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儒教のかたち こころの鏡 展

「儒教かあ」が案内が来た時の最初の感想でした。
まあ、毎回「わからないなー」と思っていたところだし、この際次々と儒教関係の絵をみようか。とサントリー美術館で開催中の「儒教のかたち こころの鏡 日本美術に見る儒教」展へいきました。


ちょくちょくバラバラに見たり、あるいは、例えばお能なんかにも、そういえば今練習している「松虫」も「虎渓三笑」の「虎渓」が出てくるし、ちょっと前の根津美術館でもこの儒教の二十四孝をいくつか見たりしていましたし、しょっちゅう絵でも儒教関連の人物が描かれている絵は見ます。
毎回すぐ忘れちゃうけれど。

それぞれの絵の説明が少してもその場であれば、いままで「うーんこれ、何の絵なのかなあ」と思っていたものが解決するかも。との期待もありました。

そう。今まで見たことがなくても、安心。ちゃんと半ばで人気の絵柄はほとんど説明がありました。

絵ときみたいな感じもありで、結構楽しめました。
絵ときって、ちょっとわかるとすごく面白いもの。教会のステンドグラスなんかも、知らないとひとがいるなーとか綺麗だなーで終わってしまうのだけれど、ちゃんと絵ときがあって、これは誰、これは何を表したもの、と教えてもらうと、さらに楽しい。そんな感覚も味わえる展覧会でした。

儒教の影響は帝王としての心構え、理想の君主、理想の人柄。庶民には理想的な人としての心構えとして広がっていきます。なんとなーく聞いたことがある、君子は一人を慎むとか(人が見ていない一人でいる時にも立派にふるまっているのが君子)、遠より方友来たるまた楽しからずや とか。論語とか大学とか、知らなくてもなんとなーくどこかで聞いた事があるということは、庶民にまで染み渡り、今でも残響のように響いている。のかもしれない。

君主にはあるべき君主の形として、君主のいる部屋には書や絵画で周りを囲んでいたようで、王の部屋を飾っていた障壁画は立派で威厳のある臣下の絵。りっぱな臣が集まるのも理想の王の条件。一人一人が大きく描かれていて「囲まれてる」感があるなあと思う。
屏風には「帝観図」という、頂点に立つものとしてのよき君主の振る舞いと、避けるべき行動が美しく豪華に描かれているものがあっった。でも、なにせ、あまり知識がないので、「悪い方」の振る舞いの方がわかりやすい。何か干し竿みたいなものを巡らしたところに肉をいっぱい掛けている人がいて、部屋の周りが吊るした肉で囲まれている・・・これは!酒池肉林の肉林!!とか、その左に目を移すと、池の淵に人がいっぱいずらっと並んで口をつけて池を飲んでる??あ、その先で誰かが池に巨大な水差しみたいもので何かを注いている・・・つまりは酒池。つまり、この部分はセットで酒池肉林!とか。庭先で書物が燃えてたり。いかにも「ダメそうだな」という絵が多い。女性を侍らせてるっぽかったり。動きがあるのだ

それに比べて理想の君主は絵柄がおとなしい。多分、いいことしてるんだろうなーとか、直前に習った、忠臣を見分けられてて、讒言を退けてる図はわかのだけれど、そのほかのがぼんやり。

これって、君主たるもの、ちゃんと学んでいるからパッと見てわかるんだろうなーと思いつつ見る。私は悪い方ばっかり「これはわかる!」とか思ってしまった。優れた臣下は集まってこないであろう。

あるべき人の道として孝行、良き振る舞いが二十四セットになった物語、二十四孝の物語は庶民に伝わっていき、広く庶民に学ばれたようで、そうなるともう、みんなご存じの話も多かったのであろう、歌舞伎の中に紛れ込んでいたり、浮世絵になっていたり。それも、見立てで。知らないと面白さが半減してしまう見立て。知っていると「この部分はそれなのかあ!」と思う面白さがあります。
二十四孝の物語は「へー」と思うもの、「??」と思うもの色々あるけれど、代表的なものはいくつかで、結構絵になっています。今回の展覧会以外でも、ちょくよくこの画題に会ってたな、と思うものも多かったです。

なかでも、孟宗の話(冬に筍を探すこうこうむすこ)は大人気。話としても絵柄としても華があるからなあ。
孟宗(人です)自身が描かれてなくても「これは孟宗だな!」とわかるほど、布団の染め柄になってたりして、当たり前の話だったんだろうなと思います。私ももう知ったので、雪が描かれていて筍があれば「あれか?」と思うことにします。(人の代わりに筍ほりの道具や雪をよける笠とかが一緒に描かれているとかなりの確率で孟宗の話)

