『おかえり』(ブレイブウィッチーズ クルロス)

 …………いつだって知らせは突然やってくるんだ。
 ……特に悪い知らせはなおさらに。
 僕たちの帝政カールスラントはネウロイとの戦闘が世界一激しい地域と言っていいだろう。
 早くからあいつらのターゲットになり、その影響で多くの国民や技術者、工業関係者が南リベリオンの大陸南東のノイエ・カールスラントに疎開しているのが現状だ。
 それでも祖国を奪還すべく優秀で勇敢なウィッチたちが団結して日々奮闘している。
 僕が所属しているJG52――『第52戦闘航空団』も例外ではなく、世界トップレベルの撃墜数を誇るトップエースが何人もいる。
 数ヶ月間と過酷な戦闘をしても、戦闘隊長を務める僕たちが撃墜されることはなかった。
 そしてこれからもないと信じていた。
 僕たちは大丈夫だ。僕たちに限ってそんなことはない。そうやって周辺で起こっている悪いことは、他人事だと思っていた。
 思い返せば心当たりはありすぎた。
 最初の頃は回避したやつらのビームが建物を破壊するたびに心が痛んだ。
 ウィッチ不足で最低限の訓練しか受けていないウィッチが配属された朝には彼女たちが心配で、無事に帰還した夜にはみんなで泣いて喜んだ。
 疎開先から物資が届けば、彼らに感謝の言葉を述べて回った。
 ……だけどいつからだろう。
 そんな余裕もなくなっていたんだ。
 建物はあとで直せばいい。
 新人に無茶はさせないで僕たち飛行隊長が前に出ればいい。
 エースのための武器弾薬、食料があれば戦える。
 いつしか物資を運んでくれたウィッチや一般兵にもそっけなく「ありがと」と目も見ずに事務的に伝えるようになっていたし、護身用にと配られた拳銃を見て「何の役に立つんだ」と苛立ちすら覚えたこともあった。
 僕たちは感謝する余裕を忘れ始めていた。

 エディータと新人ウィッチが撃墜された。

 最初僕はその知らせを聞いて、悲しみよりも驚きの方が勝っていた。
 だれがいつ死んでもおかしくない状況で「まさか「嘘だ」「そんなことはない」などと現実を受け入れられないでいたからだ。本当に情けない話だ。
 思い出したんだ。
 僕も、そしてみんなも。
 今、この瞬間も――死ぬかもしれない戦争をしているんだって。

 ◆

 エディータが治療を受けている部屋の前。その廊下に置かれている年季の入った長椅子に腰をかけて、私はただずっと待っていた。
 薄暗く冷たい廊下。
 鉄筋で鼠色をした壁は、正面の窓ガラスから日差しが入ればいくらかは明るくなるだろうが、あいにくの曇り空がその薄暗さに拍車をかけている。
 撃墜されてから回収班が彼女たちを無事に連れ戻し、救護棟に運ばれたのが2時間前。
 今は部屋の中でエディータが医者から治療を受けて、ラル隊長が病状を聞いているはずだ。
 幸いエディータと新人ウィッチは軽い怪我で済んだそうだ。
 回収された時に二人とも意識はあったという。
 きっと今の僕はひどい顔をしていることだろう。顔を上げて正面の窓ガラスを見るのが怖かった。
 どうしようもない焦燥感と戦っていると、ようやく部屋の扉がひらいてラル隊長がゆっくりとした足取りで出てきた。
「すまなかった」
 開口一番、謝罪の言葉が冷たい廊下に響き渡った。
 僕はなんと言ったらいいのかわからなかった。
「こういうことが起こってしまう前に状況を改善出来なかったのは完全に私に責任がある――改めてすまなかった」
ラル隊長が深々と頭を下げた。
「……会えますか? 彼女に」
 隊長は静かにゆっくりとうなずく。
 私は立ち上がると、隊長が出てきた部屋に足先を向ける。
 ふと顔を上げた先のガラスに顔が映る。――ひどい顔だ。
 私が歩き出そうとすると、入れ替わるようにして白衣をまとった医師が出てきた。
 医師は僕と顔をあわせると少しだけ視線をそらしたようにも見えた。
「先生。ありがとうございます」
 隊長が医師に頭を下げる。私も少し遅れて「ありがとうございました」と頭を下げた。
「グンドュラ中尉。容態は安定しましたが――」
 そして医師は再び私の方を見る。そしてラル隊長も。
「ありがとうございます。クルピンスキーには私から説明します」
 ラル隊長がそう言うと、医師は「きっとすぐに良くなりますから」と僕に声をかけると冷たい廊下の奥へと消えていった。

