「セミとケンタウルス/せをのばす」
演劇ユニットせのび「セミとケンタウルス/せをのばす」観ました。
全員で写る告知ビジュアルや「せをのばす」のタイトルから当然感じられる、ここまでの集大成とこれからへの決意表明のような雰囲気を期待し過ぎないように期待して観劇しました。
まず、「セミ」。石橋奈那子ちゃんと新沼温斗くんの2人芝居。温斗くんは過去出演作ではある種無色な「若い男の子」としての存在で、役者としての色は見えていなかったのですが、今作は一変。村田青葉の作り出す屁理屈芝居をやるなら最適な役者さんだと思いました。たぶん演出の想定を超えてたんじゃないかな。村田青葉役ではない出役青葉くんパート(そもそもせのびのにはあまり出ないけど)が確実に埋まった。作れるものが増えると思います。今回、役者からの演出提案もあったと稽古日誌に書いていましたが、どんな感じだったのかな。ベンチに座る距離とか細かな動きも楽しめました。
で、全員出演の「せを」。せのびは何をしてきて何を作っているのかを、せのびらしく演じた作品。セミで温斗くんの「青葉色」の芝居を見て、そういえば他のみんなはと観ると、髙橋さんはもう髙橋色だし(お芝居の外側でも、開演前アナウンスで「故障中」「頭上」をかむのなんかファン的には満点で、ライブじゃなく録音のOKテイクであったらなお良いくらい)、奈那子ちゃんもすっかり奈那子色。りなちゃんはメタ的でないときの、役のとき(「ロマンス」や今日の看護師シーン)の空気の纏い方がものすごくある役者さんだと思います。そういう意味では最も透明。みんな上手だし、とても楽しそう。
照明だけで川が表現できることとか、声を出そうとして出さないを見せると次の言葉を聞かせられることとか、暗順応と振っておけば暗転の捉え方が変わることとか、感心する演出手法が散りばめられていたのも面白かったです。暗順応しないくらいに手元の当該チラシは黒かったです。
サウナは我慢じゃない、という振りからの観客との我慢比べみたいなオチは、いい意味で意味わからない(観劇は我慢じゃない、みたいに捉えられなくもない)けど、まあスタッフもお客さんもみんな劇場を出て「ととのう」んでしょう。