袖振り合うも多生の縁

先週の木曜日、初めて在宅勤務をした。今更、という声も聞こえるが、これには理由がある。会社が隣駅でたいしてリスクがないと思っていたこと、会社のコロナ対策本部事務局員だったので、家で仕事するより会社にいた方が効率が良いから在宅勤務をしていなかったのだ。コロナも落ち着いたので、在宅勤務やってみるかという軽い気持ちで試してみたのだが、噂にたがわず楽だ。もっと早くからやりたかった。zoomで会社の人とやり取りする必要があったので、ワイシャツを着ていたけれど、下は短パンという超絶ダサダサファッションで仕事をする。いつもの倍は楽に感じる。ジャケットを着ていないとしてもスーツスタイルで仕事をするのはめちゃくちゃ疲れるということなのだ。残念ながら7月からはいったんうちの会社では在宅勤務が認められなくなるのは残念だが、平時の制度として導入するには僕の部署が率先してペーパーレス化を推進しなきゃいけない。自分が楽をするためにも仕事を頑張ってやる。

そもそも実家の隣駅に会社がある、という環境はなかなか恵まれているんだろう。うちの会社は9時に始業なのだけれど、僕は大体8時36分くらいに家を出て、8時58分くらいに会社に着く。そんなギリギリに家出て遅刻しないの?と思うかもしれないが、まだ3回くらいしか遅刻したことはないので安心してほしい。(もちろん電車の遅延での遅刻は除く)

大学の時は遅刻なんて当たり前だし、適当に講義のコマを入れていたので、決まった時間に通学はしていなかったけれど、今は99%同じ時間に通勤している。同じ時間に通勤していると毎日同じ人を見かける。たとえば駐輪場の前でヨレヨレのグレーのTシャツを着た出っ歯でメガネのおじさんとすれ違う。僕はこのおじさんのバックボーンを知らない。この時間にTシャツ姿でどこへ行くんだろうか、と毎日疑問に感じるが、知る由もない。おじさんの側も僕のことを認識しているんだろうか。急に挨拶したら驚くんだろうか。

アフリカ系の親子ともよくすれ違う。アフリカ系の親子はどこに行くんだろうか。子供を保育園に預けてお母さんは働きに行くんだろうか。どこで働いているんだろうか。僕はコロナ禍の中でずっと通勤していたけれど、いつしかその親子とすれ違うことはなくなった。小学生時代を振り返れば、アフリカ系のお兄さんもよく見かけていたし、外国人や留学生には住みやすい街だったんだろうか。お兄さんは愛想が良くて、僕らに「コンニチワ〜」と挨拶してくれてたけれど、中学生くらいからは出会わなくなった。

最近、運動不足と体脂肪率の急激な上昇を懸念して、ランニングをするようになった。高校生の頃、自転車通学していたルートもたまにランニングで通るが、高校時代に挨拶をする間柄だったホームレスの姿がなかった。彼はボロボロの車に住んでいたんだけれど、車ごとなくてちょっぴり寂しかった。

僕の人生に大きな影響を今のところ与えていないけれど、よく出会う、あまり知らない人たち。どういう縁があるんだかわからないけれど、彼らには彼らの人生があって、色々な経験をしてきたのだろうと思うと、全く知らない人とは思えなくなってくる。目の前で転んだり、居酒屋で隣のテーブルになったり、ちょっとしたきっかけで仲良くなるのかもしれない。そういう可能性を想像して、退屈な日常にほんの少しおかしみを感じてみたりしている。

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