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伊豆山土石流災害当日

1.はじめに

この写真は、全て(何も書いていない限り)私が撮ったものであり、私が撮ったものでは無い場合は、引用元などを書きます。そしてこのことは、メディアにもネットにも出すのは初めての情報です。画像などを使用したい場合は、コメントに自分の身分、用途、新聞やテレビでしたらいつのどの会社に載るか、テレビならばどの番組かを教えてください。ネット記事ならば、そのサイトや、いつ掲載するかを教えてください。(新聞もテレビもネット記事も、全てわかっていればでいいので、強制はしませんが、出来れば書いて欲しいです。)これらを踏まえて、許可を出すか出さないかを決定します。間違っても無断使用、無断転載はしないでください。コメントに書いたとしても、許可が出るまでは使わないでください。必ず許可が出る訳では無いので、ご理解ください。

前日まではこれといったようなこともなかったので、当日の朝のことから書かせていただきます。ちなみに、家の構造は、二階建てで、一階と二階が繋がっておらず、そとの家のすぐ側の坂を経由しなければ一階まで行けないような構造です。(この情報を知らないで読むと、5で意味がわからなくなります。)

2.前兆

当日は、部屋の片付けをしていました。その時、なかなか雨がやまないなぁと思って窓の外を眺めていました。そしたら家の前の道路に茶色く濁った水が流れていました。綺麗なにごっていない水になったり、濁った水になったりを繰り返している様子でした。このっときに「なぜ起きているのか」を判断出来れば、祖母を行方不明にさせることもなかったと、いまでも後悔しています。

そしてふたつ目の前兆。それは停電。1秒ほどの停電が2回ありました。自分がTwitterで停電についてツイートした時間を元に考えると、だいたい10時半くらいだと思われます。

(一枚目の写真が、8:06、二枚目の写真が9:27です。)

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3.行政無線

それからしばらく掃除を進めていたら、行政無線で「○○造園(名前忘れました)付近で土石流が起きました。」という旨の行政無線が流れました。その造園がどこにあるのかが分からないので、何も気にせずに進めていました。

4.土石流が自宅まで来る可能性があるのを知る

近所の人が、自宅の目の前まで来て、「ちょうど上で土石流起きている」と知りました。様子を見に行った自分(絶対だめ)は、とりあえず岸谷バス停付近に来ました。そこに来た時、大勢の人がいて、丸越酒店方面へ行こうとすると、止められました。そして、岸谷バス停から、カームヒルズというマンションの方を見ると、砂埃(ならぬ土埃?)が舞っていたのが見えました(下の写真)。この時点で、私は本当に土石流が自宅の上で起きていると悟って、母がいる自宅まで戻って、母と一緒に逃げようとしました。

(この写真は、11:03)

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5.土石流の土砂を実際に見る

ですが母は祖母の心配をして、なかなか逃げようとしませんでした。もう既にその時点で、瓦礫混じりの粘着質そうな泥が、家のすぐ目の前まで迫っていました。この時はまだそこで止まっていたので、2人とも逃げることが出来ましたが、逆に家のすぐ目の前まで迫っていたせいで、一階にいる祖母を助けることが出来ませんでした。

6.逃げる〜その日の終わり

結局祖母を助けることが出来ずに岸谷バス停まで一時的に避難しました。そこで、仕事をしていた父が仕事を切り上げすぐに私のところっへ来てくれまいした。そこで、父が家の状況を確かめに、家を見に行きました(家は道路の目の前なので、いまでも家の目の前まで行けば家の跡地が見えます。)。その後、戻ってきた父に、「家が流されている」と伝えられました。家が流された時間は、自分の持っていたiPadが最後に位置情報を更新した時間を元に考えると、10:55~11:00分だと考えられます(嘘ですね土埃の写真が11:03なのでおそらく11:03~11:10の間ですね)。

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家が流されているのを知ったのは、この時が初めてです。そこから必要なものを揃えるため、熱海駅の百均、スーパーなどに寄ってから、父がいきいきプラザにて、様々な手続きを行いました。私たちは、市が用意した避難所(ニューフジヤホテル)ではなく、幸いなことに父の職場はホテルだったので、そのホテルにて静かにしばらく生活していました。(金城館からはその他の避難者と同じように金城館へ避難しました。

7.おわりに

7/3当日は、これくらいなので、これまでにしたいと思います。読み直しをしていないので、もしかしたら誤字などもあると思いますが、見逃してください。こんなにも長くて拙い文章を最後まで読んでくださりありがとうございました。次回は、気が向いたら投稿します(忘れてしまうかもしれませんが)。

多分次登校するとしたら、7/4~避難生活の終わりまでのことを書くと思います。(前半後半に分けるかもしれません)




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