あの頃欲しかった言葉
生きるのが辛くて仕方がなかった、あの頃の私が欲しかった言葉ってなんだろう。
高校生の頃、本当に本当に生きるのが辛くて仕方がなかった。
テレビや漫画では、過去に辛かった理由をエピソードとして話したり描かれたりしていて「あぁ辛かったねぇ」とか多くの人に共感されている人を見るけど、私の辛さはそういう単純明快な類のものではなかった。ただただ漠然と生きるのが毎日辛かった。理由がないといえばなかったし、全部が理由だといえ本当に全部だった。頭が良くなかったり、可愛くなかったり、優しくできなかったり、遅刻癖があったり、朝起きられなかったり、夜眠れなかったり、友達がいなかったり、、本当に私の抱えているもの全部が辛くて辛くて仕方がなかった気がする。
今日バイトから帰ると、Twitterで繋がっている友達がひたすらに病んでいて辛いという旨の呟きをしていた。私はすぐさまDMを開いて、「いつでも電話かけて良いですよ」と言おうと思ったが、メッセージを書いて途中で全部消した。よく考えてみると、もしその方が電話を私にかけてくれて、頼ってくれることになっても、なんて声をかけたら良いのかさっぱりわからなかった。
なので、ここでじっくり考えてみようと思い立った。
あの頃の私基準で考えると、ただただ死にたいんだって言葉を受け止めてくれる人が欲しかった。聞き手の声のトーンとか、かける言葉とかは、特別で取り繕ったものじゃなくて、自分に向けられていて、かつ真っ直ぐなものであれば、なんでも良かった気がする。でもそうやって頼れる人がいなかった。友達にはかっこつけて良い話ばかりするし、家族にもそう。家族にもし死にたいなんていえば、「嘘でしょ笑」って言われるくらい、普通に振る舞ってたから、どんどん言い出せなくなっていった。
あ、そういえば、高校の頃の担任の先生に初めて本音を打ち明けた日のことを今思い出した。学校なんて、大っ嫌いな場所だったから、本音を打ち明けるなんて普段の私なら絶対しないのに、なんか本当に疲れてしまって、受験のための面談でぽろっと口にしてしまった。私はずっと涙目で、泣かないように話すのに必死だった気がする。優しいけれど、しっかりした厳しい一面もある先生だったから、どうせ、「でも勉強しようね」って方向に捻じ曲げられると思った。なのに、その先生はその面談の間中ずっと、勉強の話なんか少しも出さずに、「まずその辛いのをどうにかしたいね、どうにかしなきゃだね」って言ってくれた。こんな言葉をくれる大人がいるんだって、とてもびっくりした。大人から見たら、高校生のごちゃごちゃした理由もない辛さなんて、本当にゴミみたいなもんなんだろうと、思っていたし、実際そうなのだろう。なのに、そのゴミに頭の全部を支配されて、どうしようもなく辛いことを、その先生は分かってくれた。分かろうとしてくれた。
欲しかった言葉ってなんだろうって話に戻るけど、結局わからない。でも、その人が自分を分かろうとしてくれて、話を聞いてくれて、その人なりに一緒に考えてくれて、いろんな提案をしてくれたり気にかけたりしてくれるだけで、めちゃめちゃ嬉しくて、世界が少し明るく見えたことを思い出した。
そうして、またまたもう少し話が変わる。Twitterで温かい素敵た言葉をひたすら呟いているOLの方がいてめちゃくちゃ救われたので、感謝の言葉と、どうして欲しい言葉を惜しみなく言えるのか、自分がかけてもらえなかったことを思い出して、卑屈になったりしないのかと問う内容のDMを送った。その人も、最初は卑屈になって言えなかったと言っていた。ただ、だんだん呟いていくうちに、人に声をかけていくうちに、あの頃のどうしようもなかった自分を救っているような気持ちになっていったのだと教えてくれたことがあった。
ので、これらのことからとりあえず声をかけてこようと思った!その都度その人が欲しい言葉を考えて、惜しみなく渡していける人になりたい。今はその気持ちだけで十分だと思う。思いたい。それが私にできるその人にしてあげられることで、いつか過去の自分を救う方法なのだ。