「好き」探しが上手くなると、「苦手」なことに我慢できなくなる
先日、開業1周年を迎えた。
開業してからというもの、自分の「好き」や「得意」を探すことに必死だったと思う。
1年も試行錯誤を繰り返すと、「好き」を見つけることがだんだん得意になってきた。
でも、最近は、ちょっとした弊害に悩まされている。
それは、「苦手」だと気づいてしまったことを続けることができないということ。
たとえば私の場合、記事の修正がとても苦手。
しかも、それが腑に落ちない理由の場合は、なおさら。
だから、修正依頼がくると毎回悶々としてしまう。
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1年前の私なら、もやっとする気持ちを感じつつも、「これも仕事」と割り切るか、「これをやることで、スキルがまた1つ上がる」などと自分に言い聞かせて、それほど抵抗感なく取り組めたと思う。
でも今は、それができなくなった。
どうしても、「非効率」だし「意味がないこと」に思えてしまう。
好きや得意をみつける過程で、まさかこんな壁は立ちふさがるとは・・・。
さらに厄介なことに、苦手なことを嫌々やっていると、ものすごくモチベーションが下がってしまうことが判明した。
今日は、午前中に、1時間ほど苦手な修正をこなし、お昼を食べてリセットしたつもりが、その後の仕事が全く手につかなくなり、結局海外ドラマを見て過ごしてしまった(こんな事は滅多にないのに…)。
そんなわけで、ものすごく仕事が非効率的になってしまっている。
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いつものように、いくつか対策を考えたいと思う。
この苦手な仕事を手放すには、具体的にどのような方法があるだろうか。
おそらく、時間制の業務委託契約を締結して、細々とした修正をワーカーさんにお願いすることになるかと。
でも、1時間程度の修正のたびに、ワーカーさんに依頼したり、説明したりするのは多分面倒なので、結局は自分でやる気がする・・・。
1を伝えて10をわかってくれるような関係性じゃないと、この方法は無理かな。。
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次に、モチベーションを下げずに、自分でやりきる方法を考えてみる。
まず、大前提として、苦手なことも仕事のうちだから「やって当たり前」とか「知識やスキルにつながる」という考え方は選択しないでおこうと思う。
なぜなら、それをやってしまうと、前の私に逆戻りしてしまう可能性があるから。(また好きがわからなくなってしまう)
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脳は、他人から命令されるのが苦手で、集中できなくなるのだそう。
となると、記事の修正という「やらされ感」でモチベーションが下がっている可能性がある。
そういう場合の対策としては、他人にやたらされていると考えるのではなく、自分で選択している形式にすればよいのだそう。
これを記事の修正に当てはめると、こうなるかもしれない。
苦手なことをやるのは、人生の試行錯誤の一つ。
試行錯誤は、「成功か成功へための情報収集か」と考えれば、記事の修正もあくまで情報収集(最悪でも)。
今後、意味を見つけられなければ、手放せばいい。
そう思うと腑に落ちたので、しばらくは「苦手」にも向けあってみようと思う。