終末期医療について少し:カリフォルニアから来た娘症候群?
今回は、自分、家族の最期について定期的に話をする時間を作りましょう
というお話しです。
世界でも特に高齢化社会で有名な日本ですが、人生の最期をいかにして迎えるかというのは、行政だけの問題ではなく個人でも重要な課題です。
というのも、考え方というのは刻一刻と変わっていくものであり、そのときになってみないとわからず、気持ちはガラッと変わってしまいます。
例えば、家族から禁煙を勧められている男の人が、「自分は早死にしてもかまわないから吸うんだ」と声高々にいっていたとしても、いざ心筋梗塞になってしまえば救急車を呼んで、病院では助けてくれ、と訴えてきます。でようやく猛省し禁煙します。
自分が苦しい状況にならないとどういう行動するかなんてわからないわけです。
日本の平均寿命はおよそ80-90歳です。
となると、その子供は50-60歳になると自分の両親の最期を迎える可能性が高くなりますし、当然、体調を崩して病院に入院する、救急車で運ばれるといったイベントが、さらに若い時期、30-40歳代でも十二分にあり得ます。
たとえば、
60歳の父親が重篤な疾患で病院に緊急搬送され、人工呼吸をつなぎ、高リスクの手術を行えば、命が救うことができるが、過去の統計上10%の可能性で命を落とす(あるいは重篤な合併症が残る)可能性がある、といわれた場合
おそらく自分の親であれば60歳であれば頑張ってほしいと伝えると思います。
そしてたとえば85歳のときに、同じようなことを提示された場合は、痛みを取る緩和治療を選択します。
ではたとえばこれが70歳だったら?75歳だったら?80歳は?となると
正直、そのときにならないと決断できません。体が元気であれば頑張ってほしいと思う反面、親は人生に満足したと思っているかもしれません。
興味深いことに、
実際に85歳のときにどうするか、についても事前に家族内で話を進めていない家庭の場合は「とりあえず手術をする」、という選択肢を選ぶ方が非常に多いです。
もちろん病院側としてもなにもせずに諦めるよりは頑張りましょうという話をするところも多いというのもあるとは思います。訴訟社会となった今は救命できる人を救命しないというはかなり勇気がいる決断です。
いずれにせよ、もちろんこれが良い悪いというわけではなく、一般的な傾向として、心の準備がなければ、救命するほう(病院側の意見に流される)をみな選択するということです。
自分は循環器内科ですので、比較的この決断が急である疾患を対象とすることが多いです。たとえば、1時間にないに対処しないといけない、明日には結論をつけないといけない。といった感じ。
一方、心疾患を抱えて、徐々に心不全が悪化する場合、数年単位で今後を見据えて対処していく必要が出てきます。癌治療と似ています。
ペースメーカーを入れるかどうか、弁置換術(胸を開く手術)を行うか、といったことなどはもちろん、万が一、「心臓が止まった際に、心臓マッサージや人工呼吸器の処置は行うのかどうか」について常に考えておく必要があります。
これは以下の通り、
DNRあるいはDNARと呼び、わかりやすくいうと延命治療を行うかどうかという意味です。
DN(A)R: do not (attempt) resuscitation
これは単にすべての措置を中止するというわけではなく、
人工呼吸器を使用するかどうか
心臓マッサージを行うかどうか
といったことに対して事前に患者・家族・医療関係で意思疎通をするためのものです。ちなみに除細動器(電気ショック)については不整脈が原因とわかれば、DNRの結論に関わらず処置をすることが一般的です。
なんでこの2つが重要なのかというと
人工呼吸器は一度装着すると、なかなか離脱できません。
なにかはっきりとした原因があり、呼吸が止まっているということであれば治療により回復して、装置から離脱も可能です。しかしながら高齢となり、呼吸機能が落ちてしまった場合は、亡くなるまで人工呼吸器が繋がったままになる可能性があるわけです。
2.心臓マッサージは行っても蘇生する可能性は高くない。
こちらも同様で、心臓の終末期、あるいは高齢となると回復の見込みが少なくなります。窒息、不整脈、といった明らかな原因がある若い方であればこれらの措置により回復する可能性は高いですが、高齢の方は難しいことが多いです。無駄に体に傷を付ける可能性がどうしてもあります。
3. 高額な医療資源を消費することになる
心臓マッサージを行った際はほぼ必ず人工呼吸器を使用します。場合によって補助人工心臓、透析など加わり、1名あたり数千万円かかることも稀ではありません。日本は高額医療制度があるので結局は税金から支払われます。救急措置というのはそれだけ費用がかかります。
DNRはいつでも撤回可能です。入院したときにもう元気がなく、歩くこともできない、本人も最期でいいといったことなどから、延命措置を行わないという決断を示していても、体調が回復し、退院も視野にいれることができるようになったのでやっぱりDNRを撤回する、ということなどは自由に行えます。
と、ここからがそろそろタイトルを含めたお話になってきます。