 ◆

 容態は思ったより軽症で――思ったより最悪だった。
「解離性健忘……ですか」
「ああ」
 廊下に引けをとらないぐらいに薄暗い部屋。
 日中でも日差しが入りづらい方角に取り付けられた小さな窓。
 床の陶磁器タイルはところどころ剥がれており、部屋の有様はベッドに横たわり呆然と天井を見つめるエディータの悲壮感の演出にひと役買っていた。
 ベッドの横に置いてある、ホコリがたまった花瓶台に、一輪の赤いバラでも飾ろうならいよいよ最期が近い病人の部屋になってしまうだろう。
 だがそんなことよりもラル隊長の口にしたエディータの症状こそが「まさかそんな」と思ってしまったのだ。
 話に聞いたことはある。
 トラウマやストレスが原因で、一時的に自分に関する大切な記憶や情報が思い出せなくなることを。
 現に他部隊のウィッチでもそういう報告はこの戦争が始まってから何度か聞いた。
 だいたいが数時間から長くても数日で記憶が回復するということだ。
 だけど目の前で起きていることはやっぱり信じられなかった――いや、信じたくなかった。
 大切な人が記憶を失っている。
 その事実を受け入れたくないし、そんなエディータにどう接していいかわからなかった。
 ただ一つ救いがあるとすれば、解離性健忘という病状を事前に知っていたこと。それが起きても不思議じゃない戦争という状況があったから、まだギリギリ感情が暴走していないのだろう。
「治るんですよね……」
「医者の見立ててでは2、3日……長くて一週間程度で戻る場合がほとんどだと言っていた」
「原因は、やっぱり撃墜された時の傷ですか?」
 とはいえエディータを見ると外傷なんて殆どない。それにそのことは回収された時からわかっていた。なにより彼女ほどの腕前のウィッチだ。何がどうなったというのだ。
「新人を守れなかったことへのショックではないか、と言っていた。2番機の新人ウィッチが先にネウロイの攻撃に被弾した」
「エディータが付いていて……そんな!」
「彼女はエディータの飛行についていけなかったそうだ。もちろんエディータは優秀なウィッチだ。測り間違えることはない。それでも日頃の疲労もあったんだろう……2番機の被弾はストライカーを掠った程度だったが、エディータは彼女を助けるために態勢を崩したそうだ」
 あとは想像に難くない。
 新人ウィッチを守りながらネウロイからの被害を最小限に抑え、落ちていくエディータの表情が容易に想像出来た。
 辛く、悔しく、無力さを噛み締めながら叫ぶことも出来ずにただただ未熟を痛感する。
 きっとエディータならそう思うはずだ。
 だからこそショックは計り知れない。
 ウィッチを育てるという重責をこの戦況下でこなす。
 並大抵のことではない。それに真面目な性格だ。そうとうな責任を感じたに違いない。
 互いに軽症だったとはいえ、エディータ自身もこんな経験は初めてのはず。

