『遠い空のHappy Birthday』(502JFW)

 比較的気温が扶桑に近いこの時期はどうしても故郷のことを思い出してしまう。それが自分の誕生月となればなおさらだ。
 隊の中でも口数が少なく同郷の下原ぐらいとしか会話が弾まない彼女は入隊の自己紹介のときにそれを話したっきりで、今月に入ったからといってそんな理由でとくに話題を振ることはなかった。
 だから伯爵みたいに「やあやあ君たち。今月は私の誕生日だからプレゼントはいつでも受けてつけているよ。もちろんモノ以外でも大歓迎だ。部屋のカギは開けておくからいつでも入ってきたまえ」なんて軽口を叩いてサーシャの心をざわつかせるぐらいの性格は正直羨ましいと思ったりもした。
 今日の朝、もしかして誰かが誕生日おめでとう。そんな言葉をかけてくれるのではないかと期待して食堂に向かったが、そんなことは特になかった。強いていうなら下原の作った朝食が少し気合の入ったものに感じられたが、それはたまにあることなのでそこに期待はしなかった。
 そんなわけで一縷の望みはまあ、空振りに終わってしまって。でも心の何処かでだれかにおめでとうを言って欲しかったというのもまた事実で。その結果いつもどおりムスッとした表情(かお)になってしまったのは言うまでもない。それをみて伯爵が笑顔で手を振ったもんだからフンッと顔を背けてしまった。
 いつものことだけど彼女にとって今日は特に面白くなかった。

 結局その日一日は何事もなく、たまに朝の伯爵を思い出しては不貞腐れるを繰り返していたが、それもネウロイの襲来を合図するサイレンに破られる。
 せっかくの誕生日にネウロイの襲来。そんなプレゼントなんて望むはずもないのだが部屋で腐ってるよりはいい気がして、その日は多くのネウロイを撃墜できた。久しぶりにユニットの破損もなく、サーシャの正座が待ち受けてないのが誕生日プレゼントなのかと嗤いながら帰投する。
 その時インカムに声が入った。

「管野中尉」
「なんだ」
「新たにネウロイの反応があった」
 ラル隊長の冷静な声。
「我々は引き続き戦闘空域へと向かう。中尉は帰投して待機しているサーシャたちと合流してくれ」
「オレも行く」
「いや。もしかしたら陽動かもしれない。基地の守りも厚くしたほうが懸命だ。戻ってくれ」
「……了解」
 彼女一人を残し数名ウィッチたちは百八十度旋回して再びペテルブルクの空へと戻っていった。


 もうすっかり夜になっていた。
 慣れた空とはいえ一人で飛んでいると心細くなってくる。
 別の部隊の扶桑のウィッチはないとウィッチと一緒に月が光る夜空で誕生日を迎えた――。そんな話を思い出しながら飛んでいると胸がじんわり熱くなる。
 ふと空をみるも灰色の厚い雲がどこまでも広がるだけで月のかけらも見えはしない。
 もしかしたら。
 色んな想像を強引に胸にしまい、彼女のユニットは速度を上げた。


 基地に戻ると待機しているサーシャ、クルピンスキー、ニパの三名が見当たらない。
 ラル隊長が陽動かも知れないと言っていたのでてっきりみんなハンガーにいると思っていたのだ。
 見渡すとひとりの整備兵がいるので聞いてみる。
「はっ! ポクルイーシキン大尉、クルピンスキー中尉、カタヤイネン曹長は五分ほど前に出撃いたしました」
 出撃!?
 状況がまったくつかめない彼女は報告だけ聞くと不機嫌さを全開で露わにして空を見る。
 一体どういうことなのか。
 帰れと言った隊長。
 自分と入れ替わりにいなくなったみんな。

