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修験と密教の美術 祖師とみほとけ

近いのに、ずっと行ったことがなかった半蔵門ミュージアムに時間が空いたので行きました。

半蔵門駅からすぐのビルの中。地下が展示フロアになっています。開催中なのは「修験と密教の美術 祖師とみほとけ」。何も考えずに来ちゃいましたが、密教かあ。

でも、入るとすぐには「ガンダーラの仏教美術」の展示が。普段見ない種類の物なので、興味深く見る。釈迦の物語が結構具体的なレリーフ状の飾りで作りこまれている。

ところで。「仏像がわからない・・・。」というのが私の小学生ぐらいからの、密かな悩み。大体そのぐらいから仏像を見る機会って増えていくではないですか。もちろん、見て、「美しいな」とか「これはそこに停止して置いておくといったものではなく、アニメーションみたいに動いているものや、立体的な動きをなんとか図とか像で表そうとしているものなんだな」とか、「じーっと見てるといろいろな感じが見えてくるし、なんだか、目が吸い付いていくところがあるぞ。ということは好きってことかな。」とか「かっこいいな」とか「面白いな」とか。そういう、なんとうか「好き」とか「素敵」とか「あ、きれい」といった感想はあるのですが、「意味」は解らない。

ということで、機会があれば仏教美術と呼ばれるものを見ているのですが、見ているうちにさらなる「わからない」が登場。曼荼羅です。曼荼羅問題はその後、本を読んだりいろいろしているのですが・・・。じっと見ちゃう図ではあるのですが(なにせ仏様がいっぱい登場したり、いっぱい飾りが描いてあったりするので。)、よくわからないなーと思うものなのです。しかも、曼荼羅って密教のあの胎蔵界、金剛界の曼荼羅だけでなくて、春日曼荼羅とか、曼荼羅ジャンルもいっぱい出てきて、「えー、これも曼荼羅なのか。わからない・・・。」というジャンルです。

それは置いておいて。

とにかくわからないけれど、楽しめるし、なんだか心がすーっと吸い付いていくようなものが、優れたものの中にはある。というのが私の現在の状態。

そんな状態で入っていたのですが、展示してあったガンダーラ美術のレリーフは結構具体的な場面で、お話形式なので、上記のようなことは問題なし。意味は「こういうお話だ!」「登場人物はこれだ!」というようなものなので、「へー」と思って楽しめます。登場する人々の様子も「日本でこの雰囲気には絶対ならなそうだなー」というような様子。本当に人形劇みたいな感じなので、面白いです。馬に乗って釈迦が「もう、城を出て山に行く!」となっているところとか。確か、この馬も山の中で「この先は一人で行きますので」とお付きの人と返されちゃうんですよね。その場面、何で見たんだっけなあ。絵因果経?

とあると思ってなかったガンダーラ美術を堪能。結構面白い。

次の部屋に祈りの世界として両界曼荼羅と大日如来坐像、っして不動網王像。この大日如来像がすごくいい。入ってすぐ、「あ、きれい」と思う像。近くで見るとなぜか上へ上へと視線が行ってしまうのが不思議で、困りましたが、とにかくきれい。来た甲斐あった!わーい。不動明王もなかなかいい。ふっくりとした腕や、どこか親しみを感じるお顔。きれいにととのっているけれど、どうも、コワイというより、なんだか親しみを感じる。なぜかなあ。不動明王ってこういう黒っぽい青というか緑というかそういうからだでぷっくり張りがある肌っていうイメージは結構好き。

さて、その後が特別展の修験道コーナー。行ってみたら役行者絵巻があるじゅあないですか。わーい。絵巻があるなんて思ってませんでした。この絵巻、すごく面白いし、絵も新しい(江戸時代17-18世紀)できれいだし。文字も比較的読みやすい(ひらがな多し)し。このジャンルの話がすきなので大喜びです。役行者が鬼を従えるシーンが絵になっていて、鬼がすっごくかわいい。いろんな色で顔がちょっと犬っぽいからだと思うのですが、すごくかわいい。連れて帰りたい。いや、やっぱりよしたほうがいい。手に斧を持っているような生き物を家には入れたくないな。などと思いながら見る。

