量子芸術への誘い
量子物理学に興味を持ったのはいつからだろう。
"クォーク"という単語を初めて聞いたのは高校の時だったと思う。学校で習う電子や陽子よりもさらに小さい粒子があるんだと誰かが言っていたのを耳にした。未知の物質にほんのりとした科学的ロマンを感じたものの、その時は「へぇ~」と気のない返事をするのみだった。
"シュレディンガーの猫"というのも度々耳にするキーワードだった。最初に聞いたのはいつだったのか記憶にないが、恐らく小説かマンガか何かの本だった気がする。意味が分からない、という感想ただそれだけだったと思う。
大学は工学部に進みはしたが量子物理学とは全く縁の無い学部だった。しかし一度だけ何かの授業でテーマは自由で任意の本を読み、その内容についてレポートを書くという課題が出た。2006年頃の事だったと思う。その時たまたま選んだ本が反物質についてのものだった。今思えばなぜその本を選んだのか覚えていないが、反物質が持つ不思議な性質には衝撃を受けた。
ちなみに私はつい最近になるまでバックトゥザフューチャーを未履修だったので、反物質というものの存在をその時まで知らなかった。
その時の本が私の人生を変えた! というようなドラマティックなことは起きず、課題を提出した後は反物質のことなどさっぱり忘れて日々の授業とか課題とか部活とかバイトとかで頭がいっぱいだったと思う。
”相対性理論"や"ひも理論/超ひも理論/超弦理論"というのもたまに何かで耳にするが内容自体は全く知らなかった。
これもいつかは忘れたが相対性理論については科学雑誌ニュートンで読んで面白かったのは覚えている。
"量子コンピュータ"が実現すると現在のネットのセキュリティは崩壊するらしい、とも聞いた。なにそれ、すごすぎる…。
と、言うような具合で人生の所々で量子物理学に触れる機会はあったものの、のめりこむような事はなかった。
明らかな契機となったのはかの有名なベストセラーSF小説「三体」を読んでからである。
小説「三体」は様々なSF的トピックが山盛りだが、それぞれが全て単なる著者の空想ではなく科学的根拠に基づいているのが面白さのポイントだと思う。本当に近い将来に起こりそうな現実感がある。
ネタバレはしたくないので詳しくは書かないが、量子物理学や宇宙、余剰次元などSF要素がふんだんに盛り込まれた描写は知的好奇心を存分に刺激してくれる。死ぬまでに宇宙の果てを見てみたいものである。
ちなみに「読んだ」と書いてしまったが正確には「聴いた」である。
2020年に長男が生まれてからは仕事と家事育児で本を読む時間が全く取れない生活が続いているが、家事の最中や、子供の保育園への送迎中の車内、就寝前など手は空いていないが耳は空いている時間があるので、オーディブルがものすごく活躍している。なくてはならない存在になっているといっても過言ではない。オーディブルは運動中でも聞けるのが良い。時間がかかるし単調なのでランニングというものが苦手だったが、オーディブルを使いだしてからは「走る」ことが目的というよりも、「興味のある本の続きが聴きたいついでに走る」というように変わり、ランニングが習慣化できた。
オーディブルは全人類におすすめである。
オーディブルはタイトルも充実していて、量子物理学に関する書籍もたくさんある。
「量子」、「素粒子」、「宇宙」などのキーワードで検索すると数か月くらいは楽しめる量のタイトルが見つかる。
中には量子物理学を元にしたスピリチュアルというか啓蒙書みたいなものもあってそれはそれで面白い。
これらの本についても今後紹介していきたい。
小説「三体」で量子物理学や宇宙というキーワードが気になりだした私はオーディブルにある関連書籍を聴き漁った。
中でも村山斉先生の一連の書籍は分かりやすくてかなりおすすめである。
宇宙、光、重力などの未解明の要素について少し調べると何故か全て量子物理学/素粒子物理学の話が出てくるのが不思議だったのだが、「ウロボロスの蛇」の例えはその疑問に答えるひとまずの解として妙に腑に落ちた。
もう10年以上も前に発行された本に今更感銘を受けるとは自分の情弱具合に愕然としてしまう。
これらの本を聴き漁っている内に自分でも何かこの分野で出来ることはないのかと思うようになった。
