【人生の転機】27でオタ婚をして、42で二次元の推しができた話
人間誰しも、人生の転機といえるタイミングがあると思います。
多くの人は受験や就職、そして結婚といった”人生の決断をするタイミング”が転機として挙げられるでしょう。
自分にとっては27歳がその転機でした。
何があったかというと「結婚をしようと思った」年です。
結婚をした、ではありません。思い立ったタイミングです。当時、彼女いない歴=年齢の二次元オタクで嫁はJPEGに限り、三次元に興味はなかった。それがいきなり結婚を考える? 妙だな?
理論が飛躍しすぎてる。本来取るべき過程が一切すっ飛んでる。ですが、本人としてはいたって真面目な話でした。
我ながら昭和な思想が幼少期からあって「親から自立しないといけない」「結婚してこそ一人前・親孝行」という行動原理が人生の命題としてありました。
自分にとって結婚は義務で、いつかやらなければいけないことだったのです。
またもうひとつ深い理由として「人生のルートがいったん完成した」と感じた頃でもあった。
社会人5年目になって大人としての生活が軌道に乗り、実家ぐらしで貯金もできた。このまま独りでゲームと二次元に没頭しながら無難に仕事をこなせば問題なく幸せな人生を終われると思ったタイミングでした。
このように結末が見えると、自分の困った性質としてその事柄に興味をなくしちゃうってのがあります。興味をなくしそうになったんですね、人生に。
ゲームに例えれば、ラスボス前でレベル上げ終わって確実に倒せる状態かつ寄り道も終わってしまうと、そこから先がどうでもよくなってエンディング見ずにゲーム売っちゃうやつ。
「あ、こりゃいかんな」と本能的に悟って、新たな目標を作ることにしたのでした。
結婚相手に求める条件が少なかったのは功を奏した
さて結婚を目標に定めはしたが、当たり前なことに相手がいなければ出来ない話。
私が結婚相手に求めることは「生粋のゲーマーであること」の一点のみでした。
これから数十年ずっと一緒にいないといけないのにゲーム話が出来ないなんて耐えられるわけないだろ! そもそも自分が他人と話せる"言語"はゲームしかない。
逆にこの条件以外は、容姿も性格も年収も生活能力も問わないつもりでした。
昔はそんな言葉はありませんでしたが、今で言うとまさに”オタ婚”。
求めるものは恋愛ではなくパートナー。利害の一致した異性の友。誇張でなくこの漫画のような関係でした。
いざ思い立った途端、トントン拍子に話が進む
人生不思議なもんで、何かしたいと思ったり言葉に出してたりすると、本当にそれを呼び寄せることがあります。
ちょうどそのタイミングで、仕事の常駐先で世話になってた年配のお客様が、ゲーム好きの姪っ子を紹介してくれました。仲人ってやつです。
(後から聞いた話、仕事の真面目さから目をかけてくれてたみたいでした。自分が思ってる以上に他人は見てるもんだよね… にんげんって怖い)
お相手であったところの今の嫁さんは、任天堂信者でテイルズオタクというゲーマーの鑑かつ絵も描けて漫研で同人誌を作ってたくらいのガチ勢でした。そのレベルのゲーマーとなれば気性も合い、そのまま結婚して子供もできて42歳に至っています。
人生のルート選択において最良だったのは間違いない。
独身を貫くという選択肢も当然あった
とはいえ上手くいったのは結果論でもあって、ゲームと二次元だけを独りで追い続けるという独身貴族ルートも選択肢にあった。
独りでいることが全く苦ではなく、家庭をもった今でも独りでいる時間を意識して取らないとストレスが溜まる。結婚直後に仕事の激務が重なって軽いうつ病になったりもした。今思うと結婚で生活環境が変わったことによる適応障害のほうだったんじゃないかと思う。
一家の柱としての責任も伴うようになった。どんなに仕事がツマらなかろうが食い扶持を考えれば辞められるものではない。息子はかわいいが子育ては楽しいことばかりではない。それはそれ、これはこれだ。
今のルートが最良と分かっていても、”もしあのとき”というIFの人生に思いを馳せることは少なくない。
もうひとつの転機。己の業からは逃げられない、のかもしれない
さて、上記をふまえて「人生の転機」というタイトルの話に戻ります。
この話の続きとして、昨年42の時にもうひとつの転機と言えることがあったんですよ。
それが、とあるVTuberとの出会いでした。
根本的に仮想と自分の内面にしか興味がないので、他人のための行為である"誰かを応援する"=今でいう推し活という行為は、自分には無縁でした。
結婚して現実=三次元に若干寄った状態とはなっても、普通の人がハマってるようなアーティスト・芸能人・アイドル・スポーツ選手などの応援には1ミリも興味が沸かないままだった。
それがVTuberを見た瞬間、電撃が走りました。
「結局、二次元に戻ってくるのか自分は」という強烈な納得とも諦観とも言える感覚。
気付いた時には想いの丈をこうして書き綴っていました。
六原小森さんの応援をキッカケとしてnoteを始めたり、VTuberのイラストを追ってるうちに昔好きだった絵師さんをまた追い始めたり、勢い余ってskebを頼んでしまったり、去年は新たなチャレンジとあわせて「好きだったものを思い出せた」年でした。
これが転機といえず、なんと言えるのか。…狂人に戻っただけかも。
ここで伝えたいのは、一度離れた人生のルートでも、いつか戻ってくることがありえるということです。
もちろん誰しもがそうではないが、少なくとも自分は二次元好きという己の業からは逃げられないと思い知った瞬間でした。
10代〜20代の頃にハマったものはやはりどんなに時間が経っても色褪せず、インプットとして強烈な印象を残し続けるもの。
自分の欲望に忠実な今、楽しんでます。
選んだ以上はその道を走り続ける努力はしたい
とはいえ世の中で一番信じていないものは自分の感情なので、正直まだこれが自分の転機だったと断言できなかったりもします。
そもそも今ではなく後で振り返って「そういえば、あの時だったかも」と思えるタイミングこそが転機、と言えるものかもしれない。
なので、こうしてnoteでいまを書き残すことによって、想いを強固にしておきたいという目的もあります。
大変長い話となりましたが、今年もnoteとゲームと六原小森さんの応援を継続して頑張ります!
ということで年初の挨拶に代えさせていただきたいと思います。