地方出身者のアイデンティティ
高校2年のときに参加した市のカンボジアスタディツアーを経て、17歳のときから地元・飯田市のまちづくりに関わらせてもらう機会が多かった。
現在は飯田駅前のピアゴ跡に建設中の市民プラザ「結いスクエア」について、どう活用していくかを若者視線での意見を取り入れるためのミーティングに参加させてもらっている。
大学進学とともに地元を離れて6年。現在住民票は横浜にあり、私は神奈川県民 / 横浜市民になった。
飯田市に税金を納めているわけでもないし、市政に関わる参政権もない。自己認識や気持ち的には飯田市民でも、書類上私は飯田市民ではない状態である。
そんななかで今回、市街地に新たにつくられるコミュニティ施設のミーティングにメンバーとして呼んでもらえたこと、参加させてもらえたことはとても嬉しかった。私の地元愛がきちんと伝わり、それが一方的なものではなく今こうして私の意見を「まちづくりに関わってきた市民の一人」の意見として必要としてもらえている。
ただ、当然地元を離れ首都圏で仕事をしていればミーティングも全てオンラインの参加になる。コロナ禍でzoomが大分普及したとはいえ当然オフラインに劣る箇所も多々あり、私は何度オンライン故に人と出逢うチャンスを逃したか分からない。便利さだけが正解ではないと熟感じた。
市長が「飯田の宝」と言ってくれていた高校生の頃の自分より市とも人とも関係性は少なからず希薄になったし、現にいま私がなにか地元に対して起こしているアクションは無い。
それでも有難いことに、帰省したとき必ず飲みに誘ってくれる人たちは役所関係の人や元議員の大人が多いので、同じように地元を離れて生活している同世代のなかでは地元の情勢について知っていることが多いとは思う。ただ、そういう人たちと関わっているからこそ感じる「浦島太郎状態」があり、私の見知った飯田市が変わらずそこにあるわけではなく常に情報のキャッチがワンテンポ遅れる。
飯田市民ではないが密に関わっていて、横浜市民ではあるけれど市政について何も知らない。そういう状況が自分の居場所、アイデンティティを曖昧なものにさせるので時たまに寂しく思うことがある。
横浜に住んでいるから関心や愛着が持てるかといえばそうでもない。野毛や関内は2年くらい入り浸っているからその間に色んな出会いがあり相応の人間関係は築けたが、それ以外の場所は正直なところ何年居ようと他所感覚でしかない。
よく他で例えられるものとして日系外国人やハーフの人が、母国へ行けば「日本人」、日本に来れば「外国人」といわれ自分の居場所が分からないと嘆く例は同義だと思う。
地元に帰れば「都会の人」、こちらにいれば「田舎者」。私自身は何も変わらなくても、数年生活する場所が違うだけで余所者にカテゴライズされる。
揶揄や悪意があってのものではないが、自分が何者なのかどこを・なにを核として生きていくかを考えた時第三者からのカテゴライズはやはり多少なりとも気になる。
地元に帰らず都市部に残る選択をしたのは紛れもない自分自身なので、他者評価の観点も兼ねて自問自答しなければならないことなのかもしれない。
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