七月 「ようやく夕方が涼しくなったよ」
久しぶりに熱が出て、体調を崩した。熱を出すのはいつぶりだろうか。そういえばこんな感覚だったなぁと思い返しながら、ロキソニンの威力を思い知った。
病院に行ってコロナ検査もしたが陰性で、葛根湯と解熱剤をもらって帰ったあとに一週間お腹を壊して、熱が出たのは食あたりのせいだったことがわかった。
Netflixで見たマッシュルというアニメの影響でシュークリームが突発的に食べたくなり、買ったはいいが普段甘いものを食べる習慣がないおかげで二日ほど賞味期限を切らしたのが悪かった。
酒の飲み過ぎで夜間に低血糖になり、朝起きたときには冷や汗がダラダラだったから、なにかすぐに血糖値を上げられるものが欲しくて、そのシュークリームを食べたらあたった。
もう一度その状況になったらまた期限切れシュークリームを食べてしまいそうな気がするので、これは払うべき代償だったのだなと消化する。致し方なしです。
提案案件で残業を続けるうちに、副業の方に行くのがものすごく無理になって、時間に間に合う日でも「残業でいけなくなった」と嘘をついて何度か休んだりした。休みが続いたり出勤が減ると、次に出勤しても居心地が悪くなるから、結局モチベはなくなってくるという悪循環だった。
来月の誕生月までは頑張ろうとリミットを決めてみても、そう簡単にコントロールできるわけでもない。
そういえば私は別れたいと思ったら別れたいし、辞めたいと思ったら今すぐ辞めたいような人間だったよな。
逆に、欲しいと思ったらそれも、なに一つ我慢できない人間だけれど。
最近、悪習慣になっていたものをやっと手放そうとしていた。
悪習慣は自分が「悪」だと認識しているように、楽で依存性が高かった。
すぐに手放すまではいけなくても一度生活から切り離すことで、
本来好きだった、本を読むとか何か書くとかそういった時間が作れて、
自分が好転しているのは少しずつ感じている。やっぱり早く辞めるべきだったよね。って再確認してまた、何かを噛み殺したりして、そういえばこの間人生で初めて「寝てる間よく歯軋りしてるよな。」なんて教えられたことを思い出した。
今までが自分より先に寝る人間とばかり出会って来ていたのか、それとも最近になって歯軋りをするようになったのかは、あまりわからない。
習慣は弱いところにも漬け込んでくる分、失うことの代償は少なからずあった。
生活の中でゴミ捨てをするタイミングとか、コンビニにいかなあかんとかの予定ができたときに、ふと思い出して恋しくなったりものすごく嫌になったりするからたちが悪いと思う。
とはいえ、そんなこんなを考えたり感じたりする自分の隙間は、酒を飲んでさえしまえば一時的に埋まる。一人でもさみしくならない手段。人といても自分を守るために欠かせない酒という存在がまだ、ぽっとでの悪習慣なんかを私に定着させないでいてくれるから軽率にお前が神様です。
不本意に飲み続けなければいけない時にはそんな神様も嫌いになりかけていたけど、
私が人生で唯一続けられている交際は、酒と文章と自分とだけなんです。
会社では社内報というコンテンツを書くようになり、表向きには愛社精神溢れる文章を展開している。けれど、書いているうちに会社自体よりも、この会社に居続けている人たちに興味を持つようになった。
人を束ねるためにはなにより大事な会社のVisionを、中途採用一年目の私に決めさせたあの日から、会社に対する信頼や希望はもうない。けど
こんなところに創業当時から居るシニア世代には逆に興味が湧いた。ちょっと調べてみただけでも、変な人ばっかりなのだ。
今はそのうちの一人と、文通みたいな長文のやりとりを業務用のチャットで続けている。話せば話すほど人間の頭の中身は面白いなと感じるばかりだし、私が自分を通してしか見えない世界のことを、客観的に面白く捉えてくれるからなんでも勉強になった。(でも本当の闇の部分は私にはまだまだ見せてくれてないんだろうなとも感じる)
仕事ではあんまり素直に人の言うことが聞けない私の心も、その人の言うことなら犬みたいに信用できたりするから不思議だ。
その人に、「若いのにこんな長文のやりとりについてきてくれるなんて君も変人ですね」と言われてなんだか純粋に嬉しく思ってしまったけど、少し経ってから、それって私にもこの会社に依存できる素質があるということなのか、なんて変に飛躍した考えになってしまった。
ゴミ捨てをしなければいけない季節に限って、ゴミ捨てがひどく億劫になった。
こんなにも外に出たくない時に限って、タバコが切れたりする。
夕方も夜もまだ暑いけど、私の家はようやく涼しい夕方を過ごせています。
というのも、残業が落ち着いたり副業に時間を割きすぎないようになったりと、自分に向き合う時間が増えたからなのかもしれない。物事に追われないで済んでいるという、心の涼しさ。
自分の時間がただ穏やかにすぎていくのは少し寂しいけれど豊かで、ひとりを楽しむことの大切さを教えてくれる。
こうした時間こそが、私からどんどん言葉を引き出してくれる気もする。
劇薬みたいに即効性のある快楽や誘惑が突然現れることもある。そんなものたちはなかなか私を離そうとはしてくれない。断ち切れない自分を甘えているだの、怠けているだのと真面目な時間の自分がやり込めてしまおうとするけれど、だめな時間もないといけない自分のこともいい加減わかったよね。
なにものかに頼らないといけなくても、それでも本当の自分が、誰かのせいで失われることは、ないよ。
そのとき自分の中で優位なものが、少し変化するだけのことさ。
部屋の模様替えをし、こたつを捨て、ダイニングテーブルを買った。
そのテーブルで、おいしい桃を食べました。
旬のものをその季節に食べることの豊かさを、やっと噛み締められるような一ヶ月だった。
来月はどんな波が来るんだろう。
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