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蛍の光 窓の雪

朝の時間が好きです。
冬は6時台でもまだまだ暗いので集中して勉強ができます。

夜に勉強というと蛍の光のイメージ。

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蛍の光というと卒業式の歌であったりスーパーの閉店時のイメージもありますが、原曲はスコットランドの民謡「オールド・ラング・サイン」であり、歌詞の「蛍の光、窓の雪」は中国の故事「蛍雪の功」からきています。

蛍雪の功

意味は「苦労して学問に励むこと」。
出典は『蒙求』、『晋書』列伝五十三・車胤

晋(しん)の国の孫康(そんこん)と車胤(しゃいん)の話。
二人は貧しく、油が買えなかったので、孫康は雪の光で、車胤は蛍の光で勉強をした。やがて、この二人はともに地位の高い役人になったという。

孫氏世録曰、康家貧無油。常映雪讀書。少小清介、交遊不雜。後至御史大夫。
(孫氏世録に曰く、康、家貧にして油無し。常に雪に映して書を読む。少小より清介にして、交遊雑ならず。後に御史大夫に至る。)
晉車胤字武子、南平人。恭勤不倦、博覽多通。家貧不常得油。夏月則練囊盛數十螢火、以照書、以夜繼日焉。
(晋の車胤字は武子、南平の人なり。恭勤にして倦まず、博覧多通なり。家貧にして常には油を得ず。夏月には則ち練囊に数十の蛍火を盛り、以て書を照らし、夜を以て日に継ぐ。)
桓温在荊州、辟爲從事。以辯識義理、深重之。稍遷征西長史、遂顯於朝廷。時武子與呉隱之、以寒素博學知名于世、又善於賞會。當時毎有盛坐、而武子不在、皆云、無車公不樂。終吏部尚書。
(桓温、荊州に在り、辟して従事と為す。義理を弁識するを以て、深く之を重んず。稍く征西の長史に遷り、遂に朝廷に顕る。時に武子、呉隠之と寒素博学を以て名を世に知られ、又賞会に善し。当時盛坐有る毎に、武子在らざれば、皆云く、車公無ければ楽しまず、と。吏部尚書に終わる。)


もうすぐ受験ですね。
頑張れ、受験生!

今日も1日頑張っていきましょう!


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