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十月「小さい思い出、大切なもの、それと12番」

出勤の途中でコンビニに入る。レジに直行して「12番一つください」と言い慣れた定形文を口にした。朝は混むし急いでいるから、店に入る前からあらかじめPayPayの画面を開きながらそう言うのに、店員はこういう時に限って私に年齢確認をする。この店員からタバコ買うのはもう3回目なのに。嫌がらせだなとか考えながらふとレジ横のおでんと目が合った。もうそんな季節か。

長らく入荷待ちだった秋が緊急入荷した。
遅れを取り戻すように急いでやってきた季節は、少し張り切りすぎているみたいな。10月の初旬。

夏の間は通気性を抜群にしていないと沸騰してしまいそうだった心の中に、突然涼しい風が吹き込んでくるから、ちょっとしんみりとしてしまった。

コンビニおでんくらいのサイズの思い出が色々なところに散らばっていて、季節ごとにそれが思い出せるのは、それだけ私たちが豊かに物事を感じるからだと言っていいだろうか。

暑い季節の思い出もたくさんあるはずなのに、決まって心に色濃く訴えかけてくるのは、涼しい季節か寒い季節の思い出ばかりな気がする。脳が少しも溶けずに、しっかりとクリアな記憶ばかりになるからかな。

二年前、好きな女の子と夜道を一駅分歩いた、カラオケを目指して。
その時に買った自動販売機のコーンスープとかが一番温かい記憶だったりする。
楽しいことを実感するのはいつだって夏だけど、大切なものを再確認するのはいつだって秋冬だ。


苦手だったナスが食べられるようになった。食べてみたら、どうってことはない。むしろ他の野菜にはない感触が、切るときに楽しいかもしれないなとか感じて、それから何度か食べた。


この季節になると、いたる所で秋祭りが始まる。
父親の地元でやっているだんじり祭りを幼少期から見に行っていた私は、この季節の匂いを嗅ぐと必然的に祭りの記憶を思い出す。それは特に大切にしたいと感じているものではないから、血に染み付いているタイプの記憶なんだと思う。
「涼しい」は通り越しているのに「寒い」とは言い切ってしまえない絶妙な気温というのがあると思う。そのなんとも言葉には表しづらい気温のことを「心許ない」「スカスカしてる」「孤独感がある」とはやっぱり口に出しては言えない。

でもこの「孤独感」は「寂しさ」とは違うな、と明確に自覚している。

孤独って、自分の内側に向き合う時間が増えて、だんだん自分の輪郭がくっきりしてきて、個体としての意識が上がって、周囲より自分自身の時間を大事に思えてしまって、それが周りと擦り合わせられない部分の温度をより深く思い知らせてくる、みたいな感じだ。なんというか。

はい か いいえを選ぶ質問の時は、はいを選ぶよりもいいえを選ぶ方が責任が軽い感じがするみたいに。自分に当てはまらないものは、探しやすいのだった。


受注したかった案件のデザインをもう6割作っていたのにペンディングになった。最近は自分の熱量をどこで消化すればいいのかに悩んでいる。
熱量がなければ提案は通らないのに、私一人だけ湧いた熱量を持て余している。みんなで一つのものを作り上げる喜びとか、そういったものはどこに求めたらいいだろうか。
そんなことに悩みながら、ハロウィンにもらったミルキーを食べたら前歯が欠けた。悲しい。



書くぞ。と思うと書けなくなる。
書かなければ。と思うともっと書けなくなる。
でもなんとも思ってない時に、「あ、メモしよう」
と思って携帯のメモアプリを開いた途端に言葉が止まらなくなったりする。

なにについて書きたいのかはわからないが言葉だけはわんさか出てくるのが心地よい。


文章はインプットもアウトプットも一方的な力が強すぎる。それぞれの意思がありすぎるから。
相手を思い遣って書くような、お手紙みたいなやりとりがあって初めて、それぞれの言いたいことは成長して「主張」以外のなにかに変化できるのかも。

そういえば会社の子達と休日飲みに出かけた時に、
「交換日記をしよう」という話になった。
誰かと手書きの言葉をかわすことができる機会ができそうなのが、とても楽しみ。



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