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今更ながら、自己紹介
青芭 実穂 (あおばみほ)
noteのアカウント作ってもう2年も経ってた😀
埼玉県の富士見市で育ちました。
小学校1年生の頃から母子家庭。
祖父にはなぜか嫌われてました。
父親っ子だったからかな?
父の顔も声も生存も今では全く分かりません。
まぁそんなん自己紹介はいらないかw
中学時代は、陸上競技部で1年生の時に、埼玉県代表でジュニアオリンピックの100Mハードルに出場し準決勝進出まで、2年生の時には全国中学校駅伝競走大会で準優勝しました。
(4区で区間5位でプログラムに乗らない順位)
そもそも、ソフトボール部に入りたかったが、中学校で部活の選択肢がほぼなく、運動部は、陸上、テニス、バスケ、卓球ぐらい
私についてきたら、「全国行けるよ」の顧問の囁きに乗せられ入部w
全国1位を目指すとは、
常に見られている意識を、振る舞いを、感謝を、人間力を。
のちに第三者が計算してくれて聞いた話、陸上部は地球一周はしているであろう練習量だったらしいw
この中学3年間は私の人生の中で
影響を与えてくれてた時間の1つだった
色々ありすぎて書ききれません。
ただ強い部活はすごくお金がかかる…
スパイクは練習用と試合用、アップシューズ、ユニホーム、ジャージも試合用、ウインドブレイカー、その他諸々。
母子家庭の中でこれは本当に大変だったと思う
中学3年生に上がった時には顧問が違う学校に移動になり、まんまと落ちぶれていく自分が嫌で、駅伝シーズンを待たずに引退。
授業終わりに横目で練習している仲間を見て虚無感。
結局、人数が足らず駅伝で出戻るが
前年の栄光虚しく
最後の埼玉県駅伝の新聞記事にも情けの1文
私たちの代で歴史は途絶えた
ここには書き切れないほど
嬉しいことも、辛いことも沢山あったけど
辛いほうが多いみたいな内容になったけどw
何が良かったって
自分たちの代の仲間に出会えたこと
私の人生において
次回の高校編もその先もだけど
その時々で出会った仲間や人が
最高すぎてここまで来れたと思う。
母子家庭の環境でもほとんど寂しい思いや苦労をしなかったのは、母のおかげも勿論あるが、ご近所さんたちの支えや優しさ愛情があったからだと思う。
何が言いたいか分からなくなったけど
私という人間は皆様に生かされているということ
これからもそれは変わらないので
私も返していけるように日々活動していきます!
高校編に続く…