蔵王山 (1/100) 青赤アウェイ百名山
2018年8月。
東京が登場する天皇杯の試合観戦と、記念すべき青赤アウェイ百名山の一座目踏破のため、夜行バスで山形へ。
平日でも帰省する人は多く、意外にも満員だった。当然、私以外にも青赤を着込んだ人も数人いたが。
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普段は車中であまり寝付けない性格なのだが、この日は意外もぐっすりと眠ることができた。
あっという間に早朝の山形駅前に到着。コンビニで朝食と昼食を買い込み、蔵王温泉行きのバスへ乗るためにバスロータリーへ。
この日は平日で、仙台方面行きのバス停にはスーツ姿のビジネスマンが大勢並んでいた。
1時間に1本か2本程度の蔵王温泉行きのバスには、私含め4人程度が乗車。
地元の人と、きっと私と同じ目的の乗客である。
蔵王温泉に近づくほどに標高は増していき、バスに乗車していた1時間の間に街景色から田園風景に、田園風景から森林風景へと眺めは変わっていった。
1時間ほどで蔵王温泉バスターミナルに到着。不要な荷物をロッカーに預けていざ登山口へ。
今回のコースは蔵王連峰の一つ刈田岳からのコースではなく、ロープウェイ横からのコースをチョイス。
山と高原地図とネットの情報を頼りに選んだコースではあったけども、場所がわからずロープウェイの係員に尋ねる。
「そこの●つ目の支柱(何番目かは忘れた)の横に小屋があるから、そこから入っていけるよ。」
そう言って指をさしたのは、ロープウェイの急斜面。
いきなりの急登に息を切らせた。
そして、辿り着いた登山口がこれである。
言っちゃ悪いが、廃墟である。
嫌な予感しかしなかったが進むことに。
数分歩くだけで普段から登山者があまり出入りするコースではないのだろうということがわかる。
しかし、草で道が覆われていて歩きにくさは少々あったが、迷うことなく自然を満喫できるコースであった。
特に延々と続く木陰が涼しく非常に気持ちが良い。
しばらく進むと蔵王連峰の一つ、三宝荒神山の立て札が。
ちなみに山頂ではない。分岐に当たったという感じはしなかったが、恐らく別方向に行けば三宝荒神山に辿り着けるのだろう。
さらに歩みを進めると、頭の上をロープウェイが通って行った。
蔵王山は有名なスキー場だけあって、リフトやロープウェイが多い。乗り物を利用して一気に標高を獲得してから山頂まで歩くコースもある。
連峰の一つ、刈田岳にはレストハウスがあり、バスで一気に山頂付近まで行くこともできる。
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歩き始めて1時間半ほどが経過。木陰を作ってくれていた高い樹木に代わり、雲一つ無い晴天が頭上に広がっていた。
振り返れば、麓の街並みに加えて、綺麗な山並みが遠くにそびえていた
このぐらいまで来ると、進行方向先には蔵王連峰最高峰の熊野岳が拝めるようになる。しかし、道のりはまだまだ遠い。
しばらく進むと、軽く崩落している場所に出くわす。
このコースがいかに人があまり通ってない道であるかというのを改めて感じる。崩落により道幅が30cmほどしか無い箇所もあった。
この崩落部を越えて、稜線の分岐点のワサ小屋跡に到着。
ちなみにワサ小屋というのは、かつて参拝者の世話をするワサさんという名のお婆さんが営む小屋があったんだとか。
今のように登山道が綺麗に整備されていたり、楽に標高を稼げる乗り物があるような時代では無かったので、参拝者をもてなすワサ小屋のような小屋は貴重なスポットだったのだろう。
日本の山には山岳信仰の対象となっている山が数多くある。山頂には立派な社が建てられている山もあれば、小さな祠が登頂者を迎えてくれる山もある。
蔵王山もそれに漏れず、熊野岳の山頂には石垣に囲まれた立派な社が建てられている。
ちなみに、ワサ小屋跡の近くには山姥の像がある。昔話を語る懐かしいアニメに出てくるような人を襲って食うそれではなく、参拝者の中に不届きものがいないか睨みを効かせる神様として居られるんだそうだ。
