【小説】CAMP②
無事に一次試験を突破し、面接を終え、僕等は試験に合格した。来月から、それぞれ働く職場も決まった。
安堵と、決意と、不安。入り交じる感情。
仕事を辞めてからちょうど1年だ。消えてしまいそうだったあの頃の自分は、今の僕をどう思うだろう。
互いの合格と就職祝いと称して、今日は彼と、少しだけ大人な雰囲気の店に飲みに来ている。初めて話した日の居酒屋でのテンションとは違い、彼の中にもまた、入り交じっているであろう複雑な想いを感じる。
鎧を脱いだ彼がそこにいる気がして、僕だけには心を許してくれたみたいで、なんだかくすぐったい。
「また社会人になるんだなぁ」
窓の外を見ながら僕は呟いた。ビルの灯りひとつひとつに、働く人達を想う。
「さすがにもう逃げられないよな…」
遠くを見る彼が、消えてしまいそうに言った。
「あ、ごめんごめん、今日はお祝いなのに。はい、かんぱーい!」
すぐにまた、いつものような笑顔でおどける彼に、たまらない気持ちになる。
「つよがるなよ…もっと言っていいんだよ、なんでも」
「へへっ、悠太は優しいな~」
彼を励ましたくて肯定したくて、何か言おうと思うが言葉が見つからない。
僕自身が不安で仕方なかったのだ。どこに行っても何をしてもまた僕は駄目になるのではないか、結局同じ結果になるのではないか……
彼の力になれるほどの強さも持てず、つよがることすらできない自分に絶望する。
よかったんだよ、勇気を出して自分を救ったんだよ、
そしてまた新しい道を進んでるなんてすごいよ……!
彼にかけてあげたいどの言葉も、弱い自分を正当化したいだけの陳腐なものに思えて、嘘みたいで、なんだか情けなくて、何も言えない。
自分の立場と無力さに腹が立ち、そして悲しくなった。
彼は白くて細長い指でグラスを持ち、一気に飲み干すと、明るい声をつくって言った。
「ね、キャンプ行かない?」
「キャンプ?なんで?」
「え?なんかさ、流行ってるでしょ!だから!」
こういうとこだよ、と思う。僕の不安も苛立ちも悲しみもきっと彼は感じていて、全て受け止めてその明るさで照らそうとしてくれる。僕は救われるばかりだ。
翌日、僕等はレンタカーを借り、キャンプに出発した。最近は、ふらっと手ぶらで行けるところも多いらしい。全て彼が調べて手配してくれた。
「にしても、荷物がギターだけってさぁ」
「キャンプと言えば、焚き火にギターでしょうよ!」
「何のイメージだよそれ」
ふざけ合う時間。もうすぐ終わる儚い日々。あんなに鳴いていた蝉の声はいつしか止み、秋の虫達が控えめに歌っている。闇夜の中で、淡々と燃える炎。
こみ上げる気持ちを飲み込み、僕は言った。
「せっかくギター持ってるんだから。なんか弾いてよ」
それまで喋り続けていた彼が黙っているので、どうしたのかと顔を覗き込むと、彼はギターを抱えたまま、静かに泣いていた。
僕はたまらず、今すぐ彼を抱きしめて、キスしてしまいたい衝動に駆られる。打ち消そうとした熱っぽい感情が、また沸き上がる。
僕は必死でそれを抑えながら、
「貸して」と、ギターに手を伸ばした。
「おっ悠太、ギター弾けんの!」
泣いていたなんて微塵も感じさせない明るさで言う彼。
「この曲だけね。下手だけど」
美しい旋律の切ないラブソング。サビの部分で、彼が僕に声を重ねる。ひとつになる歌声。気持ちが良い。とても甘美な時間だ。僕にはこれで充分だ。
「デビューするか、二人で」
「誰も聴かねぇだろ」
最後の夜が、少しずつ明けていった。
「念願のキャンプ楽しかった!あーもう心残りないわ!晴れて社会人に復帰できます!」
そう言いながら助手席にひょいっと乗り込んでくる彼を、無邪気な子どものようで可愛いなぁと思う。
「あっ。今、子どもみたいだなーとか思ったんでしょ!そんなニヤニヤしちゃって。もう可愛いな」
僕の髪をくしゃくしゃに撫でながら、彼は笑った。
そして、その大きな両手で優しく僕の頭を包んだまま、急に真剣な顔をして僕をまっすぐに見つめると、
「ありがとうね。」
と甘い声で言った。
透き通るように茶色い、でもその奥の熱っぽい瞳。
僕はドキっとした。
もしかしたら、彼の仄暗さを、僕は、僕だからこそ、照らすことができるのかもしれない、と思った。
彼が、明るさばかりを強くしようと頑張って、影を濃くしてしまわないように。僕が影の方から光を当てたい。
そして彼はいつもの笑顔になると、
「つよがり上等!つよがってこうぜ、立ち向かってきたんだから、俺達は大丈夫だ!」と高らかに言った。
「だってさ、もう、同志がいるじゃん。今までとは違うよ。疲れたときは、またキャンプだ!キャンプ最高!」
あぁ僕等はもう立ち向かっていたのだ、と思った。あのまま自分を消して生きていくことなく、現実から目を背けずに新しい道を見つけ、その道を逃げずにここまで進んできたのだから。
安心できる場所があって、受け入れてくれる人がいて、そして、自分もその人にとってのそういう存在でいたいと思う、なんて心強いのだろう。そのことさえあれば、どこにいても、何があっても、きっと生きて行ける。
僕はやっと、つよがって前を向ける気がした。
「何かあったらいつでも俺が一緒にユニット組んでやるからさ、ギター持って。二人でデビューしようぜ!」
僕は泣きながら笑った。もう大丈夫だ、僕も、彼も。
「さっ行こ、ちょうど青だよ」
彼の明るい声に応えるように、まっすぐ延びる道の先がまばゆく青く光る。あの光の向こう側まで、見えないもっと遠くまで。僕等の日々は続いていく。
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