「お母さんなんか、大嫌い!」のその後
先日、4歳の次男に言われた一言・・・
「お母さんなんか、大っ嫌いぃっっ!!!」
一人になってかなり落ち込み、内心ドキドキしながらお迎えに行くと
ぱっと気づいて、いつも通り、笑顔で駆け寄ってからの飛びつきだっこ。
「ただいまーー!」と、いつも通りの挨拶。
私がいつも「ただいまー!」とお迎えにいくので
次男もいつもそう言うのだ。
そして、「お母さんにプレゼント!」と今日の作品を紹介してくれて
帰り道では大切なだんごむしを分けてくれた。
(写真はプレゼントしてくれたぬりえと英語で書いたというお手紙)
うん、いつもの次男だ。
心底ほっとしながらおうちに帰り、ごはんを食べた後、
いつもは食べない特別なチョコレートマフィンを食べているときに
私の思いを伝えてみた。
「お母さんさぁ、
朝、次男に『お母さんなんか、大っ嫌い!』って言われたとき
お母さんは次男のこと大好きだから、すごく悲しかったんだー。」
「ごめんね!」
とてもライトなごめんねが返ってきた。
うん、それもいつも通り。
それでも、何かしら伝わっているだろうと信じ
「いーいーよ!
特別なチョコレートマフィンは仲直りのしるしだよ^^」
と答える。
「お母さん大嫌い」なんて、こんな悲しいことが日常であってほしくない。
だから、特別。
「えへへ。やったー!^^」と素直に喜んでくれた。
***
そして、夜寝るとき。
突然、次男がしくしく泣きだした。
「Yくんが、お友達になってくれなかったのぉ」と泣いている。
「Yくんが泣いてたからよしよしってしたのに
お友達になってくれなかったの・・・」
「ぼくのこと、めっちゃ大嫌いだっていったの・・・」
話を聞いてみると、昨日、何かがきっかけでけんかになり
お互い、えいえいっとやり合った後
「めっちゃ大嫌い」と言われたらしい。
その場は先生が入り、とりあえず収まったけれど
その後、別件でYくんが泣いていたときに、
次男がよしよししたのに『お友達になってくれなかった』らしい。
***
なるほど、突然の『大嫌い』発言はここから来ていたのか。
今までに次男が『大嫌い』発言をしたのは
間違って飲んだ炭酸と私だけ。
ハトに大事なストライダーに目の前で糞を落とされても
「でもハト嫌いないよ」と寛容な次男。
いきなり『大嫌い』まで降格されたので驚いたが、合点がいった。
***
「そっかー。Yくんに『大嫌い』って言われて悲しかったんだね。」
「うん。(ぐすっ)
ぼくはYくんのこと大好きだから、悲しかったの。
Yくんいつも優しいの。だから大好きなの。」
「うんうん。そうなんだね。
Yくんのことが大好きだから仲良くしたいんだね。」
「うん。」と目にいっぱいまでたまった涙がまたポロリとあふれる。
子どもの涙は本当にきれいな玉になって落ちる。
「次男はこれからどうしたい?」と聞くと、
「・・・だいすきってお手紙書けばいいんじゃない?!」と
ぱっと表情が明るくなった。
「いいねー!じゃあ次男の気持ちをそのまま書いたら?
大嫌いって言われて悲しかったけれど、ぼくは大好きだよって」と言うと
「ううん、悲しかったのはもういいの。
だいすきだよ、だけ書く。」
***
そうか。
次男が伝えたいことは、悲しい気持ちになったことではなく
『だいすきだよ』だけで十分なのか。
大嫌いと言われたときに、それでも相手のことを
「いつもは優しい。ぼくは大好きだ」と言えることにも驚いたし
その伝え方にも驚いた。
言われてみれば、私もそうだ。
次男に一番伝えたかったのは「私は大好きだよ」という気持ち。
でも言葉として出たのは
「お母さん次男のことが大好きだから悲しかったよ」だった。
ちょっとしたことだけど、だいぶニュアンスがちがう。
次男の言い方の方が素直な分、相手にきちんと伝わるし
相手もすっと受け入れられるだろう。
うーーーーん、こりゃ一本とられた。
もちろん、悲しい気持ちになったことも伝えたければ伝えればいい。
隠す必要はまったくない。
それでも、同じ『だいすき』の気持ちが込められていても
「悲しかったよ」より「だいすきだ」の方が相手はうれしいだろう。
***
次男は今まで、みんなと仲良く遊ぶこともあったし
自分ひとりの世界を楽しむこともあったが
去る者、追わずというか
特定のだれかとここまで関係をもとうとすることがなかったように思う。
そんな次男が自分から「お友達になりたい」といって
相手に寄り添おうとしている。
本当に、子どもというのは自分の知らないところで
どんどんどんどん成長しているんだなぁ。
Yくんも本当に優しい子なので
次男の『だいすき』をきっと受け入れてくれるだろう。
明日もみんなが楽しくすごせたらいいな^^