「――っんだよ」

 こみ上げてくる。

「今日は、オレの…………」

 一日抑えこんでいたものがぐるぐる体を回ってそれと一緒に走りだす。

「今日は私の…………っ!」

 闇雲に基地内をかけてかけてかけて。
 こんなに広かっただろうか。ああ、もしかしたら広かったかもしれない。
 結局自分は統合戦闘航空団の一人。みんなも同じ。誕生日に浮かれているほど前線は穏やかじゃない。
 ちょっとでも期待した自分が間違ってたのだ。
 そう言い聞かせるとますますこの場所は途方もなく広く広く感じてしまって、食堂も自分の部屋すらもわからなくなった。
 目の前が真っ暗になりかけたその時、かすかに音が聞こえる。
 インカムだ。
 だれかが彼女に通信をしている。
 でも声はない。
 そこにあるのはさっきまで飛んでいた広い空。
 足を止めて耳を澄ませてもまだ誰の音も聞こえない。
 五感を研ぎ澄ませ、その音を聞き取ろうとすると再び足が動いた。
 そうすると不思議なことに音は強くなる。
 奇妙だったがなぜかそれは聞いてるだけで心が暖かくなる不思議な音で、彼女は一歩、また一歩と進んでいった。
 気づけば基地の外へと出ていた。
 音は最初のころより随分鮮明に聞こえる。それでもいままで聞いたことのない通信音への疑問は晴れない。気持ちはまだインカムに集中していたが、今度こそ本物の音が彼女の体に響いてきた。

 無意識に空を見る。

 その美しさに思わず涙がこぼれた。
 ああ、自分たちはこんなに美しいんだ。
 闇夜を翔ける502。
 あの中にいつも自分がいるんだと思うととても誇らしくなってきて、今朝の伯爵だったりネウロイの襲撃だったり一人で飛ぶ寂しさだったりさっきまでのやり場のない怒りだったり。今日一日でめまぐるしく変化した彼女の感情は全部きれいに浄化されていった。
 するとインカムがまたざわつく。だけど今度は、
「あー、あー。直くん。直くん。聞こえるかな?」
 いつもどおりの伯爵の声だった。
「色々聞きたいことはあるだろうけどまずは空を見てくれないかな?」
 いわれなくてもさっきからずっとみているそこで、今かるく揺れたのが伯爵だろう。それを合図に他の面々が空いっぱいに広がった。
 最初は上昇飛行で高度を上げ、最高速度に達した時に全員がバラバラに動き始めた。
 その軌道はまったくのバラバラでお世辞にも美しいといえるものではなかった。
 それでも何故か魅入ってしまう何かがそこにはあって、彼女はずっと仲間と戦ってきたこのそらを見つめ続けた。
 やがてユニットがいつもと違うことに気づく。
 ユニットから発せられる白煙がいつまでも空に残っているのだ。
 それはまるで砂浜に枝切れで絵を描いた時のように跡を残しながら幾重にも重なってやがて彼女にわかるものになった。
 口元がへの字に曲がり、目頭が熱くなった。
「いやいやなかなか扶桑の文字は難しくてね。なんど練習してもうまくいかなかったんだ。英語で申し訳ないね」
 七機のユニットで空に描かれた、


 ――Happy Birthday――


「せっかくの誕生日だったのに朝からなにもなくてごめんなさいね。でもサプライズにしようってみんなで相談して。気に入ってもらえたかしら?」
 サーシャがちょっと不安そうに、でもどこか嬉しそうにそう言った。
 インカムから次々に聞こえてくる仲間からの祝福の言葉。
 ひとことひとこが胸に染み渡り彼女は袖で何度も何度も顔をこすった。
 仲間の描いてくれたその文字が次第にぼやけてくると共に、みんなの姿が近づいてくる。
 やがて着陸し彼女の前に姿を見せるとみんなから次々に「誕生日おめでとう」の言葉がかけられる。
「せっかくの誕生日なのに主役が泣いてちゃ始まらない。そうだろ? みんな」
 相変わらず伯爵がおどけてその場を和ませると、
「さあ基地にもどりましょう。実はとっておきの料理を仕込んであるの」
「下原ってば昨日からずーっとそわそわしっぱなしだったんだぞ」
「あらニパだって一昨日から『ユニット壊さないか心配だな』って言ってたじゃない」
「おい下原それは言わない約束だろ!」
 みんなが笑って彼女を囲む。
 ひとしきり笑ったところで夜風が大きくみんなを撫でた。
「寒いわね」
 ラル隊長のその一言でみんなが歩き出す。
 彼女のとなりでは伯爵が腕を回してニパがつめより下原が今日の料理がどれだけすごいか語りだす。
 寒いのに暑苦しい。
 広い大地なのにとても狭い。
 でもここにいてよかった。
 彼女の胸は今とても満ち足りている。
 広大な大地とどこまでも続く広い空の下。

 ペテルブルクの乙女たちはまたひとつ強くなる。


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