「エディータ……」

何百何千と口にしたその言葉は、このくすんだ部屋をぐるぐるとさまよいながらようやく彼女の耳に届くと、

「名前を教えてくれるかしら。……ごめんなさい、思い出せなくて」

 こわばった表情で。だけど愛想よく振る舞おうと口元だけには笑みをたたえて。
 まるで少し口下手な少女が、頑張って友だちになろうとする努力が見て取れる――そんな健気さも見え隠れして。
 だけどね、エディータ。
 僕たちずっと戦ってきたんだよ。
「クルピンスキー。……ヴァルトルート・クルピンスキー。階級は少尉。その……あまり気を落とさないで。きっと僕やみんなのことも思い出せるから」

 ◆

 3日が経った。
 僕はここ最近の日課の見舞いが終わると「それじゃあまた来るね。エディータ」と声をかけて彼女の部屋を出る。

 クルピンスキー”さん”と呼ばれるにも慣れてきた。

 最初は記憶を失っている彼女にエディータと呼ぶと馴れ馴れしいかと思い、ロスマンさんと呼ぼうとも考えていた。しかし記憶が戻るきっかけになればとあえてこれまで通り、エディータと呼ぶことにしたのだ。――それになにより僕がそうしたかった。
 今日は廊下に少しだけ日差しが入っていたが、僕の気持ちは日々沈んでいくばかりだった。
 ゆっくりと歩きながら、ここ何日かの出来事を思い起こした。

 医師によると、解離性健忘による記憶障害も色々と種類があるようで、今日までに分かったことも色々あった。
 エディータが失った記憶が人物に関することだけのようで、覚えていることは、
 現在の情勢。
 自分がウィッチであり軍人であること。
 所属している部隊のこと。
 使っている武器、ストライカーの扱い方及び飛行方法。
 戦闘技術全般。

 つまり本当に人物に関する記憶だけがすっぽりと抜け落ちているのだ。

 これもやはり新人ウィッチを守りきれなかった事からきているのだろう。
 結局のところ、ラル隊長や僕、ハルトマンやバルクホルンの名前や人柄。そして人間関係はわからなくても、訓練や作戦行動を取ることは問題がないので、記憶が抜け落ちた2日目から普段どおり訓練には参加していた。
 それはこれまでの日常の光景であり、異様な光景でもあった。
 JG52のメンバーのことを誰一人覚えていないエディータが、皆に混ざって訓練している様は、まるで昨日着任したばかりの新米のように見えた。
 最初の一時間はラル隊長も含めて、エディータに気を遣っていたが、彼女が訓練で何かやるたびにハルトマンなんかは「やっぱり先生は上手だなー。そうやって体を動かしていつも通りに訓練していればすぐに戻るよ」なんて言うもんだから周りの空気が柔らかくなったのだ。
 それに対してエディータも「私が……先生?」「そうだよ。わたしの戦闘技術は先生が教えてくれんだよ。そうだ! 午後から一緒に飛行訓練しようよ」などと会話が続くものだから、ますます訓練中の雰囲気は良くなったのだ。
 さらに訓練飛行中にネウロイに遭遇しても息ぴったりの攻防で、ハルトマンと撃墜数を増やして戻ってきたのだ。
 僕たちへの態度や口調はよそよそしかったが、雰囲気だけはいつもの僕たちに戻ったような気さえした。
 だけど彼女が帰るのはよくこれまで暮らしていた整った自室ではなく、先日目覚めた暗い部屋だ。
 医師による定期診断と治癒魔法ウィッチによる回復医療がまだ必要だから。
 そんな物々しい光景を見るたびに思ってしまう。
 僕が数日前まで大切にしていた彼女は本当にもどってくるのだろうか。

 もし彼女の記憶がずっと戻らなかったら?

 僕たちとの記憶がなくても、日々順調に馴染んでいくエディータを見ると怖くなる。
 もしかしたらみんな、今までの彼女を忘れてしまうのではないだろうか?
 この現状に慣れてしまい、次第にエディータもみんなとの関係を一から構築し直して。
 そして僕ともだんだん上手く話せるようになり、部隊が問題なく回るようになったら?