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さて、稜線を先に進むといよいよ最高峰への最後の登りである。ここからは2つのルートに分かれる。
一つはなだらかな木段の道。もう一つは岩場の道。
「近道」という文字に誘われ、岩場の道を選択。
グラつく不安定な岩に注意しながら登ること10分弱。
蔵王連峰最高峰の熊野岳に到着。
先ほどまでの稜線歩きと違い、遠方は雲に覆われていて最高の展望とはいかなかったが、空気が澄んでいれば朝日連峰、月山、鳥海山、栗駒山などの東北の名峰が拝める。
ちなみにこの頃の私は、登ることに夢中になり、その山頂からの展望にまで頭が回らず、それぞれの峰が一体何という名前なのか理解せずにただ景色の良さと達成感だけに浸っていた。
今思うと非常に勿体無い時間を過ごしたと後悔している。
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熊野岳の山頂に祀られている蔵王山神社。
各地の山岳信仰でしょっちゅう名前が出てくるのが、役小角(えんのおづぬ)という飛鳥時代の行者である。この人が切り拓いたという伝説や逸話が残る山が日本には多数ある。山岳信仰の開祖であり、今風に言うとアルピニストなのでは?と勝手に思ってしまう。
この蔵王山の名称も、役小角が奈良県吉野の金峰山寺の本尊「蔵王権現」を勧請したことから由来するらしい。
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30分ほど休憩し、蔵王山神社で旅の無事を祈り山頂を後にする。
熊野岳の稜線を20分ほど歩き、刈田岳方面へ。
蔵王連峰で見逃せないポイントとなるのが「御釜」である。
数千年ほど前の噴火の影響で出来た火山湖だ。
写真で見てもわかるように、美しいエメラルドグリーンをしている。
昨今のSNSには彩度を調整する機能が備わっているが、そんなもの必要がないほどの鮮やかさであり、むしろ肉眼の方が彩度が上げられていて美しい色をしている。
ちなみに写真では遠近感が掴めないだろうが、直径で300m弱の大きさである。
自然の為せる美しい光景を眺めながら、そのまま刈田岳に向かいたいところではあったが、試合開始時間にも影響するため、その場から引き返し地蔵岳を経由してロープウェイ乗り場へ。
(膝が悪いため、ロープウェイがある場合は下山時によく利用させてもらっている)
地蔵岳からロープウェイ乗り場に続く木段は両端にアザミ(だったと思う)が咲き誇っており、その鋭いトゲに「楽して帰ろうとしてんじゃねぇよ!」と釘を刺されているような気分であった。
ロープウェイからの眺めも最高だった。それまで登ってきた美しい青々とした森林を眺めながら数分で登山口のロープウェイ乗り場へ到着。
味気なさはあるものの、膝のために仕方ない。
そして下山後は汗を流すため蔵王温泉へ。
写真は無いがロッカーキーは酸性の湯により錆々であった。恐らく十円玉を放り込んでおけば、たちまちピカピカになったことであろう。
温泉を堪能しサッパリしたところで再び温泉バスターミナルからバスに乗車し、山形市内へ。
この市内までの1時間でまた環境が大きく一変する。
蔵王温泉は標高が900m弱なので、それなりの涼しさがあったが、この日の山形市内の気温はなんと39℃。
涼しいところから、涼しい車内に揺られ、そして降りた瞬間に感じた気温差は忘れようが無い。温泉で癒した疲労も再び振り返すような暑さだった。
昼食は山形のローカルフード「冷やしラーメン(とビール)」。
さて、ここからは本来の目的でもある天皇杯。
山形駅から会場行きのシャトルバスで再び数十分。NDソフトスタジアム。
この翌年にFC東京へ移籍することになるGK児玉の活躍によりPK戦でさっさと敗退。
東京ゴール裏側で行われていたので、私と友人は陸上競技場では全く意味のないデュデクの動きをしていたわけだが。。。
山形駅に戻り、駅前にあった松屋で牛丼と小ビールで夕食。
平日ナイターだったため、夜行バスで帰京し、そのまま出勤である。
蔵王を楽しんでなければ、何一つ良かったことが無い旅になるところであった。