それにしてもですよ。役行者は自分の弟子が来るのが大変だからって、葛城山に、葛城にいる一言主(神様)に「橋を架けろ」っていって、やらないからって戒めって。そんなスーパーパワーがあるのならば、自分で架ければいいのに!と思いつつ読みました。一言主だって「え、なんで私?」って思うんじゃないかなあ。

役行者はご存じ、吉野で蔵王権現を「ぬおー」っと感得した人。「ぬおー」は私のイメージ。なぜ「ぬおー」イメージなのかというと、千日の修行の後、衆生救済のためのふさわしい本尊を求めたところ、はじめ釈迦如来が出現するも「今の世は乱れているから、本来の姿ではなく(みんな見ることができない)、もっと!」と望むと次は千手観音菩薩、それでも末法末世の今の世には合わない!もっと!と祈り続けると弥勒菩薩が。でも、今は悪がはびこっており、そういう悪を払う、打ち砕く強い強い姿を!!と祈ったところ、雷鳴とともに盤石を割って大地の中から飛び出すように現れたのが蔵王権現。だから躍り上がるように足を上げ、憤怒の相、振り上げた手には三鈷杵か独鈷杵を握り、もう一方の手を腰のあたりで剣印を結ぶ。という姿で描かれることが多い。そういう「もっともっと!強い姿を!」っとやってるエピソードを聞いて「ぬおー」イメージが出来上がりました。ほんとはそうじゃないでしょうけれど。「ぬおー」解説終了。

で、その役行者がスーパーパワーを身に着け、鬼を従え、一言主に「不便だから橋を架けてよね」と依頼、やる気ない(たぶん)はずの一言主が「はい(いつかね)」と返事(想像)したかどうかはわからないけれど、架橋工事を放置。役行者「戒め」。「だから、なんでそもそも私なの?」と一言主が朝廷の官女に憑依して「役行者って超能力を使って国を脅かします!」と讒言(間接的な仕返し。直接的な威力(腕力とか武力)がないのか?弱いのか?ならなおさら架橋工事は無理なのでは)、朝廷が「そりゃいかん!」と軍隊派遣。軍隊をスーパーパワーで物理的に排除する役行者(絵で見ると人を吹っ飛ばしたり、首をあれしちゃったりいろいろしているので、物理でいろいろやれるようなので、なおさら、なぜ橋を架けない・・・と思うシーン。細かい作業がだめとか?)。で、朝廷も「なんかすごいからスカウトしたい!」と言い出すが(すごいハッカーだから雇いたいみたいな感じだろうか)、「いろいろごたごたしたので、もう嫌です。」と最後は母親と(途中、母親が人質になったりしていた)一緒に雲に乗って海外へ。という大スペクタクル絵巻。です。まあ、わかってますよ、架橋工事しろっていうのも「従えたシリーズ」なんですよね。ええ。でもやっぱり、なんで私?ってなるのもわかるような。

ちなみに、能の葛城もこの「橋を架けろっていうけれど(自分は醜いので)、夜しか仕事できません」というエピソードが出てきます。切ない。だからなんとなく、役行者に「いや自分でやってあげてよ」という気持ちになるのかも。お能の葛城の神は役行者に作業遅延の件でぐるぐる巻きにされてます。切ない。許してあげて。力が強いなら優しくしてあげて!と役行者の当たりの強さが気になります。

とにかく、そんな大スペクタクル話なので広く楽しめる絵巻なのではないでしょうか。絵も結構はっきり描かれている系。最後の飛んでいくところとか、付近住民のびっくり具合とかおもしろいです。それはびっくりするであろう。今ならみんなスマホで撮っているところが描かれるな。きっと。いや、そもそも絵巻が動画か。

というわけで、面白絵巻からスタートの特別展コーナーなのですが、そのほかは資料系や愛以前明王像や不動明王像の絵といった展示。資料はよくわかりませんでしたが、とにかく手書きなので、その字も見ていると、いろいろな人がいて、その人自身の手というものを感じられるので、それを味わいました。

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