ほんの一歩
鼓を習って、おそらく約20年ぐらいにはなるのではないかと思う。
何をきっかけか、というのは難しくて、習いたくてすぐ習った、習えた訳ではないので、なんとも自分でも説明がしにくい。
けれど、結局習うことができて、そして、今の先生につけて本当に良かったと思っている。現在、私には生きがいとか趣味だとか、そう言ったものがないので、これだけが楽しみで、熱心にしていることと言えると思う。
私が習っているのは能楽小鼓。あの、肩の上に乗せて、ポンポンと音が出るあの楽器だ。歌舞伎や長唄なんかでも後ろで演奏されているけれど、それとは楽器は同じだけれど、演奏している曲の種類が違い、前で演じられたり謡われたり(歌われたり)しているものが違う。
お能は能楽堂、能舞台で演じられることがほとんどだけれども、例えば歌舞伎はそう言ったところでは上演がされない(部分的に舞踊が能舞台上で披露されることはある)と思う。能舞台には舞台上に幕はないけれど、歌舞伎など見ていると演劇の舞台なので幕がある。あの幕が上がったり下がったり、また上がる前の気分などは、芝居特有の気分があっていいものだなと思うけれど、そういうものとは様子は違うなと思う。
お能がどんなものはは専門の人に譲るとして、私が初めてお能を見たのは小学校に入っているか入っていないかぐらいの時だと思う。見たのはテレビで。その頃、家に留守番で一人でいることが多く、病気ばかりしていたので、テレビを見ることが多かったのだ。多かったけれど、子供が見られるようなものを昼間に放送していないこともあり、演劇、バレエ、音楽など小さい子供でもなんとか見られる番組があれば、見ていたのだ。その中に歌舞伎やお能があった。
字幕が出ていたと思う。言葉が難しくて何をしているかさっぱり。ジェスチャーからも推しはかるのが難しいな(特に前半)とうのがその時の感想だった。
でも、綺麗だ。とも思った。そう言う思いがずっと残るものだった。
それからだいぶたって大きくなってから能楽堂で狂言と囃子の組み合わせ(お能の上演ではなくて囃子、つまり楽器演奏がメインのコーナー)の会に偶然行くようになった。その時の囃子の演奏の「綺麗さ」に再び出会って、囃子の正解に憧れを持ったのがその後だいぶたって習うようになったきっかけかなと思う。
綺麗だ。私もあれをやりたい。あの世界に入りたいなあと思ったけれども、同時に「ああいうものは特殊な立場にいる人やそういう環境に近い人、ちいさい頃から習うものなのだろう」とも思った。なにより、いったいどこでどうなったら演奏できるようになるのかさっぱり検討がつかない。ただ、なんとも美しい音楽で楽器演奏だなと思ったので、日常の自分の困った生活や困難なこと、辛いことなどを全て置いて聞ける美しい世界として憧れていた。
現在、なんでもネットで調べれば大抵のものに接続できる世界なので、「検索すれば?」と思うかもしれないが、当時そんなものはあったはあったのだろうけれど、一般的ではなかったのだ。検索自体はできたのかもしれないが、おそらく情報はなかった能な気がする。つまり、素人が習い事で習えるようなものが。大体私にも発想がなかった。プロフェッショナルの世界を見て、習い事としてそう言う楽器が習えるという発想が。
それでずっと「好きだなあ」なんて思って過ごしていたのだけれど、ある年、ある日、「何かしたいことってあるか」と聞かれた。その頃大変な事が私生活であり、困難な山もり時期だったのだ。それで色々と話し合うべき事があり、解決するべき問題もありで、それを整理するために専門家と会話をしていたのだ。それで何の流れでそう聞かれたのかさっぱり覚えていないのだけれど、おそらく、私が、もう、何にも無いですわみたいなことを言ったのだと思う。それで向こうも軽く元気づけるというか、話の流れで何気なく「何かやりたいことぐらいないんですか」みたいなことを言ったのだと思う。で、ふとそういえば、まあ、全然自分にはかんけいないんですが、という気持ちで「小鼓を習いたいんですよねー」と夢話みたいな感じでその時返事をしたのだった。すると、相手がことも投げに「習えるんじゃ無いですかね」と返事をしたのだった。いや、世間をご存知の人には「そりゃそうだろう」という話なのだと思うけれど、私はあれが「習える」ものだとは思っていなかったので、衝撃の返答だったのであった。
私としては、なんというか良い例えが思いつかないけれど「ジェット機操縦したいんだよねー」ぐらいの気持ちで言ったのに「やれるんじゃないの?」と軽く返答され、衝撃と共に「あ、そうか。習いととしてあるか。」とアホみたいな話なのだけれど、即座に納得。その日のうちに、最初の師匠、長唄小鼓につながるのであった。うーん。なぜに長唄。
そこがまたうかつなところで、能楽囃子しか聞いていなくて、そっちが好きなのに、「小鼓」という楽器だけの流れて、「習えるところ」を探し「長唄小鼓」につながってしまったのであった。うーん。
でも憧れの楽器が習えるだけでいいか。としばらく小鼓を習い、その後そこをやめ、能楽小鼓のほうへ移っていくのだけれども・・・とにかく、私が一生やっていきたいと思う楽器と音楽に繋がったのは、ほんの本筋の話の流れからはずれた雑談の一言からはじまったことで、またそこで「あ、そうか」と思って行動したことによってはじまったのであった。
まあ、長唄もやってみると楽しくて好きになったので、いいのだけれど(そして後々なんとなく同じ曲のアレンジ違いで検討がつくようなところもありでマイナスではなかったと思う)本当に好きなのは能楽の方だったので、すっぱり諦めて移ってよかったと思っている。