女はどうでもいい話が好き

私の配信内のコメントである。
本当だろうか。
いやまあ、本当であるようにも思える。

性格に表現すると、どうでもいい話で笑いあえるような相手なら、その関係性が好きとかいうことになるのだろうか。

私は、コミュニケーションにおける独善性が無視できない性質である。友人や彼女には恵まれなかった人生ではあるが、家族、同級生、先輩後輩、上司部下、一応一通りの人間関係について履修したつもりである。いずれの関係においても、コミュニケーションはある種の力関係に支配される。要は、笑わなければいけないと思ってしまったり、相槌を打たなければならないと思ってしまったり、ということだ。多くの人間関係は、このしがらみを無視する独善性の上に成り立っていると、私は思っている。

私はそれがとても苦手だ。おそらく、だからこそ友人や彼女が居ないのだろうと思ってしまう。つまらないものはつまらないし、嫌いなものは嫌いだ。それは誰が口にしようが同じだ。いや、もちろん最低限は社会人をやっているので、最低限のソレはできているはずだ。ただ最低限にしたいし、それ以上を振舞う気がないだけだ。

私は基本的に、コミュニケーションは限りなく少ないほうがいいと思っている。少なくとも、しゃべらなければいけないという土壌の上にあるコミュニケーションに価値は感じない。(ex.飲み会) むろん、そういう強制的な場で出会える縁というものもあるだろう。だから私は最低限飲み会に参加する。出会える縁というのは女のことではない、まあ女と出会えればそれも縁というのも間違いないが、私は、他人の知らなかった一面を知るのが好きだ。まるで宝を探し当てたような感覚もするし、勝手に相手への解像度を高めたつもりになれるからだ。そういう縁のことだ。それは、決して「どうでもいい話」ではない。深酒をした相手が不意にこぼすこともあれば、自分語りを始めた結果口を滑らせることもある。

定型文のコミュニケーションや、その場を和ませるだけの会話では生まれない、その人ならではの言葉を聞けるタイミングというのは、そう多くない。私は決して言語感覚に優れるわけではないだろうが、赤の他人に対して、自己表現や自己開示に積極的な人間というのはあまり見かけない。私もそうだが、そういうものはネットで済ませるか、身近な人間と済ませるのだろう。私はネットで済ませるほうだが、いかんせん自分の人生経験も少ないため、他人から摂取していかないとダメだという焦燥感はある。だから、他人の知りえない一面や貴重な経験を聞くのは好きだ。繰り返しになるが、それはどうでもいい話ではない。これが、別に男女異なる感想であり、男に、特段私だけの話であるなら、当然「女はどうでもいい話が好き」ということになるのだろうが、私はそうは思わない。人はみな、知りえぬ謎の一面があり、それを隠している。知りたいと思うのは、私だけではないはずだから。

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