量子物理学のトピックは自分の生活する現実をSFに変えてしまった様だった。いつ何時も頭の片隅では目に見えない粒や波の不思議なふるまいのことをイメージするようになった。出来ることなら粒子加速器など見学してみたい。
今から大学に入り直して研究者になるというもやってやれないことはないだろうが現実的ではないし、そもそもアカデミックな環境が合わないというのは命からがら何とかギリギリで学部を卒業した経験で身に沁みて分かっている。
真っ先に思いついたのはアートに活かせないかということだった。
自分はプログラマー/CGアーティストを名乗って仕事をさせてもらっている。プログラミングや3DCGなどの知識と量子を結び付けられないかという好奇心が湧いた。
メディアアーティストは名乗っていないが自分がアートに興味を持ったのはメディアアートからだった。中でもプログラミングを駆使してビジュアルを作り上げるジェネラティブアートがとても好きだ。きちんとした作品としてはまとめられていないものの、ジェネラティブアートを通してプログラミングを学んできたし、それで食えるのであれば今すぐにでも他の仕事を全て放りだしてひたすらコーディングに打ち込みたいくらいだ。
なので、まず考えたのは量子をメディアとして使えないかということだった。
しかしそれを実際にどうするのかという具体的なビジョンを描くには量子に対する知識が圧倒的に不足している。
ジェネラティブアートはプログラミングを用いる。プログラミングというキーワードで言えば、安直に量子コンピューティング/量子プログラミングなどが使えそうだという発想になる。というようなことを2023年頃から考え始めたものの、なかなか学習の時間がとれず2024年になってしまった。ようやく今年は重い腰を上げて量子プログラミングを学んでいきたい。
そもそも「量子芸術」というものは既に誰かやっているのだろうか。
まだ誰もやっていないのなら早いところ作品を作ってパイオニア的存在になってやるぞ! という焦燥感とと高揚感はGoogle検索一発で雲散霧消してしまった。
検索すると数は多くはないが既に存在する。「自分が思いついたものは必ず誰かが既に思いついている」というのはよく言ったものだ。
自分の観測内で一番古いものは「量子芸術宣言」という書籍である。なんと1992年発行。圧倒的先駆者レベルにぐうの音も出ない。
ものすごく読みたいのだがプレミアが付きまくっていてちょっと購入が躊躇われる。
都内のいくつかの図書館には収蔵されているようなので今度上京した時にでも読みに行けたら良いと思う。
最近のものでいうと量子芸術祭というのも開催されたらしい。
直近の開催が先月でオンライン開催だったのに見逃してしまった。情報感度の低さが悔やまれる。
サイトではアーカイブや作品情報なども載っているが実際に見てみないとよくわからないな…というのが本音である。
他にも検索するといくつかの選考作品が見つかる。
直近のもので一番感銘を受けたのは久保田先生の「量子コンピュータアート序論」である。
難しくて未だに咀嚼できていない部分が多いが多くの示唆に富んでいる。
これらの様に既に量子芸術という分野が開拓されて来ているが、ジャストアイデアレベルで「それもうあるよ」と言われて「あー…はい、そうですか」と諦めるのはアホなクリエイターがやることである。むしろそこから掘り下げない限りオリジナリティは発現しない。
自分なりの量子芸術というものがどのようなものなのか、今後の学びを通して考え続けていきたい。現状としては、量子芸術祭などの実際の作品が見られる場に行きそこねたせいでもあるが、先行作品の説明だけ読んでもいまいち量子芸術というものがどういうものなのか実態がつかめない。
雑な理解としては量子芸術と呼ばれるものには2種類あるようである。
1つは量子技術そのものは使っていないが量子物理学のパラダイムに着想を得て作られたもの。
2つ目は量子技術を使って作られたもの。川野先生/久保田先生の言葉を借りるならば真正量子(コンピュータ)アートと呼べる様なもの。
私個人としては後者の種類の作品を作れるように取組んでいきたいと思う。
色々と学ぶことが山程あるが、学ぶほどにアート、特にジェネラティブアートに使えそうなトピックばかりだと感じる。今年はそういったアイデアからきちんと作品にまで持っていける様に精進していきたい。
自分の量子芸術の観測は始まったばかりである。