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煌めきを追いかけて


久しぶりにマスクせずに遊びにいったら流行り病にかかりました。2回目だよ。ただでさえ体力がないのに、普段の3割くらいになってしまって辛いです。
まじでかからないように気をつけてくださいね。



私にとっての『夏休み〜実家編〜』は、もうすぐ終わりを迎えます。何もできなかった感。
最後の夜に花火をして、ふと思うことがあったのでnoteを書こうと思いました。

体が辛いからなのか、なんか思考が負の方向に流されがちだ。まぁいいか。
本題なんですけど、最近の私はというか、ここ5年くらいの私は子供の頃の記憶に、感情や体験に執着して生きているなと気付きました。米津さんが地球儀の発表ツイートで言っていたような「独り過去の記憶を辿りながら作曲をしている」に通ずるというか、多分ほとんどの人間は作曲だけじゃなくて日常で感じることとかすべて、過去を介しているのかなって思える。気がします。

家庭科で習ったように、生まれてから成長していく過程で感じることができる感情の種類が増えていくじゃないですか。でもある程度一通り揃ったら、次はその感情に依存する形で、一度した体験のその記憶を介してしか物事に対する感情を感じることができないのかなって。そうだとしたらどうしたら良いんだろう。どうもしないのはそうなんだけど、すこし悲しい。どうでも良いと思えている自分もいて、それが余計に悲しさを生んでいる気がする。
多分まだ病み上がりだから思考が鈍りまくってるのもある。というかほとんどそれが原因だろう。こんなこと普段なら考えないもん。


花火だってあんなに小さい頃は、綺麗だな以外にも違う楽しみ方をたくさんしていた。今花火がしたいなって思うのは、その頃の煌めきが恋しくて、それを追いかける形だ。その記憶がなきゃ多分魅力的なものには映り得ない。
全て終わった後にこんなもんか。ってなるのもすぐ日常に戻れてしまう自分に悲しさを覚えてる。昔は花火そのものが終わってしまうことがあんなに悲しかったのに。

風が強くてお父さんが早く終わらせようと花火を2、3本手に持っていて、「もったいなっ」とは口にしてしまったものの、昔の私ならすごく怒ってたと思う。そんな感情に振り回されてる自分も嫌だったけど。真剣になれていない自分も嫌だなって思う。ないものねだりなだけなのか、本当に心の底からそう思えているのかは分からない。少なくとも今の自分はこう思う。ってだけ。



暑いね。まじで体調に気をつけましょう。一人暮らしで風邪ひきたくないからより気をつけなきゃな。もうすでに暗くなっちゃうけど。しょうがないね。
『月ノさんのノート』を今更ながら読んだんですが、委員長の雑談配信そのままみたいな感じでスッと入ってくる文章で全部面白かった。自分もああなりたい。と何度も思わせてくれるな。目指してるわけじゃないのに(目指そうとも思えないくらいみんな遠いけど)憧れまくってる自分がいる。そんな自分も嫌いじゃないからいいや。


それでは。


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