 そう思った瞬間、大事な何かが壊れてしまう気がした。

 医師だって治癒魔法を使うウィッチだってどこも人手不足だ。
 上層部が何の問題もなく作戦行動が出来ている部隊に、貴重な人材を置き続けるだろうか?
 僕たちから見てみれば、今回のことは重大な事件だ。
 だけどこれが他部隊のことだとして、それを僕が聞いたと仮定したらどうだろう?
 そこでの人間関係なんてまるで知らない僕だったら、大変だろうと思いつつも「まぁ戦争だからそういうこともあるよ」と片づけてしまうのではないだろうか。
 もしこのまま一週間、一ヶ月と記憶が戻らなければどうなるか。
 ないとは思うがラル隊長や他の隊員から「諦めなよ」と言われたらどうしようか。
 ――このまま日常を取り戻して、人間関係が前と同じぐらいになってしまえばありえないことではない。
 それに僕らは戦争をしに来ているんだ。友達を作りに来ているわけではない。
 ――いっそエディータの記憶障害がもっとひどければ、さらに高度な医療や疎開先での療養も考えられたかもしれない。その方がより確実に記憶を取り戻せた可能性だってある。
 そんなことが頭の中でぐるぐると回り始めると悪い妄想ばかりが脳内ではっきりと映像となって浮かぶのだ。

 いや、……だめだ。
 エディータがいい。
 これからのエディータじゃなく、今までのエディータがいい。

 僕の失敗も。
 軽薄さも。
 撃墜数を自慢する子供っぽさも。

 全部ぜんぶ覚えてくれているエディータじゃなきゃ嫌だ!!!

 みんなで祖国を取り戻すって誓った。
 辛い日も涙を流さず戦った。
 全部……全部かけがえのない物(時間)なんだ。
 そしてこれからも、共に歩んでいけるって信じていた。

 だからっ……!

 積み上げてきたあの日々を失いたくない!

 失いたくっ……ないっ、のにっ………………

「神様……ちょっと、ひどいよ……」

 いつの間にか廊下に差し込む光は、暗雲と立ち込める雲に遮られ曇天と化していた。

「……ぼくは、ぜんぶ…………おぼえてるのにさ……」

 長い雨がもうまもなく降りそうだ。

 ◆

 エディータの記憶がこぼれ落ちてから6日が経った。
 相変わらず雨は降り続き、基地中に溢れかえった雨水はいくらモップがあっても足りないぐらいだ。
 そんな中、まだ乾ききっていない部屋への廊下道を、僕は重い足取りでゆっくりと歩いて行く。
 相変わらずエディータの症状は改善が見られず、しかし訓練・出撃は問題なくこなしている。
 むしろ新人ウィッチを守れなかったことや、対人のストレスも忘却しているので、かえって戦闘パフォーマンスは上がっていると言っていいかもしれない。
 皮肉な話だ。
「さて……今日は何を話そうかな。天気の話もこう同じ日が続くとね」
 クルピンスキー”さん”呼びはすっかり定着し、それに慣れてくる自分が少し怖く、とても嫌になって来たころだ。
 明日になれば医師が言っていた一週間だ。
 この調子じゃきっと戻らないだろう。
 僕はいつまで通うんだろう。
 僕はいつまで通えるんだろう。
 他の皆は僕に気を遣いながらも、今のエディータに馴染もとうしている。軍人としては正解だ。
 だけど、僕は……。

 その時だった。

 けたたましいサイレン音。
 雨音と混じって波のように押し寄せるその警告音は、僕の悩みを強制的に遮断する。
 向かっていた先の扉が勢いよく空いた。
「クルピンスキーさん!」
「うん!」
 全力でハンガーに向かう僕とエディータ。
 一気に慌ただしい空気に包まれた基地を走っている間、僕はここ数日のことを思い出す。
 並んで走る彼女の真剣な表情だけは僕の知っているエディータだった。

