この公演を「村田青葉論」と呼びたい

 新型コロナの緊急事態宣言が5月25日に解け、6月19日には県をまたぐ移動の制限も解かれた。今日、6月26日からは「風の谷のナウシカ」をはじめとするジブリ映画4本が全国で公開となり、外出自粛からの解放感も相まって、各映画館は(座席を制限しているとはいえ)満席に近い賑わいを見せている。移動制限解除から1週後の週末という、最速かつ最も効果的なタイミングでの公開はさすがと言える。一方、演劇界は映画界とは少し状況が異なる様子で、上演空間の狭さや演者の飛沫の問題など、大々的に再開するにはまだ障壁が多い。

 そんな中、スタジオジブリとおそらくは同様の狙いを持ったタイミングで、盛岡の劇作家・村田青葉が主宰する「演劇ユニットせのび」が公演を行った。『@Morioka(僕=村田青葉の場合)』と題されたこの舞台は、そもそもはコロナ禍で青葉くんがnoteにしたためたものだ。彼が働いている牛丼チェーン店での出来事をリアルに描き起こした彼自身による一人芝居。投稿当初、彼がどこまで見据えて書いたのかはわからないが、演者がマスクを着けていることに違和感がなく、牛丼店に見立てたゆったりとした座席の配置、何より演者が彼一人であることは、感染リスクを最小限にする上演条件を満たしていた。タイミングや条件がすべてにおいて整っていて、6月1日に上演が発表された段階で、もうそれは「答え」のようなものだったと思う。コロナ禍で多くの劇団がオンラインでの演劇を試み、それはひとつの新しい形を提示した。その事実や成果を彼も十分に認めたうえで彼自身はライブを求め、模索や葛藤から導いた「現在の答え」。会場にはテレビ局が取材に来ており、おそらくは「コロナ禍における若き劇作家の挑戦」といった切り口であろうと想像するが、彼の挑戦は公演発表の時点で実質終えている。今日は、その生き様を見届けるだけの夜だった。

 内容についても少し触れよう。開演までの数十分間、ツイキャスでライブ配信をしながら、青葉くんは実際に自宅から会場へと自転車を漕いだ。風の音で声が聞こえにくかったり、開場時間と重なった観客はじっくりと見ることができなかったりはしたが、そんなことは問題ではない。世界中の誰もがオンラインでそれを見ることができたが、彼の会場入りと同時にその配信は途絶えて、彼はオフラインだけの存在となる。オンラインへのシンプルなアンチテーゼ。しかしそれは全く挑発的ではなく、「今度は見に来れば?」という軽やかな誘いとなる。

 牛丼店に見立てた劇場。「そういう設定で」とわかりやすく理解してもらう方法もあるだろうが、彼は冒頭で「ここ(牛丼店)」と何度か言い、その場を速やかに牛丼店に変えた。劇作家としても役者としても能力を見せた瞬間だと思う。忙しく働く青葉くんを間の悪い呼び鈴で呼ぶ客が現れやしないかと、僕も店員を気にし過ぎな客の一人としてそこに座っていた。牛丼のオーダーの通し方や客の行動、自動ドアの表示に対する彼らしい理屈、感染確認ゼロの岩手で過ごすコロナ禍のモヤモヤ、この公演を打った彼の姿勢とそのままリンクする芝居を見届けた。

 以前、青葉くんとの会話で印象に残ったことがある。サッカーや野球に例えて、「十分な戦力で戦うことより、現状の(弱い)戦力でいかに勝利をつかむかのほうが好き」というような話だった。例えば、1点を追う展開でアディショナルタイム2分ならば、彼はロングボールを無闇に放り込んでのパワープレイで1点を狙うようなことは好まないはずだ。1チャンス、あるいは2チャンスあると見て、リスクを取ってラインを上げながら、丁寧にパスを繋ぎ、両サイドバックを深い位置まで走らせて前線にスペースを作る。そのタイミングで少し空いた真ん中を通すようなスルーパスが、今回の「緊急事態宣言解除」→「移動制限解除」→「用意していた一人芝居の台本」だ。完全に抜け出してペナルティエリア内でボールを受けた青葉くんは、そのままシュートを打つこともできる。当日までに状況が変わるようならば、エリア内でスピードを緩め、PKやCKのネクストチャンスを狙える。誰にも何も言わせないクレバーさ。「時期尚早」との声が仮に出ようものならばダイブしてPKをもらうだけだ。両手を広げて少し大袈裟にアピールする青葉くんが目に浮かぶ。スルーパスに抜け出して上演を発表した6月1日の時点で、もう彼にはチャンスしかない。挑戦と呼ぶならば、今日ではなくその日だ。

 彼は最後に「お疲れさまでした」とマスクをはずしてお辞儀をし、今日の「勤務」を終えた。リアルに牛丼店店員を演じた中で、おそらく唯一と言っていい、普段とは異なる所作だったのではないかと想像する。最後にマスクをはずしたことは、青葉くんの誠意と、未来への希望だ。


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