楽しめるかなあと心配だったのだけれど、意外なほど「たのしい!」と見ていて思ったのは、もしかしたら、絵ときの問題をどんどん解いているようなかんじがあったからかも。


私が今まで見た展覧会と今回で覚えた「決まり」の絵柄はこんな感じ。

虎と男性二人が「すわっ!」となっていれば「お父さんを虎から庇う息子」。象がやってきて(だいたい2頭ぐらい)、なにやらお手伝いしているっぽく若い男の人の隣にいれば「孝行息子に象が畑を手伝いに来てくれたところ」。今回なかったけれど、みかんをぽろっとしていれば「おやつに美味しいみかんをもらってこっそり持ち帰るところをドロボー呼ばわりされた(いやもらったから)けど、あまりに美味しいみかんを親に食べさせたいがための話」。畑に三人の男が木のところに立っていれば「遺産の畑を三つにわけて、木も切って三つにきっちりわけようとしたけれどやめた兄弟」(これ、今ひとつわからないとおもっている。みんな別れず一緒にいろってこと?)。一人の女の人が二人の子供を連れていて、わきに男性に跪いているちょっと大きめの男の子ならば「冬に継子に薄着させていじめる継母と息子」。うちわで寝床をそよそよしていれば「父親を暑さや寒さから守ろうとしている息子」。横たわる父親の傍で父親は着物を来ていて自分は裸は「父親を蚊に刺されないようにしている(自分が刺される)息子」。木造の年老いた女性の前に男女がいれば「木造の母親につくす夫婦」。川のそばで男性がなんかしてるみたいに見えると「継母に魚を毎日差し入れしていた孝行に天が報いて川ができた話」。
男性のそばに天女がフワーッと飛んでいるのは「親の葬式のため身売りした男性に天女が結婚してくれて機を追ってくれて自由の身にしてくれた話」。
雪が降っているところで筍とっていれば「孟宗の母親に冬に筍をとってきてあげたい孝行がすごくて冬なのに筍が見つかる話」。女性が赤子を抱いていて、横の男性が穴を掘っていれば「孫に自分のご飯をあげていたのを知った子供が子供がいなければ!と子供を穴に埋めようとするが(ちょっと・・・それはやめたほうが)その孝行(?)に天が感動したのか王号の釜が出てきてなんとかなる話(いや、おばあさんが一生懸命孫にご飯を分け与えている気持ちは?二十四孝は激しめの話が結構ある)。

おばあさんっぽい人が座っている前で男の人が食べ物を持っているとか、食べ物を持っている傍にいる場合は「母親の毒味を毎回する息子」(緊張感のある日常)。

老人っぽい人がなんか踊ってる?ような感じでそれを老人がみているのは「自分の親がとしとったのを感じないために、自分も70なのに赤子のように振る舞ってみせた」というどっちも大変なすごい作戦の図。

といった感じが代表的な図がらのようだ。全部書いてあるので、割合すぐに覚えられると思う。

そして、これも今ひとつはっきりよくわかってなかった帝観図。酒池肉林なんかはそのまんま屏風に肉をいっぱい吊るしたわきに、ひとがたくさん池の水をごくごくしているような池のところへ巨大な水差しみたいなのでどばーっと何かを流し込んでいるので「お酒かあ」とわかるような図など、わかりやすい場面もあるのだけれど(もう一つ、偉い人の前で男性が跪いていたりすると、有る事無い事言われた忠臣をちゃんと忠臣とわかってる賢帝の図、というのは結構わかる)、あとは今ひとつよくわからない。

これらの、どちらかというと正統派の絵をたっぷり学習したあとで、そのバリエーションとして生まれた江戸時代の浮世絵を見ると、なるほど、これか!と思うので楽しかったです。

帝王といえば鳳凰。桐の実を食べるんでしたっけ。好きな図なので、鳳凰がぱーっと飛んでいる屏風や漆芸をみられてこれも満足。
よき王のところには瑞獣が現れ、すぐれた臣下が集まるもの。となっているので、すぐれた臣と瑞獣の絵や装飾で周りを飾り、理想の姿を目指す、というのが帝王の生活なのだろうなあと思います。厳しく、重厚感のあるトップス臣下の絵に囲まれる部屋はちょっと落ち着かない気がするけれど(障壁画でそういうので囲むのだそうだ)、それは私が王ではないからなんだろうなあ。


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