Home,sweet home.
演劇ユニットせのび「Home,sweet home」。
今春3つのコンクールでファイナリストとなり、関東での上演が続いたせのびの、久しぶりの盛岡公演。
コンクールの審査もある中、自分たちのスタイルで、はじめましての関東の人にも伝わるものを短期間で作ることはハードな経験だったはず。そのあとの本公演一発目が、大きなホールでキャストの多い作品とあれば、ある種、これまでの集大成であり、新生せのびのスタートになるのだろうと想像した。これから長く追うファンも、これっきりで観ない人も、どちらも現れそうな作品になる気がして、ファンとしては「期待」より「心配」に近い感情だった。
以下、初日の朝に盛岡に向かうバスで僕がSNSに投稿した文章(一部修正)
【観る側の記憶を触発する作品が多い中で、家族の記憶を扱うときに初期の作者の強みと弱みは自身の家族関係が比較的良好だったことだと思う。いかなる作品にも共感は必ずしも必要ではないが、個人の思い出を受けて「私はそうではなかった」の記憶の呼び起こしだけが心に残ってしまう恐れがある。
しかし、最近の作風では発想段階から演者それぞれから言葉や記憶を引き出している様子で、さらに今回は演者が多いので、より多様で、「知らない誰か」ではない「関わりがありそうな隣人」の出来事として、緩やかに「私の記憶」に触れることができるのではないだろうか。
1作目(「なくなりはしないで」)が評価され多くの人に届いたのは軸となった記憶が「祖母」という、多くの人が2通りの記憶を持ち、さらに適度に距離がある存在であったため、ちょうどよく観る側の記憶が揺れたのだと思う。今作がどんなふうになるかはわからないが、そのあたりの記憶の距離感を楽しみに観たい。
ちなみに僕はどの家族形態においても、その関係性に関わらず、基本的に「帰りたくない」感覚がある。独り暮らしでも。この「帰りたくない」は強烈な「帰りたい」なはずだが、この感情はうまく消化できていない。観劇後「いや僕は帰りたくないのよ」となるのか「帰りたい」となるのか】
長くなりそうだから、感想は箇条書きで。
●上記の「記憶の距離感」については外国の設定にすることで、個人の出来事に感じさせない距離をとっていた。うまい。
●シリアルのシーン。語感で遊ぶような、男性ブランコみたいな印象。
●小松さん、とても良い佇まい。せのびに合ってる。歌と役どころ両方で、今作品の観客と舞台を繋ぐ存在。舞台に居るけどいない、居なくてもどこかにいる。最も現実寄りな役どころであり舞台上では異世界の存在だから、カレーのエピソードに加わるあたりから世界が一気に混じりだす。
●温斗くん、玲奈さん、アメリカのコメディをやり過ぎずにそれらしくするさじ加減。このあたりはチョウさん役の髙橋さんも。あそこをやり過ぎると意味が出ちゃうから、絶妙。
●カーステレオのボリュームのエピソードのあと、ボリュームを下げるシーンがこっそり出てきて、父親の不器用さがにじむ演出として好きな場面。
●サム。グッズ化や今後の作品で再登場してもよさそうなほど、お客さんに受け入れられていた。犬でいるときの犬演技もさすが。立ち去るときの後ろ足の膝。
●ななこちゃん、ベースラインの落ち着いた役どころで、実は今回の中で一番新しい面を見た気がした。
●青葉くん、ちょうどいい出役で、ちょうどよく好きなことできていて、楽しそう。タンタン出せてよかったね。
●乙葉さん、舞台には乗らない客席からの役どころ。お客さんの視線が外れて照明も外れてからも望遠鏡を覗いていて、しっかりと作品の中にいた。
●大和田さん、及川さん、カレーや本で一番観客の記憶を揺らしたいのがこの2人のシーン。ふたりとも「気まずさ」まで出来ると思うから、ちょっと踏み込んで過去や未来をもう半歩想像させたら、もっと観客は揺れたかも、と最初は思ったんだけど、現世で離れたことは別れではないよ、って軸もあるだろうから、フワッとしたままでもいいのかなと2回目を観て感じた。
●シメジの発音を分けていることに配信で気づいた。細かい。似ていることと違うこと。でも、ある期間、同じものを食べていたこと。
●高村さんはお客さんが安心できる存在。せのびは世代構成が狭いので「ちょっと年上」はときには必要な要素。物語の本流を流れる役だから、存在がくっきりしていて、ぴったりだったと思う。
●サムの拾われた日の話を聞くシーン。思い出しながらの「パパと歩いていて、夕焼け」のあたりの言葉の感じがいい。
●観劇後に主題歌「流域」をずっと聴いていて「カーテンは日々の帆」って歌詞が印象的。配信で2回目を観たらその言葉が立つように演出されていた。
●あの人がこうなって、この関係性がああなって、と観ながら不意に線を繋ぎたくなるけど、インタビュアーのセリフで「一緒に料理をしたことが?あるいはバンドを」って複数の関係性を出したのを聞いて、余計なことを考えちゃってたなと気づいた。エンタメにするには繋ぎを意識させまくるほうがクイズ的なのかもしれないけど、サムが語尾に「ぜ」をつけたときに「お?」って思うくらいでいいのかも。
●「ママ」呼びが「おかあさん」になる混線。普通に観てたらたぶん気づかなくてもったいなくない?2回目で「あれ?」ってなった。
たぶん個性であり良い部分として、昨夜の夢をなんとか説明するような、青葉くんにだけ見えているものの具現化は、相変わらず適度につかみ切れなさがあって、懐かしい感じがした。せのびらしい作品。キャリアを積んだあとに、この空気をまだ創出できるのは技術だと思う。
帰りのバスで書いてます。帰ります。
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