 ◆

 ストライカーユニットのプロペラ音に豪雨の音が交じり、不快な音が重い雨水と共にまとわりつく。
 不気味で暗澹たる雲が視界一面に広がる様を見ると、この天候は本当にいつ回復するかわからないぐらいだった。
 止まない雨の中、視界も不良でこんな中での戦闘は正直ゴメンだった。
 だけどそうも言っていられない。
 ネウロイは待ってはくれないし、天候も選んでくれない。
 いつだって突然やってくるのだ。そう――よくない事はなおさらに。
 僕はエディータを一番に気にかけながらも、周囲の状況にも気を配った。
 どんなネウ――
「どんなネウロイでしょうか。クルピンスキーさん」
「えっ」
「クルピンスキーさん? 大丈夫ですか?」
「ああ、うん。ありがとう」
「最近、私のお見舞いに来てくださっていて疲れているんでしょうか。……すみません。私の記憶がちゃんと戻れば皆さんにご迷惑をかけ――」
「迷惑なんかじゃない」
「――っ!?」
 しまった。
「ごめん。大きな声出しちゃって。……でも全然迷惑だなんて思ってないよ」
「……そうですか。すみません」
「いいんだ。作戦に集中しよう」
 僕はふと思う。

 もしこれがエディータの悪戯だったらどんなに良かっただろうか。

 こうして飛んでいる次の瞬間にも彼女は突然笑って「ごめんなさい。今まで騙していたの」と言ってくれたらどれだけ楽だろうか。
 でもそんなことはありえない。
 エディータがそんな悪ふざけはしないことは僕が一番良くわかっている。
 やっぱりこれは現実だ。
 いつ晴れるとも分からない大雨の中で、ここ数日の僕しか知らない大切な人と飛んでいる。
 ……なんだよこれ。
 心の中で愚痴をこぼした瞬間だった。

「クルピンスキーさん!!」
「っ!?」
 遅れた!
「6時の方向っ!」

 エディータの声に反射的に振り向き、僕たちはシールドを展開する。

「うしろっ!? くそっ! なんで気づかなかったんだ!」
 エディータのことを考えて戦闘に集中できていなかった。
「来ます!」
 エディータは飛べているしクロックポジションも正確だ。
 今は記憶のことは忘れて戦闘に集中できる。――いや、しなければならないんだ。
 しっかりしろクルピンスキー!
 今は私情より戦闘だ。
 僕は気持ちを切り替える。
「いくよ! エディータ!」
「はいっ!」
 光源から連続して赤いビームが飛来する。
 だけど放たれ続けるそれはネウロイの所在をどんどんと明確にしていく。
 シールドを張りながら、時には回避しつつ、ついにその姿を捉える。
「見つけたぞ!」
 細長い三角錐の面から翼を生やしたような形状のネウロイがついに僕たちの前に現れる。
 僕のライフルの弾丸がすぐにそいつの羽根に風穴を空けると一気にネウロイの体勢が傾く。
 続けざまに二発、三発とそれぞれの羽根打ち込むといよいよバランスを崩した。
「いけるっ!」
 だけど相手も馬鹿じゃない。
 空気を切り裂くような轟音を立てると、大きく旋回して僕たちとの距離を取ろうとする。
 仕切り直しか!?
 と思った瞬間。
 ネウロイの到達地点に、まるで合流するかのようにロケット弾が着弾する。
「エディータ!」
 さすがの腕前だった。
 僕との記憶は無くても、軍人としてのエディータはたしかに健在だった。
 大きく無骨で、自らの身長とそう大差ないロケットランチャーを振り回すその姿は、頼もしいの一言に尽きた。
 大きな爆音と共に露出したコアを狙い、僕がとどめの一撃を放つ。
 ネウロイはあっという間に消滅した。

