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十一月「諦めたもので溢れかえる、言葉や想いや洗濯物」

服が分厚くなって、洗濯物が増えた。
週に一度だけ回していたら溢れてきたけれど、
それでも困らないくらいに服がある。良きか悪きか。
朝早く起きて、洗濯をしてから会社にくる一人暮らしの女の子をみて、朝活の素晴らしさは大変よくわかっているけれど、
そう簡単に夜更かしをやめて早起きするには至らず、今日も時間ギリギリに起きては身支度をするので精一杯の慌ただしい出社をする。
よろしくはないけど、困るわけでもないので習慣はそうそう変わらない。


SNSには、文章だったり、絵や動画だったり、
毎月、毎週、毎日、何かを更新し続ける人がいる。
頑張っている人はSNSを開けばたくさんいて、でも私はそれを遂行できない。
思いついてはやめ、思いついてはやめ、してしまう。

でも気がつけば日常に入り込んでいるものはたくさんあって、
昨日カラオケへ行ったら、歌えないと思っていた歌が意外と歌えたりした。


ふとこのままではダメだなと思い立つようなことが何度もある一ヶ月だった。なんとか自分のためになることがしたくて、人に自慢できるようなことがしたくて本を開いてみた。
イライラしていても不安でも寂しくても、本を読めばなんだかマイペースを取り戻せる気がして没頭した。やっぱりこれが好きなんだと思う。

仕事に追われて、読書や言葉を楽しむ時間もなくて。ふと立ち止まって考えれば別に仕事はこれでなくてもいいのかなとか思っていた。辞めたいわけじゃないし、これも好きだけど、あれも好きなんだろう。他にもっとしたいことがあるのかもしれないけれど、私はどちらに人生の時間を割きたいだろうか。

本屋で働きながら、読書好きのSNS投稿を続けてバズって欲しい。
もう来月会社を辞める同僚が私にそう言ったから、
そんな、ご冗談を。と一瞬だけ思ったけれど、そんなことを私は何度も思い立っては挫折してきた。

目の前にはそれをやれば必ず褒めてくれる人がいて、
やらない理由は時間が無いから?
結局今までも続かなかったから?
好きなことを義務化させたくないから?

他人の文章をみて、羨ましくなってしまう。
自分もこんな文章がかけたらよかったのに、とか、今までなら当たり前みたいに言語化できていたはずの感覚のことを、今はどの言葉を使っても表せなかったりする。
自分の中に、諦めた後のものを捨てる場所みたいなのができた感じがして悔しくなる。
大人になると言うことは、諦めのつく事柄が多くなるということなの?


ライターの仕事は、思いを言葉にすることだとどこかで読んだ。
誰でも思うことはある。その思いを、無かったことにしないためには言葉にしてどこかに書き記すしかない。
例えば今月とても月が綺麗な夜が多かったことを、人は大抵平気で忘れて、次の日の雨に悪態をついてしまったりするものだから。

自分の思いを大事にするために、思いをしっかりこの時に残すために、そうして生まれてきた本や文章に私は救われてきている。
自分の書いたものが誰かに影響することがあるかもしれないことに、もう少し期待してもいいのかもしれない。

文章かけるっていいな〜と言われる度に、感じた違和感がある。
私は文章がかけるから書くのではなくて、書きたいから書くんだろうと思う。


そういえば先月言っていた交換日記が回ってきて、私の番になった。
人の手書きの文字が自分に届くのはなんというかとても尊い感じがした。
小さい頃はあんなに躊躇なくノートを汚せたのに、
大人になるにつれて手書きで書くことを躊躇してしまうようになった。
こうして順番が回ってくる交換ノートなら、みんなで豊かにノートを埋められるのがいいな。


今年もあと一ヶ月しかない。自分でちゃんと愛せる習慣を作りたいな。


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