定期的に現れるドーナツの穴
作品はラビットホール。しかし本件はドーナツホール。
皆さんはふと昔見たテレビのワンシーンを思い出すときはあるだろうか。自分はドーナツの穴をモチーフにした作品を見ると、昔タモリが語り部をやっていた、分岐点に立った主人公が、右に行くか左に行くかみたいなドラマっぽい何かを思い出す。
タイトルも知らず、演者も知らない。だがその陳腐な内容は今でも思い出せる。よくある「金か女か」のストーリーだ。金を追う話では、金を追い続けた結果事故だったか事件に巻き込まれて死ぬ。女をとった話では、女が男に向かってこういう。「ドーナツの穴を埋めてくれるだけでいいの」
まあ笑うセールスマンだったり世にも奇妙なのテイストのやつだった記憶しかない。確か自分が小学生くらいだったから、今から30年前くらいの話だろうか。本当にくだらない、バブルがはじけてまさに失われし30年に入るくらいの時の人情メロドラマだ。だけれども自分の記憶にはっきり残っている。なんか妙にエロいセリフの雰囲気と、男がそれに絆される感じのシーン。別に美談でも何でもないと今でも思っていて、女をとったシーンでは二人が貧しいながらもHappy Endを迎えるというようなテイストだったと思うが、エンディングのそれよりも上のセリフが記憶に残っている。
あれから30年。
だがインターネットでは今もドーナツの穴が漂っているようだ。
どう考えたってエロい意味の歌詞だと思うけれど、ラビットホールでも見られるように、よろしくPopなメロディで打ち消されている。ここでのドーナツの穴は、失われてしまった存在に対する妄想を意味しているように思う。まあ平たく言えばフラれた男が思い出す一夜という感じだろうか。(米津ファンの方を怒らせたら申し訳ない)
さて、話は最初に戻ってラビットホールについて。
こういう意味もあるようだ。
性的依存を示唆するような歌詞に、すでにミーム化している現状。ここまで考えてつけられているとしたらなんとよくできた話だろうか。果たして我々がとらわれているのはドーナツの穴なのか、ウサギの穴なのか。穴としか見れない男、穴としてしか振舞えない女、綺麗事は空虚な響きを齎すだけ、眺める阿呆にヤる阿呆、同じ阿呆ならヤらなきゃ損々。「穴があったら入りたい」はて、そんな意味ではなかったような気がするが…