 瞬間だった。

「――なっ!?」

 気づいて声を上げるのと、僕のストライカーが煙を上げたのはほぼ同時だっただろう。
 深い悲しみのような暗雲に隠れて、もう一体の同型が隠れていたのだ。

「クルピンスキーさん!」
「エディータ!」

 雨に打たれて降下する僕の視界には、必死に僕を追いかけるエディータ。そして相変わらずこの憎たらしい雨を振らせ続ける雨雲がぎっしり見えた。
 まだ片方のストライカーが生きているとはいえ飛行は難しい。
 落下したら魔力で衝撃を緩和しても怪我をすることは間違いない。
 僕もエディータも空いている手を伸ばしてその距離が少しずつ近くなる。
 互いの指先が触れ合うまでもう少しのところで。
「エディータ! 後ろ!」
「!?」
 つんざくような慟哭を上げ、黒い影が迫っていた。
 尖った三角錐の先端に赤いエネルギーが集中される。
「僕のことはいいから!」
「でも!」
「大丈夫! 死にはしないよ……ちょっと痛いかもしれないけれどさ」
「だめよっ!」
「でもこのままだと僕たち二人とも狙い撃ちだ! だから僕のことはいいからエディータだけでも!」
「いやよっ……!」
「命令だ! 今すぐ僕を諦めてっ! ネウロイを倒して!」

「そんなっ……! そんな命令は聞けないわ! クルピンスキー!!」

 全身を鳥肌が駆け巡る。
 僕の瞳は、間違いなくこれまでで一番大きく見開いて正面の彼女を捉えていたに違いない。
 エディータの後ろのネウロイのビームが放たれる。
 僕の前にはエディータがいる。
 彼女はネウロイに背を向けているからシールドは間に合わないだろう。
 そして僕もエディータの前に出る余裕は一切ない。

 だけどもう何も怖くなかった。
 エディータの思考は手にとるようにわかるし、今の彼女ならきっと僕の考えも――。

 エディータは僕へと差し伸べた手を引き戻すと、振り向いてロケット弾をまずは一発。
 再びネウロイとの戦闘が始まった。
 両手を無骨なランチャーに添えた彼女はいよいよ無防備で正面からビームを受ける形になる。

 ――頼むっ 神様!

 僕は無事なストライカーに”全”魔法力を注ぎ込むと、固有魔法のマジックブーストを発動させる。
 急加速が始まると、僕は正面のエディータを左腕で抱きかかえ、そのビームを回避してネウロイへと接近する。
 彼女もまたロケット弾を二発、三発と打ち込むとコアが出現した。
 ネウロイは速度を上げて僕たちから遠ざかる。

「逃がすか!」

 ネウロイも逃げながらさっきよりも大量のビームを浴びせてくる。

「させないわっ!」

 ロケットランチャーを投げ捨てて、両手を使って全力でシールドを張るエディータ。
 ビームの雨の中、僕たちの魔力も限界が近い。
 もっとだ。
 もっと速さが必要だ。
 僕はライフルを投げ捨てた。その分軽くなりマジックブーストによる加速がさらに伸びる。
 だけどまだだ。
 まだ、足りない。
 このままエディータがシールドで防ぎ続けても、きっと追いつく前に僕たちの魔法力が底をつく。
 そうしたら今度こそおしまいだ。
 僕は腕の中のエディータを見つめる。
「な、なによ」
「戻ったんだね」
「……そうみたい。でも今は……」
「わかってる。――だから……ごめん」
「クルピンス――」

 僕は彼女を手放した。

 爆発的に僕の体は加速する。
 エディータとの距離がどんどん開き、そして僕は一気にネウロイの真上へと躍り出てコアを見下ろした。

 落ちるエディータ。
 魔法力を使い切り、ライフルも捨て片方のストライカーで飛んでいる僕。
 絶体絶命の状況だ。
 もう数秒もしないうちに僕も落ちるだろう。
 でも絶対に無駄にしない。

 エディータが繋いでくれたチャンスだ。

 内ポケットに潜めていた護身用の拳銃で狙いを定める。
 引き金を引いて一発。
 吸い込まれるように弾丸は、柘榴石のように紅く美しいコアを砕く。
 ネウロイは白い光に包まれ消滅した。

