『量子芸術宣言』を読んでみた
『量子芸術宣言』
かねてより読みたかった松澤宥著『量子芸術宣言』をやっと拝読できました。
プレミアがついていて購入を断念。ネットで調べると大学の図書館などに所蔵されていることは確認できるものの遠方のため難しいなぁと思っていたところ、ふと、郵送で借りられないのか? と思い立ちました。問い合わせてみると、個人の方に直接郵送はできないが、自治体の図書館を経由することで貸出しが可能とのこと。
なるほどその手があったか。
もっと早く気付け。
送料は自己負担になりますが、購入するよりもはるかにリーズナブル。ちなみに公共図書館ってものすごくありがたいですよね。こんな高価な書籍だってお取り寄せできるんだからフル活用したらこれだけで住民税分元が取れるかも。
ということで、早速拝読。ページ数は300ページ程ありますが、テキスト量は多くないため、"読むだけなら"1日もあれば読めます。ところが理解するのは大変で…恐れ多くも忌憚のない感想を一言で述べさせていただくなら
難解。意味不明。
何か暗号が隠されているのではないかとさえ思います。
消化不良どころか咀嚼さえままならいため読書メモ的にここに書き留めておきます。
構成
二部構成で第一部は量子芸術の9つの宣言および公案、假設、演習が記載されています。
第二部では22章からなり、量子芸術?的な考え方?が量子力学や数学などからの引用とともに記されています。
ちなみにこの本の第二部では「章」を「弦」と呼んでおり1弦、2弦などと書いています。おそらく弦理論から来ていると思われます。
各ページは基本的に20字x20行で構成されており、このグリッドで言葉遊びをしたいがために変な日本語になっているような個所も見受けられます。
9つの量子芸術宣言
では、メインの九つの量子芸術宣言を自分なりの解釈でまとめてみます。(「まとめてみます」と書いたものの、まとめきれない部分もあります…。)
量子力学から着想される芸術で、既存の芸術からのパラダイムシフトを起こす。
量子力学的観念の新しい脳で想像する。
物理学者が新理論を構築するときのような恍惚と達成感を求める。
死、無を想う。
見えないものを意識や知によって見ることのできる眼を持つ。
量子芸術の創出を急ぎ、人類消滅までに人々に享受させる。
ミッシングマス(ダークマター)の様な見当たらないもの、ミッシング・アートを探し当てる。
終焉?
宣言一から七までは頑張って要約してみましたが、宣言八、九はダメでした。
宣言一から七まではまぁそれなりに宣言っぽくはあるのですが、宣言八、九は他の7つとは異質です。
宣言八は文字通り?「空」です。宣言八のページには何も書かれていないのです!
また、宣言九は「宇宙の破局的崩壊について語ってみよう」と書かれていて、松澤宥についてネットで調べると「消滅」「終焉」というキーワードで語られているので、まぁそういう感じのことなのかなぁとふんわり思ったりします。
公案と假設
公案も假設もなじみのない言葉でしたが、公案は禅問答の意という理解。假設は仮説。
一例として公案と假設を一つずつ引用しておきます。
公案二の方は決して私がタイプミスしているわけではなくこういう文体なのです。下二行は公案(禅問答)っぽいので理解できますが、前段は意味が分からない…。
また、松澤宥の他の作品への言及もあるためこの本を読んだだけでは理解できない部分も沢山あります。
演習
演習とよばれるこれまた難解な禅問答みたいなものが書かれています。不思議なものばかりです。例えばこんなことが書かれています。
演習といいつつ、いったい何をすればよいのか…。[規定]とは…。
第一部についてはここまで。
メメントモリ
この本の大部分を占める第二部にはメメントモリというタイトルがついています。
引き続き摩訶不思議かつ量も多いので流石に一つずつ要約して紹介というわけには行きませんので、私個人の稚拙な感想をもって代わりとさせていただきます。
全体的にビッグバンとかダークマターとか超弦理論とか、まだ未解明の神秘的な事象、理論について他文献からの引用をして、それについてどう思うか? というような記述が多いです。例えば以下。
前段が引用で、次の段が松澤氏の書いた文章です。
今の自分と同じ様に、松澤宥という人も量子論に出会って宇宙の始まりとか光とか時間とか重力みたいな神秘的なものに魅せられ、いてもたってもいられなくなったという感じがひしひしと伝わってきます。以下の様な記述もあり、新しい芸術分野の先駆者になってやろうという気概があからさまに見て取れます。
ちなみに、この文章の後には5枚のペンローズ図が続きますが、何の解説もないため見ても何のことなのかはわかりません…。この書籍からの引用らしいですが私はまだ読んでいません。
本書は1992年発行ということもあってか、まだコンピューターアートや量子コンピュータへの言及はありません。あくまで量子論に触発された観念的な芸術について書かれています。
本書を理解するには松澤宥という人の思想を学ぶ必要がありますが、ネットで見られるものだけでは限界があるようにも感じます。こちらは一番信頼のおける情報源である松澤宥作品のアーカイブサイトです。
不勉強で恐縮な感想ですが、こういった観念だけで新しい芸術を推し進めていってもトリッキーになりすぎて自分の頭では処理できそうにありませんし、ハイコンテキスト化が進む他の現代アートと何が違うのかなぁという気もして来るので自分はそっち方向に進むのは遠慮しておこうかなと思います。
これはこれでいばらの道ですが、やはり量子コンピューティングのようなテクノロジーと共に進み、何かしらの現象を用いた芸術表現を行う道に個人的には惹かれます。
本書は『量子芸術宣言』というタイトルのとおり、まさしく量子芸術というものの変数(定数ではなく)が定義されたなぁという感じはあるのですがその変数に何を入れるのかはまだまだ未知数だと確信しました。
この本を読んで「量子芸術とはこういうものだ」と理解することはできないと思いますがこういう方向性もあるという一つの方針の参考にはなります。
気になる方は是非一度読んでみてください。