今に繋がる整骨院時代
私の今を築き、気づかせてくれた整骨院時代。
4年半勤めて、そのうちの1年半ほど分院長を任せてもらいました。
(院長になることをずっと断ってました笑)
ただ、そこで分院長を任せてもらったからこそ、上に立つことの大変さ、厳しさ、色々な理不尽を経験できました。
仕事が楽しいと思えてたのは初めの1-2年ぐらいだったかな。
生活して行く以上、数字はつきものですが、、、
患者さんの身体の悩みを解決することを仕事にしたはずなのに、会社の方針に「なぜ?」と疑問に思うようなことが、上に立つことでめちゃくちゃ増えました。
患者さんの症状の改善のために、手技や知識を習得して、患者さんと向き合うことにやりがいを感じていた社員から。
後輩の育成、院の運営、現場の責任を考えなくてはいけない院長。
まだ20代前半で自分自身も未熟で、自信も経験もない中で、頼ることを知らなかった私は、院長になってからの数年は本当に辛かったな。
会社の方針に対して「なぜ?」がどんどん膨らんでいくなかで、視野の狭かった私は、納得がいかないことに対しては、上司に突っかかり、不貞腐れ、扱いづらい人になってたと思う。
そして、私が院長になってから、中途で入ってきた同い年だけど後輩になったカヤ先生が、私の中ではとても心身共に支えになってくれていてたんだけど。
家庭の事情で地元に帰らなくてはいけなくなって辞めてしまってから、私的にはこれ以上ここで勤めるのは無理かもしれないと思うようになりました。
それぐらい、カヤ先生の存在に私は助けられてたし、これからカヤ先生と皆んなで、この院を盛り上げていきたい!って思ってました。
(今、書きながら思い出して泣ける。)
そして、しばらくして私は辞める決意をします。
代表に「辞めさせてください。」と泣きながら伝えた気がする。
ほんと情緒も不安定でよく泣いてました。笑
今も泣き虫だけど( ͡° ͜ʖ ͡°)
それからはモチベーションもダダ下がり。
その姿を見ていて、周りはいい気持ちにはならないですよね。
勿論、患者さんの施術に対しては下がりません!
まぁ、その後は自分が招いた結果ですよね。
新たな挑戦、門出に対しては会社の人たちには応援してもらえず、今までやってきた4年半がなんだったのか、理不尽な思い出がありますね。
でも、最後の出勤日には、今まで関わった沢山の患者さんが朝から晩まで挨拶に来てくれて、「あぁ、自分がやってきたことは間違ってなかった」って思うことができました!
感傷に浸る暇もないぐらい忙しくて、笑顔で患者さんと最後の挨拶ができて幸せでした!
辛く苦しい思い出が多かった初めての職場ですが、今振り返れば、全ての経験が財産です。
独立志向も、外の世界に踏み出すきっかけをくれたのも、患者さんの症状を解決する手段を学ばせてもらったのも、全てはここから始まりました!
無駄なことは何一つなかったけど、昔の自分に言うなら視野を広く持って!
答えは一つじゃないよ!
がむしゃらに朝から晩まで休みの日を削ってよく頑張りました!
ってことをこの時の私に言いたい。
そして、私は単身大阪に渡るのです✈️
辛く厳しい第二章😇