自閉してゲームをするということ
手首がなんやら痛いです。痛いというか疼くので、疼痛という言い方が正しいでしょうか。最近新作で出たsteam版の太鼓の達人をやっていて手指を酷使しすぎたのでしょう。まぁ昨日は痛かったのでやらないかと思いきや、家にあったガムテープで即興のテーピングをしてプレイしてました。最低。
太鼓の達人といえば、音ゲーですがどんなイメージを持たれるでしょうか。民度低そう?確かに子供が多く、みんな暴れているのでその通り。敷居高そう?ある程度素質というかセンスも必要ではある。僕も幼少期から生粋の「音ゲーマー」であり、その例には漏れず小さいころはゲーセンで暴れたり昼食代解いてもらった500円を昼食抜いてゲームに使用したりと、民度を下げたり一端を担ってたわけですが、僕ももう26歳で当然歳には抗えずフェードアウトしていっています。あるゲームでは世界30位くらいまでいったことあるよ(自慢)
その代わり他に熱中できるものを探した結果が今のAPEXですね。時間無駄にしないで読書してほしい!今はまほいくReを読んでいます。アニメ放映当初から大好きで、せっかく文章を読むなら続きを読んでみたいと思った。まほいくいいよね。似たような作品も好きで「ゆゆゆ」とか「魔法少女サイト」とか「アカメが斬る!」なんかは名作品。
さて、フェードアウトしている最中に現れた家庭用太鼓の達人。しばらく音ゲーをしていなかった反動でやりすぎてしまって手を痛めたわけですね。昔から音ゲーとはどこまでも自分との戦いであり、上手くなりたければ過去の自分を超えるしかない。自閉的ですね。例えばどうしてもできない譜面があった時に「どうやって押すか」を考える。まずはいっぱいやって覚えてみる。だめなら動画を取って譜面の仕組みを考察するといったように全て一人で完結します。そこに他人の介入はなく、よくいわれていたのは「一人で音ゲーをしないやつはうまくならない」は合理的ですね。
そのように努力をして達成されたときの達成感と快楽物質の分泌はすさまじく、多分本質はスポーツと似たようなものと考えています。難しい譜面であればあるほど苦しい時間が長く、多量の努力と技量を要求される。なので、周りにはできない人が多いしできる人は羨望のまなざしで見られるでしょう。そんな状況でTwitterに貼る報告ツイートの優越感はとてつもない。中学生の時はサッカー部でした。人間関係に苦しみ、3年持ちませんでしたが。
音ゲーの楽しみ方のもう一つは他者との交流でしょう。故に「交流会」なるものが各地で開催されていたわけですが、私も数回参加しましたが結局身内ノリでしかなく、よそ者は受け入れられないと理解し直ぐに「自閉ゲーム」へと戻っていきました。とて、いまのうっすーーーーい人脈はその時代の音ゲーマーで構成されているので(音ゲーしていない人もいるが)音ゲーをしていなかったら友人の一人もいなかったと考えるときつい。結局音ゲーもうまい人は自閉気質で、例に漏れず友人たちもかなり社会を生きづらそうにしているが。まぁだからこそ長年僕に付き合ってくれるのかもしれません。正直そのつながり以外の友人も欲しい。
noteで文章を投稿することも似たようなことでしょう。万が一数年続いたとき、僕はどうなっているのか。非常に不安があります。
せっかくなので最後に太鼓の達人で一番好きな曲を貼っておきますね。知らない人しかいないと思うので時間あるなら是非聞いてみてね。
僕のおくすりだい