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カモのコテン 青葉のコトン

落語作家ナツノカモさんと、劇作家村田青葉くんの「“展示”二人会」を企画した。
数年前、カモさんの「着物を脱いだ渡り鳥」のWeb連載を読んですぐ、カモさんに「いつか必ず盛岡にお招きします」と連絡したのが始まり。盛岡に、と言ったのは、当時盛岡で暮らしていたからだけではなく、当初から「青葉くんとの二人会」をイメージしていたためだ。連載を読んだ時点ではカモさんの噺も何かしらの表現も観たことがなかったが、二人には共鳴する部分があるはずだと直感した。
詳しくはカモさんの著書を読んでいただきたいが、カモさんは落語家を辞めてからも現在に至るまで落語表現を続けている。立った姿勢での1人語り「立体モノガタリ」や複数人での舞台「ナツノカモ低温劇団」では、落語として成立する作品の表現スタイルを変えて落語の可能性を探っているかのように感じられた。
一方、同じ頃に青葉くんは、公演で1席落語を演じてみたり、演劇作品の中に落語の要素を取り入れたりすることがあった。舞台中央で噺家役が「芝浜」をやりながらその周りで財布拾得が軸となる現代劇が同時進行していく「shibahama」は秀作だった。演劇の表現の幅を落語に求める実験をしているように見えた。それぞれ同時期に逆向きに掘り進めた舞台表現。これは二人に共通すると思われる、作品(やその表現)の構造への興味によるものだろう。落語でしか、演劇でしか出来ないことは何か。制約はどこにあり、それを崩す方法はないか。パズルを解くような冷静な視点が感じられる。

さて、落語や演劇の話題をするとき、「落語は聞いたことがない」「演劇は観る機会がない」と返されることがある。理解できなくはない。かく言う僕も落語や演劇には詳しくなく、たまたま出会えた面白い作家、作品を追っているに過ぎない。ただ、ひとつ言いたいのは、「聞いたことがないこと」はこれから聞く理由にはなるけれど、これからも聞かない理由としては少し弱くないだろうか?それならば、作品に出会えたほうが面白そうじゃない?これが、この企画の趣旨だ。二人の作品が出会うべき人に出会うことを願っている。

観る機会があった人もなかった人も、落語や演劇にどのようなイメージをお持ちだろうか?笑えたり泣けたり教訓があったり物語性があったり?僕の個人的な感想ではあるが、二人の作品はそれらが重要ではない。現実もファンタジーも境目がなく、まるでエッセイか、昨晩の夢のようにシーンが提示される。観客は作品世界に入り込んだり、ときに自らの記憶の世界に迷い込んだりもする。例えば、ある人は家族のことを、別の人は幼少期の出来事を鑑賞中に思い出すかもしれない。そのことでセリフを聞き落としたり、話の筋を少しつかみ損ねたりしても構わないと思う。作品をライブで受け止めて、心が動き、記憶が揺れる。それが全てだと言ったら言い過ぎなのかもしれないがそれで十分だと思うし、それを引き起こすのが二人の作品の特徴だ。

きっと心が揺れ動き、記憶がぷくぷくと沸き立つ展示・公演になるはずです。ご来場をお待ちしております。

【展示】2022.8.25-8.28 Cyg rental wall 【イベント公演】8.27 14:00-15:20(アフタートークあり)/17:00-18:00

イベントご予約:https://tol-app.jp/s/kotenkoton


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