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そらのうえのそら

飛行機に乗ったら必ずwindowにする。
綿菓子みたいな雲を見るのも、地図通りの都市を見るのも、小さく動く自動車を見るのも、夜空に浮かぶ同じ目線の星を見るのも大好きだから。
何回乗っても不思議な気分。
雲の上にも、いつも見てる空の上にも、まだ何かある、不思議な気分。
空好きには、たまらない、空の中にはいったかんじだ。
どこでもドアができたとしても、私には必要な、途中の助走みたいな、そんな時間が飛行機で、そこからの景色が、最高に好き。
異国や異次元への第0章だ。

思えば、私の日本の生活も大変だった。
最初は、がんばった。けど、疲れた。
親の離婚からの引っ越しは、記憶にない。
父はいつも1ヶ月に一度あいに来る人だった。
最悪だったのは、幼稚園の父親参観。
古いタイプの幼稚園だった。母は誇らしそうにクラスメイトのお父さんと混じって色々していたが、私は恥ずかしさで一杯だった。
でも、母には聞けない、母を責められない、そんな私だった。聞いても、「うちはうち、よそはよそ」て言われるのが、みえていた。
ま、でも、嫌だった記憶はそれくらいに、母とは友達のように、一緒に遊んで、一緒に勉強して、一緒にわーわー言える、姉妹みたいな(見た目は全然ちがうし、ちゃんとおばさんだけど)、そんな関係だ。
父がいなかったから、そんな私達なんだと思う。
箸の使い方だけ、うるさいけど。(わたしもしつこいね。)
そんな母だけど、ガンになったり、転職したり、鬱になったり、子供の私から見ても大変そうだった。
私も色々あって心配かけたから、しかたないけど。
が、そんな母が1番キラキラしてたのは、絶対、海外の話をする時と、海外に行った時だった。
どうやら、母は、色々工夫して海外生活をしてたみたいだ。普通の家の三人兄弟の末っ子だったから、気軽に行けたわけじゃないって言ってた。だから、決して贅沢はできなかったって。だから、たのしかったって。海外でも色々バイトもしたし、大学の授業の一部やワーキングホリデーを利用して最初は渡航し、その後現地で就職までして、二十代は全然日本にいなかったらしい。
それほど、母が、好きな世界を見てみたかった。
母が言う、世界の広さを見て見たかった。
なにより、小学1年の時、来たのが、ここ、オーストラリアだ。このキラキラと言ったら、すごかった。
小さいながらにも、空港に着いた途端に、外国の匂い、初めて飲んだコーヒーの味フラットホワイト、大きなクロワッサン(笑)、聞こえてくる知らない言葉、そんな世界に魅了された。寝れなかった日本夜発の飛行機での耳の痛さや涙も、着いて空を見たら、一瞬で飛んでったのを覚えている。
母が無職の間(笑)、時間があるのを良いことに、色々なところに連れて行ってもらった。
ま、母の思い出の地ばかりだけど。
でも、ここは、記憶がある初めての場所ってこともあってか、ピカイチに素敵で思い出深い感じ。
小1の時に来たのは1週間だけ、なのに、だ。
だから、それまでの日本の生活をここなら変えられる、そんな気持ちがした。
それだけで、飛び立ったから、違和感もしかたない。
わかってる。

が、あの時の飛行機の空と、今回来るときの飛行機の空はちょっと違った。
空の上に空がある、そんな気持ちだった。




そんな気持ちの今日は、母の誕生日。
11月14日、母なしには私なし。
母の子でよかった。

ここに来て、1ヶ月。
母と話したくなった!

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