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5年振りに買ったCDは「光の跡」という人間讃歌だった

※これから星野源の新曲「光の跡」について書きますが、あくまで個人の感想です。他の誰かに強制したり矯正したり、他の意見を否定するものではございません。喧嘩は売られても買いません。

私にとって音楽をApple Musicで聴くようになったのは、2018年頃だったらしい。それからというもの、物理的なCDを買って聴く、ということをほぼしてこなかった。多少の例外はあれど、デジタルデータのやり取りで、音楽体験の全てをこの数年間賄ってきた。

それで不便を感じることはあまりなく、音楽にかけるお金は節約できていたように思う。サブスクを使うからこそ出会えた音楽もあり、それはそれで良かったと思っている。

が、いろんな要素と偶然が重なって、星野源の新譜「光の跡/生命体」を購入した。メガジャケが欲しかったのでAmazonで。自分の住む街は地方の小都市で、どんどん物理的な音楽媒体を扱う店が減っていることに危機感を覚えつつ。

「何か自分にとって特別な音楽体験になるかもしれない」という予感。イベントへの抽選権がついてくること。そして、歌詞カードを見ながら歌を聴くことの良さを思い出したこと。他にも小さな要素がいろいろ重なり、私は12月中旬にポチりとした。

今、そのCDを手にしている。メガジャケは簡易的なレコードジャケットのような印象で、今回のジャケット写真の素晴らしさと相まって、飾っておきたい物となっている。額縁か何かがあった方が良いかもしれない。

音源がリリースされるまでに、歌詞が先行して公開されていた。主題歌になっている映画とのコラボムービーも。光の跡という曲に期待が高まっていった。

実際に聴いてみると、サウンド的には今っぽい感じもあり、でも懐かしさも感じる、なんとも言えない魅力的な音になっている。でも歌詞は、とっても「今」な感じだ。様々な不安が飛び交い、恐れや怒りが世界を曇らせているような今の状況の中で、光り輝く希望の道筋、それこそ「光の跡」を鋭く描き出している。

この曲の英題は「why」。歌詞の中で何度も「なぜ」と問うシーンがある。ここからはかなり私見で語るのだけれど、人が生きているということ、そのものを力強く肯定してくれるような歌詞だと感じた。

心は保存できないし、時間は朽ちてゆく。
生きることに意味など無いし、今生きてる人も必ずいつかは死にゆく。例外などなく。

それでも生きていることには喜びが伴う(こともある)し、生きているうち、僕たちは何度もそれを思い出し反芻する。携帯の画像も、その時やりとりしたメッセージの履歴も、snsのログも、全てはその時の心の内側を再現するためのスイッチなのだと思う。そしてそれは、意味など無いかもしれないが、無駄なことでは無い。生きてて無駄なことなど無い。

CDのブックレットで、星野源は光の跡についてこのようなコメントを寄せている。一部抜粋してお届けする。

好きな場所に行くことも、味わうことも、楽しむことも、生きることも、そのすべてはすぐに終わります。本当に、「今のうちだな」と思うのです。

星野源のCD「光の跡/生命体」ブックレットより

生きていることの多くの日は、簡単な日ではなかったりする。困難なこと、嫌なこと、不安なこと、怒り、恐れ、憎しみ。そういったものをはらんだ日々も少なからず存在する。

それでも生きていくのだ、今出来ることを味わうのだ、楽しむのだ…そう星野源に諭してもらった気がした。

物理的なCDを手にしてジャケを飾り、彼のラジオを聴き、歌詞カードを眺めながら聴くその曲は、確かに私の中で何かが違っていたのだ、他の音楽体験と。

それが何であるかはうまく言葉に出来ない。探したけど見つからなかった。でもそれで良い。私の心の中に確かにあったことだから。そう、星野源が旅先で見かけた、彼だけが知っている光の跡の様に。

良い音楽体験、というものは、近年えてしてライブだと私は思っていた。でも今は少し考えが変わった。新しい音源を手にして再生する時のワクワク感、それも確かに良い音楽体験なのだ。それをかつての私は知っていたのに、デジタル化された音楽体験の中でいつの間にか忘れていた。

大事なことを思い出したら、記録しておこう。何よりも誰よりも、未来の自分自身の為に。

そう思って今日、このnoteを記す。
この感覚を他の誰かと共有できたら嬉しいなと思いつつ。

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アオイ@本と松江とカルチャーが好き
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