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忘れられた思い出
ご機嫌よう、173です。
最近のブームはサントリーのビタミンティーです。
美味い。
年度末年度始めで残業パーリナィ、12時間労働を強いられ()
noteに書き綴る体力がありませんでした。
前回は父の話を書きましたが(↓)
今回は私が忘れてしまっていた、もう一つの足にまつわるお話を書きたいと思います。
何気なく弟と話していた時に「俺は怖い話ある?って振られたら姉ちゃんが見た軍靴の話してる。」
って言われ、何それ覚えていない!となり詰め寄ったのがきっかけ。
当時私は高校、弟は中学。通っていたピアノに向かうべく、母の車で私を迎えに向かっていたと。
特に遅刻しそうな訳でも、天気が悪い訳でもないありふれた日。
そんな時、私から「今どこにいるの?早く来て、お願いだから早く来て。」と普段の私からは考えられない様な慌て方だったそう。
弟も母も、なんかあったのかな、ぐらいにしか気にせず、取り敢えず私を拾ってからだな、と考えた。
いつもの待ち合わせ場所、裏門の前。
校舎の裏にはお寺があり、民家との間に坂がある。
そこを降ると戦後建てられた慰霊碑がある。
そんな場所だ。
早く来て、と電話してきた割には落ち着いていて、弟は私に「さっきの電話、なんだったの?」
と聞いた。
すると私は「坂があるじゃない、ここ。そこの手前の民家から、軍靴だけが歩いて降りていった。」なんか居た?と。
とは言え、見かけたのは電話をかけたタイミングだったので、当然母と弟は何も見ておらず。
曰く、なんとはなしに道向かいをぼんやり眺めていたら、気付けばそれは現れスッと道を横切り坂を下っていったのだと。
靴は土や泥で汚れ、ボロボロだった。
脚絆までうっすら見えていたのだが、その先は何もなく、規則正しく靴を運び、今にも靴音が聞こえてきそうなものだった。
そう言う事を私は話していたらしい。
らしいと言うのは、当の私は弟に言われるまですっかり忘れており、話を聞いた途端記憶がブワッと呼び起こされたのだ。
あれは、そうだ、でも季節は思い出せない。
確か冬服だった。日差しが穏やかで、陽が沈むのが早くなってきたな、と思っていた時の事までは思い出した。
迎えてもらって、見た事をありのまま伝えると、母も「そう言うこともあるだろうね、ここだとね、」と話をしたのを思い出す。
戦時中は通信部隊や司令塔などを配置しており、戦火は凄まじいものだったと言われるその地で、
きっと彼はまだ戦争の最中におり戦い続け彷徨っているのかと思うと酷く悲しくなる。
どうか彼が、戦争で命を落としたたくさんの人の魂が、安らかである事を願ってやまない。
どうも私は足とか、手とか、気配とか、そう言ったモノに縁がある様で。
この先何を見ていくのか、少し怖い気もする。
それでは、またいつか。