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あの年の皐月賞は忘れない

1993年2月、私は会社勤めの他にアルバイトをしていた。
オープンしたての渋谷のショットバーのバイトは、大学生とフリーターばかりだった。

新入社員の私が配属されたプロジェクト、唯一の先輩が田町のカラオケバーで働いていたのに影響を受け、私も二足のワラジで夜働き始めた。疲れ知らずの20代。

金曜日の夜は、東スポを手にしたバイト仲間たちが週末のメインレースのことを熱く語っていた。女子大育ちの私は、競馬のことはまるで分からず、遠巻きにしていた。彼らはとても楽しそうだった。

週末はたまにオールで入って、朝の4時まで。店が閉まると駅近くの24時間営業の居酒屋で、みんなで飲みながらうだうだと始発を待つ。

じゃあ行くかとついでのように誘われて、府中まで。2月の東京競馬場は極寒だったはずなのに、寒風吹き荒むB指定席でも、彼らの熱気は冷めることが無かった。眠気の中、午後まで。

その日のメインレースは、共同通信杯4歳ステークス。
陽光の中、パドックで見たグレーの芦毛、赤いメンコにまあるいお尻、可愛らしいその姿に惹かれて、その子、ビワハヤヒデの複勝を買った。馬券の買い方はまるで知らなかったから、応援馬券のつもりで。

1番人気の愛らしいあの子は、ゴムまりのようにゴール前に走り込んできて、2着になった。胸が熱くなった。

その年は空前の競馬ブーム。
サラブレッドのひたむきに走る様に魅了され、ビワハヤヒデのぬいぐるみも買ってしまったのは、たぶんその時に好きだった1歳下の大学生の男の子と距離を縮めたかったからかも知れない、笑。

その次のレース、G1皐月賞にも誘われて、バイト仲間たちとその彼女さんと中山競馬場の4コーナー芝生席。
ビニールシートに寝転んで、思い思いにジャンクフードを食べ、生ビールを飲んで、日がな1日、駆けっこしているお馬さんを眺めた。
ピカピカな毛艶のその背に向けて、大声で応援する。あーこんな娯楽もあるのね。

その日は1番人気ウイニングチケット、2番人気がビワハヤヒデ、 3番人気ナリタタイシン。その日の、その年の3強が揃った。
贔屓のハヤヒデとスマートなナリタタイシンの馬連、ガレオンの複勝を買った気がする。

レースは3番人気のナリタタイシンが武豊の好騎乗で勝った。もの凄い差し足で突っ込んできたガレオンの脚が凄まじかった。
同着のハヤヒデが2着。ガレオンは進路妨害とされ降着となった衝撃的なエンディングだった。

のちに京都競馬場に遠征した時に、たまたまガレオンの妹を見つけて、それからずっとこの一族を応援したのだけど。


その時代を形作った一角、ナリタタイシンが亡くなった。という今日のニュースで、めくるめく記憶が思い出されたというお話。

ギャンブルと侮るなかれ。騙されたと思って、週末競馬場へ行ってみてほしい。1度はサラブレッドの美しさをみてほしい。人の思惑で生かされている、儚くて尊くて美しい競走馬のひたむきさを見てあげてほしい。

きっと魅了されるから。人の心を打つ。血統のスポーツ。

競馬にまつわる話はいくつもあるけど、今日はここまで。またいつか、気が向いたら。

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