第1の避難先
1.はじめに
画像の使用等につきましては、「伊豆山土石流災害当日」を見てくださると幸いです。
これからは、区切りとしては
・第1の避難先
・第2の避難先(前編・後編)
・第3の避難先
・現在の住まい
の予定でいます。
あと飛んでいるところは、何も無かった日です。
この記事においては
ホテル=本来の避難先であるニューフジヤホテル
避難先=私たち一家が避難していた父の勤めているホテル
です。
2.発災翌日(7/04)
発災翌日は、早速土石流があったところを見に行きました。私の家は見ませんでしたが、遠くから見ました。そこにはもう警察に方々が来ていました。
3.7/5
この日の朝、初めておそらく青いラインの入った海上保安庁の船を見ました。
私はこの日に、初めて本来の避難先であるホテルに行きました。その次のは、祖母のことや色々な手続きをしに、警察署へ。
4.7/7
今思えばこの日は七夕ですね。ですが災害のことで頭がいっぱいだったので、そんなことも忘れていました。
その日は、南熱海マリンホールへ行きました。そこへ行って、親や、親の兄弟のDNAを取り、祖母を探す手がかりを渡しました。
この日も、自宅を見に行きました。この日は警察の方々よりも、自衛隊の方々のトラックの方が多かったです。
5.7/10
この日で、発災1週間です。祖母が早く見つかるように。と祈りました。
6.7/12
この日から学校生活が再開しました。
図書館では"授業"と言うよりかは"自習"でした。先生から配られたプリントをやる。それだけでした。
そしてこの日に、文房具店に、鉛筆、筆箱、消しゴムなど学校生活を送るにおいて必要なものを寄付していただきました。
7.7/14
この日は、熱海海岸自動車道が無料開放された日ですね。この日に、発災後初めて湯河原町に行きました。久しぶりの湯河原町での買い物は、熱海では売っていないものも買えたので、嬉しかったです。この時は、災害で負ったダメージが大きすぎて、こういう小さな出来事でも、嬉しくなってしまうのです。
8.7/18
この日は、ホテルに沢山の人が来ていました。友人によると総理大臣も来ていたと。
10.7/19
この日は、プロペラ機が多かったです。
11.終わりに
とりあえず第1の避難先は、これで終わりました。質問等がありましたら、コメントでお願いします。翌日の7/20からは次回「第2の避難先・前編」にて紹介します。