Day73 変わりいくもの、変わるわたし
こんばんは。ユニークさ開発ナビゲーター 青木 瑞恵です。
かわるもの、を感じたことについて、ちょっとしたおはなし。
今日は、何となく、近所の神社で、いつもは行かない方の神社に行きました。
こちらの神社のほうが、実家にはより近いのですが、何となく用事もなく、近寄らない感じ。
今回訪問してみて、多分、小学校、中学校とか以来かも?!と。
何十年ぶりだよー!
で、実家に帰った時の何回か前に気がついていましたが、だいぶ木が伐採されているのが分かってきました。
いつもウォーキングで立ち寄る『龍神社』も、私がよく遊びに行っていたころとはまったく違う光景になっているのですが。
今回の神社は、なんだか、殺風景。
もっと木がうっそうと生えていた頃は、なんとなく雑木林みたいな感じで、逆に、ざ・神社!という感じだったのですが。
木が大分伐採されて、日があたるようになってきるのにもかかわず、逆に荒れ果てた印象を与えてくるから不思議。
神様、よろこんでない、みたいな印象。
※注意 別に神様の声は聞こえませんが!
龍神社は、時々参拝する人をお見かけするし、手入れされているのを感じる時があるから、そのちがいなのかな?
でも、一方で、小さな頃には見なかった、小さな摂社が立っているのもまぢまぢと見つけたりして。
小さな摂社、けっこうどこの神社にもあったりします。
あることに気がつけるわたしになっているのも、東京に出て、神社というものに興味を持ち、勉強したりしたからです。
むかしの私は、失礼のない参拝の仕方(二礼二拍手一礼とか鳥居のくぐり方とか)なんて知りませんでした。
摂社があって、本来はそこもお詣りした方がよりよいなんて、知りませんでした。
神社の環境は時代、人間の都合により、姿を変えます。
わたしも、必要な知識を得て、変化してきました。
そんなことをおもった次第です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
🔑合縁奇縁🔑
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