被災地で頂いた『幸せな言葉』
こんにちは。
災害ボランティア団体愛生です。
今回は被災地でいただいた『幸せな言葉』について
お話していこうと思います。
被災地での活動
令和6年2月3日
石川県七尾市矢田郷コミュニティセンター
当時、120名程の被災者たちが避難して
生活していました。
私たちは、大阪からハイエースに1トン近くの
支援物資を積んで到着しました。
震災発生から1か月が過ぎていて
荷下ろしなどもスムーズに進むため
1トンほどの荷物は10分程で下ろし終わりました。
朝7時頃ということもありその後どうしようか
考えていました。
すると、館長さんより
『空いてるスペースでなにかして
頂いてもいいですよ』と
お言葉を頂きました。
私は大阪で整骨院を営んでいることもあり
もしかしてと思って持参した折り畳みのベッドを
置いてマッサージブースを設置しました。
ですが、初めて30分間誰も来てくれませんでした。
一緒に現地に行った人間と作戦会議をおこない
『まずは温かい飲み物を提供して緊張をほぐそう』と
持参したカセットコンロでお湯を沸かして
コーヒーを提供し始めました。
すると、少しずつコーヒーの香りに反応して
人が集まってきてくれました。
そこで
『身体が疲れている人はマッサージしますよ』と
声を掛けると瞬く間に夕方まで予約でいっぱいに
なりました。
そこからは、とにかく一人でも多くの人に施術を受けてもらうことに力を注ぎ時間は
あっという間に過ぎていきました。
夕方になってもマッサージ待ちは止まらず
結局22時まで続けさせて頂けました。
次の日も昼過ぎまではマッサージをして帰ろうと思っていたので前日から入っていた予約と
朝から聞いた予約をこなしていました。
A子さんとの出会い
その中で、今でも印象に残っている女性がいました。
年齢は40代で凄く控えめな方で人見知りが
激しい方でした。
近くに来て
『もう予約はいっぱいですか?』
正直、予約をこなすだけでも帰る時間は
過ぎていました。
ですが、これも何かの縁だと思い
『大丈夫ですよ。後でまた来てくださいね』
と言い最後のマッサージとして予約を取りました。
その方(以下A子さんとする。)は膝と腰が痛いと
訴えてきました。
長い間、避難所生活で疲労がたまっていると。
しかしA子さんが本当に私に求めていたことは違うかったと今考えればわかります。
A子さんの傷ついた心
A子さんは3人姉妹の末っ子でお姉さんは
大阪に住まわれている。
A子さんは2人の姉と仲が良いのだが
姉2人は仲が悪い。
震災の半年前に長女さんが住む門真市に
遊びに行ってその後、次女さんの住む大阪市で
ご飯を食べて石川に帰ってきた。
その1か月後に長女さんと急に連絡が
取れなくなったことを次女さんに
報告して、次女さんも長女さん久しぶりに
連絡をする。
返信はなかった。
A子さんの強い要望もあり次女さんは長女さん宅へ。
長女さんは自宅で亡くなられていました。
大好きな長女さんを亡くしたA子さんは強く自分を責められていました。
その後A子さんは鬱になってしまいました。
人との会話は極力避けて
1人で過ごす日々が始まったと。
自分を責めない日はないと。
『もっと私が早く気付いてあげれていたら』
『大阪に住んでいてもっと近くに居てあげれてたら』
『自分が悪いんです』
そう涙ながらに私に話してくれていました。
では、なぜ私に話してくれるのですか?
と質問してみました。
返ってきた言葉が
『マッサージを受けた人が避難所の部屋でみんな
言っていました。あの人にマッサージをしてもらうと元気が出た。と。なので、この人なら受け止めて
くれるかもしれないと思い話しました。』
本当にツライ思いをされて今まで過ごしてきたのが
伝わってきて私も少し涙が出そうになりましたが
グッと堪えて施術を続けました。
その後も色々と話をさせて頂いて
施術が終わった際に
『お話聞かせて頂きありがとうございました』と伝えると泣きながら帰って行かれました。
少し寂しさも残しながらのお別れになって
しまいましたが被災地での出会いなので
仕方ないと思いながら帰り支度をして館長さんに
あいさつに行きました。
避難所との別れ
そして、避難所から出ようとしたときに
2日間で施術させて頂いた方達が花道を作って
送り出してくださいました。
『本当にありがとね。元気が出たよ。』
『また、石川県に来てね。』と、うれしい言葉を
頂きました。
遠くの階段を走って降りてくるA子さんの姿が見えました。
忘れられない『幸せな言葉』
A子さんは私の前に立ち手を握って、私の施術家人生で最も『幸せな言葉』を言ってくださいました。
『救われました。ありがとうございました。』
施術家になって17年。
今までで確実に1番嬉しい瞬間でした。
お互い涙を堪えることが出来ず
そのままお別れしました。
被災地で今もまだツライ思いをしながら生活されていることだと思います。
その時も、まだまだツラかったはずです。
ですが、あの言葉を頂いたことにより私の人生も
大きく変化することなり
『もっと多くの人を救いたい』と考え
災害ボランティア団体 愛生(愛から生まれる支援)を
設立しました。
もう、A子さんにお会いすることはない
かもしれません。
しかし、私があの瞬間を忘れることはありません。
その時に伝えられなかったことをここで伝えます。
A子さんへの想い
A子さんのお陰で私は変わることが出来ました。
これからもA子さんが元気で明るく生活していけることを心から願っています。
本当にありがとうございました。