④父と母の未熟さから受けた傷と、回復と納得と自分として生きる事

*家族の事、過去の事、記憶があいまいなことを書くのは難しいなぁと思いつつ、いったん今の私の主観の整理として置いておきます

私の幼少期は、未成熟な父と母との関係によって大きな影響を受けました。感情的でコミュニケーションが難しい父、そして自分の感情を理解できず、物事を深く考えるのが苦手な母。
その二人の存在が、私の心にどのような影響を与えたのか。そして今、私は何を学び、今後何をしたいと思っているのか。この記事では、そんな私の思いを綴ります。

父のこと:感情的で言葉にできない苛立ち

父はとても感情的で、怒りやすい人でした。日常的に自分の怒りを爆発させ、私を叱るふりをしたり、私が泣くと満足そうに笑ったりすることもありました。
(もともとは、悲しい・怖い・泣きたい、位の素直な気持ちだったのですが、怒られることが度重なる中で病理的防衛機能、ころす・しにたい・消えたいという所まで感情がこじれて修復が難しくなっていた。)
私にとって、父のその姿は、当時は恐怖ではしかなかったですが、「感情をどう表現するか」という大きな課題を投げかけました。彼の未熟さから学んだのは、感情を無理に押さえ込むことの苦しさや、言葉にできない思いが生み出す孤独感でした。
また、私をからかうこともあり、外見や性格について辛辣なことを言うこともありました。そんな父の態度は、私に自己価値を見出すのを難しくさせました。

母のこと:感情を理解できない母親

母は自分の感情をうまく理解できない人でした。自分が何を感じているのかを言葉にするのが苦手で、過去の事や嫌なことはあえて振り返らず、自分の内面や相手の内面を感じる事は苦手だったようです。
母がいっとき、宗教に傾倒して私を引き込もうとした経験も、死というテーマについて幼少期から考えさせられるきっかけとなり、その影響で自分の存在意義や人とのつながりについて深く悩むこともありました。
(幼稚園の年長だった私がひとり取り残され「宗教を信じていないあなたは死後復活し、永遠の生命を得る。信じていない家族は皆死ぬ」と信者に教えられ、私のだけ取り残される不安を母には聞いててもらえなかった事。そこから、家族に死んでほしくないと思うことをあきらめ、恥ずかしい事と思い、愛着を持つ事をあきらめ、寂しいときに誰かに助けてもらいたいと思う事もあきらめてしまった。
最近やっと、幼稚園児ぶり位に母に思っている事を会話できるようになり、この件について話したところ、「そりゃあみんな普通死ぬでしょう」の一点張りで、幼稚園児が家族が死んで取り残されることに対する不安については、話しても理解をしてもらえなかったので、能力的に難しいのだと思う。また同じように、私も人の感情への想像力の低さがある)

未成熟な親からの影響:苦しみと学び

両親の未成熟さに傷つきながらも、大人になった今、その経験を見つめ直すことで新たな気づきを得ています。カウンセリングを受けた当初は母へ怒っている自覚はなく、過去の記憶もなく、全てを忘れて諦めていた。ただ人のちょっとした苛立ちが怖い、位の感覚でいた。
けど人間、意識できる範囲は一部で、無意識の中まで意識を入れていって、やっと色々な事を思い出し、再学習をしています。

子供としては苦しい環境でしたが、自分の困っている所に意識を入れて、今の私を形作れたと感じています。未成熟さの影響を受けたことで、自分自身もまた「未熟」であることを許し、受け入れることの大切さに気づきました。これは成長するための大きな一歩でした。

必要だと思うこと:環境と理解、そして成熟

両親の未成熟さに傷ついた私にとって、感情を安心して表現できる環境が必要でした。未熟なまま成長することが許される場であり、心を開く練習ができること。それが、過去の傷を癒し、他者との信頼関係を築くために不可欠だと感じています。
今、私が目指しているのは、そうした環境を自分自身や周囲の人に提供できる存在になることです。誰もが未熟な部分を抱えていますが、その未熟さを他者と共に成長させていくことができる場を作りたいと思っています。
まあ・・・いくつになっても経験して気づいて成長は出来るんですよ。

人に話してもなかなか理解してもらえない経験を、苦しみにならないくらいにするには、環境と理解、そして今の私にはコミュニケーション力や思考力や想像力や経験がめっぽう大事!

最後に:自分として生きる事

両親から受けた影響は大きなものでしたが、混沌とした中で経験しているプロセスや気づきは、人とシェアをしあってつながっていきたいという思いに繋がっています。
虐待ってワードを使ってしまうと大げさに見えてしまうのですが、生きてる中で傷ついたりつまずいたり、その上で学び直したり気づきなおしたりして成長していくのは、ものすごく普通の事なので。
未成熟な親を持った子供や、そもそも親をうまくやれない親だって、自己理解が難しい人だって、傷つくことも傷つけてしまう事もそんなのは普通で、ていうか時代の流れは速すぎるし、完璧なんて存在しないし、でもそんなの他の場所でも補給出来たりできる、誰でもいつでもやり直せる世界がいいな、と思います。
未熟さを受け入れあい、成長を支えてくれる環境を作れる一助になれることを目指しています。

そんな感じで、こんなことしたい!というお話を次回は書く予定です。
いや~連続で自分語りをした!これで一通りは済んだんじゃないかな!!

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