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見ることは、感じること
視覚障害者が「見る」ことにトライする試みがあることを知った。
一つは、視覚障害者が美術鑑賞すること、
そしてもう一つは、映画鑑賞することだ。
美術鑑賞する白鳥さん
以前も紹介したが、白鳥さんは全盲でありながら美術鑑賞する。
白鳥さんには付き添ってくれる人がいて、彼はその人の解説を聞く。そして今度は、白鳥さんが付き添いさんに質問する。そうやって、2人で1つの絵を、各自のイメージで見る。正解はない。正しい絵の説明なんてないし、正しい絵の解釈もない。それぞれがイメージを膨らませて、絵を楽しむのだ。
見える人と見えない人の差異を縮めることではありませんでした。むしろ視覚障害者の方々と一緒に見ることで、美術館や学芸員、そして会社の私たちのほうも得るものがあると感じました。作品の見え方というのはとてもパーソナルなもので、見えている人同士でも必ずしも一致しないものです。障害の有無は関係なく、その認識のズレを対話することで埋めることができるのではないかと思いました。
バリアフリー映画館・CINEMA Chupki TABATA
もう一つは、視覚障害者が映画を見ることのできる映画館。
目の見えない人が、あらかじめ吹き込まれた解説を聞きながら映画を見る。
解説は、ボランティアが行っている。
喋りすぎてはいけない。想像を邪魔しない程度の解説が望ましいという。
美術鑑賞と映画館、この2つに共通していることは、
・見えない人を対象にしているということ
・共に感じることが目的であること
・そのためのツールが、言葉であること
・またソフトとハードの環境が整っているということだ。
美術鑑賞には、同行してくれる人がいて、それを受け入れてくれる美術館がある。
映画館にも、音声吹き込みをやってくれるボランティアがいて、障害者に理解のある映画館がある。
見ることは、感じることなのだと思う。
ベタな言い方だが、目で見るのではなく、心で見るのだ。