こういった終末期というのは大体意見が割れます。
あまり最期について話し合いをしてこなかった家庭だと、一般的には患者さん本人は自然な死を望む一方で、家族が寂しさや罪悪感、その他いろんな理由からまだ長生きしてほしいと希望することが多いです。
全員が全員そうではないです。ただ、言えるのは、患者さんと長い時間を一緒にいる方ほど緩和医療を望み、時間が短い家族ほど延命を希望する傾向が高いです。
心理学的にいろいろ説明可能と思いますが、あえて言及はしないです。
病院に長期入院していると、家族が毎日のようにお見舞いに来て身の回りのケアを行ってくれているかたをそれなりの頻度で見かけます。
そうなると患者さん本人の体調はもちろんのこと、どんな治療を行っているか、現状はどうなのか、を毎日のような把握できることから、今後の治療方針についてもディスカッションをすることができるようになります。
そして患者さんの苦痛などを身近でみることができるので、これ以上辛い治療などは行いたくない、という風な考え方に徐々になっていきます。
当然ではありますが、90歳を超えるような患者さんの場合は、ちょっとした採血や食事、排泄介助などを見ているだけでもいろんなことを考える余裕ができ、
「退院にむけて頑張る」という考え方以外にも
「自宅で看取る」あるいは「緩和医療で自然な死を迎える」といったことなど、医療関係者と家族の間で自然と意見が一致して、トラブルなく死を迎えることができるようになります。
一方で、問題なのが、めったにお見舞いに来ない方です。
病院側から家族へわざわざ電話などで連絡するのは一般的に、
「侵襲治療を行うとき」
「急激な病状悪化の時」
「退院のめどが立ったとき」
となります。なので、なかなか普段の入院生活やちょっとした治療の内容などを知ることはできません。
したがって、病状のちょっとした変化に気づくことができず、急な電話連絡をうけて病院に来たときに、いつのまにか弱っている親族をみて驚愕し、色々無理難題を突きつけてきます。
大体は自分の仕事や遠方などを言い訳にして、夜遅くに病院に電話して文句を言ってくるタイプです。担当医を出せといわれても夜の電話だと当直しかいません。
病状説明なども病院の時間外である土日を指定してきます。こういう方がいなくならないので医療関係者の時間外労働は減らない、と愚痴を言っても仕方がないのですが、ここで少し発散。
ちなみにコロナ禍で面会制限のために訪問できる頻度が減ったというのは非常に悲しい話ですが、いろんな方法があるので真摯に病院に通っていると融通してもらえると思います。いまはビデオ通話もありますしね。
このパターンの場合は、
残念ながら患者さんがかわいそうな結末が多いです。
本人は入院中もう痛い治療はしたくない、と訴えてくるにもかかわらず、病状を理解しようとしない家族が、罪悪感なのか自分の罪滅ぼしのためなのか、すぐに亡くなってしまうことを許せず、いろんな侵襲治療を求めてくるというパターンです。
そして最期が一番災厄なパターン。
カリフォルニアから来た娘症候群。
すなわち、
毎日お見舞いに来る家族と、
めったに来ない(遠方に住む)家族、が同時に存在する場合です。
すでに医療関係者と家族間で話し合いをして決めた方針があるにもかかわらず、めったに見舞いに来ない家族が突然やって来て、終末期に対する方針が覆ってしまい、いままでの計画などがすべて台無しになるパターンです。
これがほんとによくあります。
こんな病名が付けられるくらいですしね。
残念ながらほぼ必ず、誰も望まない延命治療のコース行きです。
これは患者だけではなくお見舞いにきた家族、医療関係者もすべてが不幸になります。
急に現れた家族は自分の考えが通りますので、自信満々でいかにも家族のために自分がやってあげたと満足げですが、残念ながら医療関係者からは白い目で見られています。
そしてお見舞いに来ていた家族は、親を守ってあげられなかった、という罪悪感に苛まれる方が多いです。
カリフォルニアから来た娘症候群なんて名前はついていますが、自分の経験上は、企業で働く息子パターンが多いです。仕事で病院にはこれないけれどもいざ、親が亡くなると聞くと、焦って現れてきます。
でも頻繁に仕事は休めないし、で毎日のように電話だけして文句いったりしてくるただのクレーマーです。声が強くてでかい。
何も事情をしらない叔父・叔母や従兄弟が急に現れて、ささやいてくることもあります。介護者も精神的に疲れていますので、いろんな意見に左右されてしまうわけです。
子供が親に対して延命治療を望むパターンというのは、おそらくほとんどが罪悪感の払拭のためです。
いままであまり優しくしてあげられなかった親に対してなにかしてあげないと自分が薄情な息子・娘になってしまう。ここで延命してすこしでも長生きさせてあげることが自分ができること。永遠の別れはいまは受け入れられない。
といった具合です。
ぜひ今後後悔のないように生活し、また終末期について定期的に家族間で考えをある程度まとめておくのがいいかと思います。
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