしまう。
だから、自分を守るためにどんどん鈍感になっていく…。
仕事でも同じだと思うんです。
雇われてるんだから仕方ない。
仕事だから仕方ない。
生活のためだから仕方ない。
こんな風に考えながら働いていると、自己防衛のためにどんどん鈍感になっていて、自分の好きなことが見えなくなっていく。
なんだか怖いなと思っています。
子供はいずれ大きくなるから、我慢のループから抜け出せるけれど、仕事はそういかない。
だから、意識的に「自己防衛」と向き合っていかなきゃいけないんじゃないかと思うようになりました。
私が最近心がけているのは、「強い不満」を押し殺すのはやめようということ。
「強い不満」は、心身に強烈なダメージを与えかねないので、体は自ずと自己防衛します。
強い不満を我慢している時、好きかどうかなんて本当にどうでもよくなっていて、悲しみや不安や、それに伴う怒りなどに支配されていることが多いです。
この状態は、「好きを仕事にする」ことから、1番かけ離れているように思います。
だから、相手がクライアントであっても、雇用主であっても、強い不満はきっちり伝えるようにしました。
もちろん、伝え方に工夫が必要なのですが。
意外にも、不満を伝えたことで何かを失った事は今のところありません。
「自己防衛」に向き合うことを、これからも続けていきたいと思っています。