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お母さん、ありがとう!!

私が女に生まれてよかったと思うことーー
それは、マザコンでも ‟仲良し母娘” で許されることだ。

何を隠そう、私は極度のマザコンである。

九州から関東の大学に進学し、一人暮らしをはじめたが
毎日2時間は電話していた。

「おはよーこっちは良いお天気だよー!」の電話、「今学校にむかってるー」の電話、「バイト終わったー!」の電話、そして一日の〆の電話。

ほとんどの話題において、母と話すのが一番楽で楽しかった。

たまに母が1週間くらい遊びに来て帰った後は
何をしていても母のことを思い出し涙目になっていた。

まさに「いつでも探してしまう~どっかに君の姿を~
こんなとこにいるはずもないのに~(by 山崎まさよし)」状態である。

もし私が男だったら、一生独身だったかもしれない。
(だって、そんな旦那さんいやだもんね・・・)

私は先天的な病気をもって生まれた。

生まれてすぐから県で一番大きな子ども病院に入院し
大学に入るまでの18年間で15回以上の手術とそれ以上の入院を
繰り返してきた。

私が3歳くらいの頃、父の転勤で沖縄に引っ越すことになったが
専門の良い先生に診てもらえていたので、病院は移らず
月に一回飛行機で通院した。

いろいろ大変だったが、私にとっては物心ついたときからそうなので
「手術がこわい」とか「病院いやだ」という感覚はなかった。

むしろ、大変なのは母の方だった。

入院中には楽しみがいっぱいあった。
いや、正確には、母が楽しみをいっぱい用意してくれていた。

一番のお楽しみはフラペチーノ!

私は毎日スタバのフラペチーノをリクエストした。
長い呪文つきで。

『今日は、抹茶フラペチーノ グランデサイズ ブラべミルク パウダー多め
 シロップ多め ホイップ多め チョコソース追加でよろしく!』

毎日食べているとすぐ違いに気づくので
「あーー!これブラべミルクじゃない~!!」と困らせたりもした。

当時は知らなかったが
このサイズのフラペチーノって600円くらいして
毎日買うには結構いいお値段なのだ。

入院・手術だけでもお金がかかるのに
うちはお金持ちというわけでもなかったのに、
それでも何も言わず買ってきてくれていた。

土日の楽しみはなんといってもお散歩!

小学生になると大学病院に移ったので、病院の敷地はべらぼうに広く
飽きることがなかった。

・窓という窓がアルミホイルや暗幕で閉ざされた闇の法医学棟。
(カラスがいっぱい住み着き、近くに古井戸まであって本格派ホラー)

・学生しか入れないアカデミックな雰囲気の図書館。
(「自由研究で○○の本読みたいんですけど」というと入れてくれた)

・四つ葉のクローバーが山ほど見つかる草っぱら。
(母は山ほど見つけられるが、私はなかなか見つけられない)

・名前をつけてペットのようにかわいがっていた亀のいる池。
(ほっぺの赤が大きいのが亀吉で、亀なのに俊敏なのがうさぎ)

・他の病棟のちょっとリッチな売店
(ここにだけブラックモンブランがあった!)

いろんなスポットを発見しながら、お散歩した。

私は車椅子に座っているだけだったが、母は車椅子を押しながらなので
いつも汗だくになっていた。

お散歩から帰ると、一緒のベッドでお昼寝した。

いびきをかいて豪快に寝ているところを
検温やおやつの時間にきた看護師さんに何度も目撃され
「お疲れですよね」と笑われ、ちょっとした名物になっていた。

そんなに良くしてくれていても、たまに甘えて
「手術いやだなぁ」とつぶやいてみたりした。

そんなとき、決まって母は
「ごめんね。変われるものなら変わってあげたいんだけど。」と言った。

母は普通に働いていたし
姉のことも、家のことも、しなければならなかった。

父は仕事が忙しかったので、すべて母一人でこなしていた。

毎日、定時きっかりに仕事を出て
フラペチーノをまちがえないように買って
走ってバスに乗り込み、汗だくでお見舞いにきてくれていた。

ごはんと歯磨きを終えるまで(時には面会時間ぎりぎりまで)いてくれて
急いで帰ってから、ご飯をつくり、やっと姉と夜ごはん。

そこから、洗濯・アイロンなどの家事を済ませ、持ち帰りの仕事をした。

本当に多忙だったと思う。
「お母さんって大変だな」と他人事のように思っていた。

(今思えば、「今日は元気だからお見舞い大丈夫だよ。ゆっくり休んでね」
 と言ってあげればよかった。)

そんな私もお母さんになった。

5歳・4歳・2歳の保育園に通う子どもたちは本当に良く体調を崩す。

去年1年間だけで
長男は川崎病で長期入院、次男は熱性痙攣で救急車で運ばれ
三男は肺炎とRSで2回入院した。

(ちなみに私も牡蠣にあたって路上で子ども抱えたまま動けなくなり
 救急搬送された。本当に厄年のような一年だった。)

それ以外にももちろん、インフルエンザ、手足口病、溶連菌など
さまざまなウイルスを丁寧に漏れなく吸収してくる。

子どもの入院って本当に大変なのだ。

細い腕が点滴でつながれているのは本当に痛々しいし、
鼻からの酸素チューブを嫌がる気持ちも本当によくわかる。

心の底から「変われるものなら変わってあげたい」と
こちらまで泣きたい気持ちになる。

だが、もちろん泣いている暇などなく
家に帰ってもやらなければならないことは山ほどある。

残り二人をお迎えにいき、急いで買い物・夜ご飯の支度をし
(といってもだっこしたり、お話を聞きながらなので、まあ進まない!)

お風呂に入れて寝かしつけて、旦那さんとバトンタッチしてから
翌日の仕事の準備をしてタクシーで病院に戻る。

そして「さっきまで起きて待ってたんですけどね・・」という
看護師さんの報告を受け、「ごめんね」という気持ちで
そっと隣に横になる。

たまに、着くなり「遅い!」とか「お父さんが良かった!」と言われ
いつまでもふてくされているときは
そのままUターンしたくなる日もあるが

やっぱりかわいそうに思って
できることはなんでもしてあげたくなるのである。

そして「お母さんもこんな気持ちだったんだろうな」と思うのだ。

おかげさまで、子どもたちも少しずつ逞しくなってきたし
私も入院することはなくなった。

お母さんとは今でももちろん仲良しで、孫もよく可愛がってくれる。
(孫可愛さに九州から上京してきたほどだ!)

まだ働いているので相変わらず忙しそうで
近所に住んでいても毎日会えるわけではないが
会えば話は尽きない。本当に尽きない。

今の私があるのは、間違いなく母のおかげだ。

母がいたから乗り越えてこられたし
これからも踏ん張れると思う。

姉にも(入院中は本当にさみしい思いをさせたと思う)、父にも
旦那さんにも、子どもたちにも
もちろん「ありがとう」なんだけれど

今、一番の「ありがとう」は、母に伝えたい。

お母さん、いつもありがとう。
これからもいっぱいおいしいものたべて、いっぱい話そうね!

(その割に母の日忘れててごめんね!)

===

このnoteは拓さん(Twitterアカウント @takusan_soudan)主催の

『皆んなで作る 感動、感謝のエピソード本
 ~みんなの力で被災地の子供達の未来を応援しよう!!~企画』

のテーマに添って書きました。

メンバーみんなのエピソードを集めて
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私の拙いnoteが少しでも子どもたちの未来の
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