見出し画像

mbtiが定番トークテーマになって生きづらい話

「mbtiなに??」と聞かれることが多すぎる


私の周りの大学生だけなのかわからないが、関係が浅くこれから仲良くなろうくらいの人との間で、mbtiを聞くのはもはや当たり前になっている気がする。

私はmbtiの話で盛り上がる人が多くなる中で、ずっと自分のmbtiを診断していなかった。

だから、

「mbtiなに??」
「やってないんだよね」
「えーなんで??」

という会話を何回もした。

”そもそもなんでみんながmbti診断をしていると思うのか”

と内心思いつつ、適当に「面倒くさくて〜」などと返事していた。

そうすると「絶対やった方が良いよ!面白いよ!」などとお節介にもアドバイスしてくれる友人もいた。

最初に断っておくが、私はmbtiというサービスそのものを批判したいわけではない。

ただ、mbtiが定番のトークテーマとなり、それに伴って展開される会話になんとなく居心地の悪さを覚えているので、その正体を解きほぐしていきたい。

とはいえ、
”mbti大好き!mbtiの話で盛り上がるのが大好き!”
という人は気分を害する可能性があるので、読むのを控えていただいた方が良いかもしれない。


mbti診断をずっとしていなかった理由


何個も質問に答えるのが面倒だったというのもあるが、より本質的な理由は大きく二つある。

①自分のことは自分でわかる(べき)という考えのもと、興味が湧かなかった

“自分とはどういう人間か”
ということは、常に自分自身に問いかけ続け、さらに他者と関わる中で、徐々に自覚していくもの
であると考え、またそれを実感している私にとって、せいぜい10分程度で終わる質問回答で性格を診断する実益も、診断の信憑性も感じられなかった。

加えて、自分が質問に主観的に答え、その結果として「あなたはこういう性格ですよ」と教えてもらったところで、それは自分が主観的に生み出した”自分の性格のフィクション”ではないか?という考えも私をmbti診断から遠ざけた。

我ながら卑屈というか、良いからサクッと診断してみんなと同じ話題で盛り上がれば良いのにという気もするが、以上のような考えにより私はmbtiを診断しないことに一種のプライドを持ち始めた。

②mbtiの話で盛り上がっている様子になんとなく興醒めしていた


私をmbti診断からさらに遠ざけたのは、周囲の人々のmbtiに関する会話の様子である。

特に、

「mbti診断したらめっちゃ当たってた!!」

と言って盛り上がっている様子を見て、

“自分で質問に答えたんだから当たり前でしょ”

と内心思っていた。

また冒頭にも述べたように、mbtiをみんなが診断しているものとして会話が展開されることにも徐々に不満を感じており、診断しないことに意固地になっていた。


結局mbti診断をしました。結果は…


なんじゃいな!!!

というツッコミが聞こえてきそうだが、結局診断しました。

私は診断しないぞ!自分で自分という人間を理解するのだ!という逆張りプライドはどうしたのか。

「なんでmbti診断してないのー?」と聞かれるのも飽き飽きし、より円滑に会話するために、
"自分の人生の10分くらいmbti診断に費やしても良いや"
という気持ちになりました。はい。

というわけで診断結果は、
INTJ-A(建築家)
だった。



そもそも興味なかったので、診断結果に特に感情は湧かなかった。


診断したのに楽にならない


本題はここからです。やっと。

mbtiを診断し、これでmbtiの話題はそつなくこなせると思ったが、mbtiなにー?の会話の居心地の悪さは変わらなかった。

「mbtiなに?」
「INTJだったー」
と言った時の反応は、

①「何それ珍しいねー」
②「○○(私の名前)ぽいね〜」

の二通りに大別された。

①の場合も、

「なんか論理的で計画的らしい」(私はちゃんと性格診断の説明を読んでいないので適当です)

とか言うと

「あーぽいねー」

と言う反応になる。

そもそもmbtiを聞いてくる相手は私と知り合って日が浅い、まだお互いのことを深く知っているとは言い難い人であることが多い。

にも関わらず、mbtiを伝えた途端、私っぽいと言われることに違和感を覚えた。

そして、そもそも私がこの話題に違和感・居心地の悪さを覚えている根本的な原因は、

“自分にレッテルを貼られることへの抵抗感”