 ◆

「ほんと無茶するんだから」
 魔法力を完全に使い果たし、僕の落下は程なく始まった。
 だけど予想通り無事だったエディータが助けてくれた。
 落ちてきた僕の背中と膝の下に腕を入れて、まるで子供を抱っこするかのような体勢で僕をさせてくれている。
 小柄のエディータが長身の僕を抱えているのがなんだか面白い。
「でもよかったよ。エディータの記憶が戻って」
「そっち!?」
「当然だよ。僕もみんなもすごく心配したんだから。還ったら謝ってもらうから」
 本当は踊る程に喜びたい。でも今は空だしこんな体勢だ。
 絶望の縁から舞い戻った神様のからの気まぐれに、今は大人しくこの時間をゆっくりと楽しみたい。
「あの子は?」
 エディータと組んだ新人ウィッチのことだろう。
 ラル隊長から聞いた話だと、命に別状は無いがもう航空ウィッチとしては――
 伝えようか迷ったが、
「…………そう」
 沈黙が暗にそれを知らせてしまった。
「命に別状はないって」
「……でも彼女の願いを守れなかった」
 戦争だからしょうが無いよ、とは言えなかった。
 指導者としてのエディータに、僕みたいな軽薄物が軽々とそんなことを言ってはいけない。
「今度は守ればいいんじゃない」
「でも……もう自信がないの。次、私の教え子になった子があんな目に遭うことを想像すると」
「そうだね」
「……そうよ」
「でも無理しなくてもいいんじゃない。気が向いたら程度で」
「クルピンスキー……」
 僕を抱えたエディータは、まるで毒気を抜かれたみたいに、意外という表情を見せた。
「それにエディータはまた出会えるよ。教えたい! って思えるウィッチにさ」
「……なんでそう思うの?」
「だってエディータ。諦め悪そうだから」
「貴女って本当に失礼な女ね」
 今度はわりと本気で怒っているみたいだ。
「ごめんごめん。謝るから!」
 そう言うとエディータは少しだけ悪い笑みを口元にたたえて、
「ここは随分と高いみたいね」
「エディータ?」
「雨も降っているし戦闘環境が悪いのは周知の事実。貴女をここから落としても『少尉は立派に最期まで戦い抜きました』と報告して、私も記憶が戻らないフリを続ければ今までと同じ生活が出来るわね」
「……嘘だよね、エディータ」
 再びにこりと笑いながら、腕の中の僕を見ろしてくる。やばい。完全に遊ばれている。
「諦めの悪い女なんて言うからよ。ちゃんと謝罪の意思を見せてくれるかしら?」
「そんなこと言われても――そうだ、これあげるから機嫌なおしてよ」
 僕はさっきのネウロイを倒した拳銃を再び取り出す。
「いざという時はしっかり役に立つしさ。エディータも一つぐらい持っていたらいいんじゃない?」
「私も持っているわよ。みんなが持っている護身用の銃だし。それに貰ったら貴女のが無くなるじゃない」
「それもそうか。じゃあこの銃はお守りにでもしようかな。でもそれだとエディータに渡せる物がなにもないよ」
 すると少し考えた彼女はちょっとだけ照れくさそうに、
「――今回だけは特別に許してあげるわ」
 と言ったのだ。
「やった!」
「子供みたいね」
「エディータの子供だったらもっと嬉しかったのに」
「腕が疲れてきたわ」
「勘弁してよぉ」
「ふふっ――なによ。まじまじと見ないでくれる」
「久しぶりに見たよ。エディータの笑顔」
 少しだけ無言のフライトが続いた。
 僕にとってこの6日がどれだけ長かったことか。
 だけどそれを言ってもしょうが無い。
 ちょっとだけサイコロの出目が悪かっただけなんだから。
「おかえり…………エディータ」
「ええ。クルピンスキー」

どうしてだろう。
 雨はとっくに止んだはずなのに、こんなにも近い彼女の顔はまだ少しだけぼやけて見えたのだ。

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