ではないか、と感じるようになった。


自分にレッテルを貼られることへの抵抗感

これから仲良くなろう、お互いを知っていこうという時に、

mbtiを聞いて、相手の性格を手軽に知ろうしているような、

mbtiを聞いたら、そのフィルターを通してしか相手のことを見れなくなるような、

そんな状況に違和感を覚えていると最近自覚している。

実際、mbtiを聞いたからと言って、相手の性格はこういうものだと完全に決めつけているわけではないだろう。

しかし、例えば私がmbtiを伝えた後に、旅行行った話をすると、

「あー計画的でJっぽいね」

と言われたりする。

言った当人に悪気がないのは百も承知だが、mbtiを伝えたが故に、その後の私の言動が、INTJの特性に容易に結びつけられることに、私はどうしても不満感を抱いてしまう。

“先入観なく私を見てほしい”

というのは私のエゴかもしれないが、私は人と対峙する時、先入観なく相手を見ようと努力することを大事にしており(もちろん相手を完全に先入観なく観察することは不可能に近いことも自覚しながら)、それでこそ分かり合えると思っている。

だからこそ、mbtiによって、私の性格イメージが容易に形作られ、なんでもかんでもそれに結びつけられるような会話は気持ち悪く感じてしまう。

レッテルを貼られることへの抵抗感は、mbtiに限った話ではない。

例えば私が東大生だと知った相手から
「真面目なんだ〜」
真面目レッテルを貼られたり、
A型だと知った相手から
「几帳面なんだ〜」
几帳面レッテルを貼られたりしてきた経験が、私のアンチレッテル精神を築いてきたように思う。

別に、私がINTJらしく計画的であるとか、東大生らしく真面目であるとかいうことが、私の人格評価として的外れだと思っているわけではない。

むしろ私は自己評価としても計画的で真面目である。

(自分の主観として几帳面ではない。むしろガサツと自覚しているし、かなり仲の良い相手からはガサツだと言われる。)

しかし、

ある情報から一面的に、ステレオタイプを押し付けられること

にやはりどうしても抵抗感を覚えるし、そうして決めつけられると、
別に計画的じゃないところもあるし
と謎の抵抗をしたくなってしまう。

私は東大生であり、かつかなりの人見知りで心を開くまでは大人しいので、

“頭が良さそう、大人しそう、優しそう、真面目そう”

といった第一印象を抱かれやすいし、INTJの雰囲気を持っているのは確かだろう。

だから私に対してINTJぽいねーと何の気なしに言った人の気持ちもよくわかるし、その人たちを嫌っているわけでは全くない。むしろ後にかなり仲良くなった人もいる。

ちなみに仲良くなった人に私の印象を聞くと、

“意外とおっちょこちょい、意外と天然、考え事してそうでぼーっとしてる、変人”

などと言われることが多い。(私は反論したい箇所もあるが!)

私は最初から自分らしさを出すのが苦手であり、他者が抱く第一印象と本当の自分(と自分が思っていること)とのギャップが大きいからこそ、安易に決めつけられた”私っぽさ”への抵抗感が大きいのかもしれない。


おわりに


note二つ目としては尖りすぎたかもしれない。

自己紹介といえばmbti、mbtiといえば思うことがあるぞ!と思って書き出してしまったが、なかなか人に面と向かっては言えなかったことを書くのが楽しくて、思いっきり内心を吐露してしまった。しかもオチがあるわけでもなくただタラタラとmbtiへの愚痴を述べてしまいなんだか申し訳ない。
しかしながら私という人間の一面をお見せすることができたように思う。

私と同じように感じたことがある人がいれば嬉しいし、違う感じ方をシェアしていただけるとそれはそれでとても嬉しい。

読んでくださった方とコミュニケーションをとるのもnoteを始めた目的なので、よければコメントしていってください。(マナーは守ってくださいね。)

長くなりましたが、ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。

また次の記事もよければ覗きにきてください!

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集